7月19日(金) 天気:小雨 室温:28.8℃
きょうは 室津のたつの市立 室津海駅館へ ”はりま伝説 夢物語 ドウノヨシノブ 原画展
~御津・室津編~” を見に行きました。 海駅館へ何度か電話しましたが ”電話に出るこ
とができません” との留守電。 きょう やっとつながり 海の日の代休で 火曜は休み、そ
の後は 連休だったそうです。 休みのとき 行かなくてよかった・・。
海駅館は 近世から 近代にかけて 廻船問屋として 活躍した豪商「嶋屋」の遺構で 建物は
嶋屋(三木)半四郎が 江戸時代後期に建てたものです。 切妻平入り本瓦葺二階建てという
室津の町屋の特徴を よく残しており、室津の町屋を代表する貴重な建物で、たつの市の文化財。
室津の歴史と伝承:賀茂神社縁起では その昔、賀茂建角身命が、斧と鉈と鎌の三刃で 藤蔦
を切り払い、港を開いたと伝え、発掘調査によって 6世紀の土器を確認しており、室津の歴
史は 古墳時代まで さかのぼります。
713年 風土記編纂命令。 「この泊、風を防ぐこと 室のごとし」(播磨国風土記)
700年代 「辛荷の嶋に・・」 「室の浦の・・」 『万葉集』に詠われる。
1180年 平清盛が 高倉上皇と 厳島詣の途中、室津賀茂神社へ参拝。
1207年 法然が 室津で 遊女に出会ったという伝承。(法然上人絵伝)
1336年 足利尊氏が 室津で 赤松円心と 軍議。(「梅松論」)
1607年 回礼兼刷還使(朝鮮通信使)、室津上陸の記録、以後、1764年まで 11回寄港。
・・・・・・・・ 以下省略 ・・・・・・・・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
はりま伝説 夢物語は、平成20年3月から 24年8月まで 神戸新聞に 連載されました。
播磨地域に残る伝説を イラストとともに紹介するコラムで、文章を 埴岡真弓、イラストを
ドウノヨシノブが 担当。 「はりま伝説 夢物語」 という本が 発行されています。
今回の展示にあたり、新たに 御津・室津の伝説を書き下ろしと、連載した中から、海や川
など 水辺にまつわる作品を中心に展示します。
播磨国風土記、峯相記、播磨鑑など、古代から多くの地誌が記されてきた播磨地方。 その
豊かな伝承の世界を お楽しみください。
展示点数が多いので すべてを紹介することはできませんが その一部、何点かを 紹介します。
◎八朔の雛祭り ~花嫁を悼んで延期された雛祭り~
永禄9年 1月11日 室山城の城主・浦上政宗の息子・清宗の婚礼の夜、龍野城主・赤松政秀の
急襲を受け、黒田家から嫁いだ花嫁も ともに討死したという。 花嫁の死を悼んで 3月の雛祭りを
延期、8月に行ったと伝え、今も 「八朔の雛祭り」が継承されている。
◎飯粒が落ちた丘 ~神々の国占め争い~
ある時、天日槍命 海を渡って、揖保川の河口に到着した。 葦原志挙平命に 泊まる場所を乞うと、
答えは 「海ならよい」。 劔で 海水をかき回して 土地を作った天日槍命を見て、あわてて 丘に登り
食事をすると 米粒が口からこぼれた。 風土記の載る、粒丘の地名の由来だ。
◎播磨国の由来 ~播磨は 晴れ間の国~
播磨という国名の由来には 諸説ある。 ある説では 神功皇后が 西海に向かっているとき、毎日
雨が降り続いたという。 ある日、晴れ間が出て 船出できたので 「晴れ間の国」 と名付けた。
それが 「播磨の国」になったとか。 晴れ間が出たのは 福泊(姫路市)だったともいう。
◎魚吹八幡神社の起こり ~魚が砂を吹き寄せた聖地~
朝鮮半島からの帰路、神功皇后のが 嵐に遭った。 その夜、皇后は 夢で 海中の清らかな土地に
神々を祀るように 神託を受けたという。 すると、大魚数千匹が出現、白砂を口に含んで 運び
その白砂を 一所に吹き集めた。 こうして、一夜にして 清浄な平地が出来上がったとか。
◎流れ着いた秦河勝 ~坂越の船祭り~
聖徳太子の片腕として 活躍した秦河勝。 ある時、わけあって 難波の浦から西海へ流されてしまう。
河勝は 坂越浦に漂着し、生島に上陸した。 島には 河勝が 舟から飛び移った「飛び付岩」がある。
浦人が祀ると 霊験あらたかで、後に、大避大明神として 崇敬された。
◎室津の賀茂神社 ~京都からきた賀茂明神~
千年余り前、京都の上賀茂神社のご分霊を祀ることになり、三十六人の社人が 御供としてやってきた。
小五月祭りでは、彼らが 烏帽子装束で 神事を務め、上賀茂神社から下向した。 神主・加茂鳥居大路が
御輿の渡御に供奉、室君は歌舞を奉納して 神様を喜ばせた。
◎貝殻で掘った井戸 ~法然ゆかりの清水~
浄運寺には、木曽義仲の側室だったとされる友君の墓と伝えられる供養碑や、法然上人ゆかりの品々が
残る。 寺から海側に下ったところに 法然が 飲み水に困っていた室津の人々のため、貝で掘ったと
伝えられる井戸がある。 海辺にあって 真水の湧く貴重な井戸だった。
◎三左衛門堀の主 ~波の中の怪物の正体は?~
ある日、元塩町に住む女が 三左衛門堀に洗濯物を すすぎに出かけた。 すると、向うの方が激しく波立ち、
近づいてきた波の中にいたのは 4メートル近くあるナマズ。 女は 洗濯物をほおりだし、何とか逃げる
ことができた。 「三左衛門堀の主」 だと語る人がいたとか。
◎法道仙人ゆかりの観音 ~一緒に天竺から播磨へ~
天竺からきた法道仙人は 家島の堂崎に住み、観音を祀り、鉢を海上に飛ばして 行き交う船に供物を
入れてもらっていた。 ある日、不心得者が 鰯を鉢に投げ込むと、嵐となり、船は沈没。
観音様は 朝日山へ飛び去り、鉢は 網干に流れ着いて 大覚寺に納められた と伝えられる。
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きょうは 室津のたつの市立 室津海駅館へ ”はりま伝説 夢物語 ドウノヨシノブ 原画展
~御津・室津編~” を見に行きました。 海駅館へ何度か電話しましたが ”電話に出るこ
とができません” との留守電。 きょう やっとつながり 海の日の代休で 火曜は休み、そ
の後は 連休だったそうです。 休みのとき 行かなくてよかった・・。
海駅館は 近世から 近代にかけて 廻船問屋として 活躍した豪商「嶋屋」の遺構で 建物は
嶋屋(三木)半四郎が 江戸時代後期に建てたものです。 切妻平入り本瓦葺二階建てという
室津の町屋の特徴を よく残しており、室津の町屋を代表する貴重な建物で、たつの市の文化財。
室津の歴史と伝承:賀茂神社縁起では その昔、賀茂建角身命が、斧と鉈と鎌の三刃で 藤蔦
を切り払い、港を開いたと伝え、発掘調査によって 6世紀の土器を確認しており、室津の歴
史は 古墳時代まで さかのぼります。
713年 風土記編纂命令。 「この泊、風を防ぐこと 室のごとし」(播磨国風土記)
700年代 「辛荷の嶋に・・」 「室の浦の・・」 『万葉集』に詠われる。
1180年 平清盛が 高倉上皇と 厳島詣の途中、室津賀茂神社へ参拝。
1207年 法然が 室津で 遊女に出会ったという伝承。(法然上人絵伝)
1336年 足利尊氏が 室津で 赤松円心と 軍議。(「梅松論」)
1607年 回礼兼刷還使(朝鮮通信使)、室津上陸の記録、以後、1764年まで 11回寄港。
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はりま伝説 夢物語は、平成20年3月から 24年8月まで 神戸新聞に 連載されました。
播磨地域に残る伝説を イラストとともに紹介するコラムで、文章を 埴岡真弓、イラストを
ドウノヨシノブが 担当。 「はりま伝説 夢物語」 という本が 発行されています。
今回の展示にあたり、新たに 御津・室津の伝説を書き下ろしと、連載した中から、海や川
など 水辺にまつわる作品を中心に展示します。
播磨国風土記、峯相記、播磨鑑など、古代から多くの地誌が記されてきた播磨地方。 その
豊かな伝承の世界を お楽しみください。
展示点数が多いので すべてを紹介することはできませんが その一部、何点かを 紹介します。
◎八朔の雛祭り ~花嫁を悼んで延期された雛祭り~
永禄9年 1月11日 室山城の城主・浦上政宗の息子・清宗の婚礼の夜、龍野城主・赤松政秀の
急襲を受け、黒田家から嫁いだ花嫁も ともに討死したという。 花嫁の死を悼んで 3月の雛祭りを
延期、8月に行ったと伝え、今も 「八朔の雛祭り」が継承されている。
◎飯粒が落ちた丘 ~神々の国占め争い~
ある時、天日槍命 海を渡って、揖保川の河口に到着した。 葦原志挙平命に 泊まる場所を乞うと、
答えは 「海ならよい」。 劔で 海水をかき回して 土地を作った天日槍命を見て、あわてて 丘に登り
食事をすると 米粒が口からこぼれた。 風土記の載る、粒丘の地名の由来だ。
◎播磨国の由来 ~播磨は 晴れ間の国~
播磨という国名の由来には 諸説ある。 ある説では 神功皇后が 西海に向かっているとき、毎日
雨が降り続いたという。 ある日、晴れ間が出て 船出できたので 「晴れ間の国」 と名付けた。
それが 「播磨の国」になったとか。 晴れ間が出たのは 福泊(姫路市)だったともいう。
◎魚吹八幡神社の起こり ~魚が砂を吹き寄せた聖地~
朝鮮半島からの帰路、神功皇后のが 嵐に遭った。 その夜、皇后は 夢で 海中の清らかな土地に
神々を祀るように 神託を受けたという。 すると、大魚数千匹が出現、白砂を口に含んで 運び
その白砂を 一所に吹き集めた。 こうして、一夜にして 清浄な平地が出来上がったとか。
◎流れ着いた秦河勝 ~坂越の船祭り~
聖徳太子の片腕として 活躍した秦河勝。 ある時、わけあって 難波の浦から西海へ流されてしまう。
河勝は 坂越浦に漂着し、生島に上陸した。 島には 河勝が 舟から飛び移った「飛び付岩」がある。
浦人が祀ると 霊験あらたかで、後に、大避大明神として 崇敬された。
◎室津の賀茂神社 ~京都からきた賀茂明神~
千年余り前、京都の上賀茂神社のご分霊を祀ることになり、三十六人の社人が 御供としてやってきた。
小五月祭りでは、彼らが 烏帽子装束で 神事を務め、上賀茂神社から下向した。 神主・加茂鳥居大路が
御輿の渡御に供奉、室君は歌舞を奉納して 神様を喜ばせた。
◎貝殻で掘った井戸 ~法然ゆかりの清水~
浄運寺には、木曽義仲の側室だったとされる友君の墓と伝えられる供養碑や、法然上人ゆかりの品々が
残る。 寺から海側に下ったところに 法然が 飲み水に困っていた室津の人々のため、貝で掘ったと
伝えられる井戸がある。 海辺にあって 真水の湧く貴重な井戸だった。
◎三左衛門堀の主 ~波の中の怪物の正体は?~
ある日、元塩町に住む女が 三左衛門堀に洗濯物を すすぎに出かけた。 すると、向うの方が激しく波立ち、
近づいてきた波の中にいたのは 4メートル近くあるナマズ。 女は 洗濯物をほおりだし、何とか逃げる
ことができた。 「三左衛門堀の主」 だと語る人がいたとか。
◎法道仙人ゆかりの観音 ~一緒に天竺から播磨へ~
天竺からきた法道仙人は 家島の堂崎に住み、観音を祀り、鉢を海上に飛ばして 行き交う船に供物を
入れてもらっていた。 ある日、不心得者が 鰯を鉢に投げ込むと、嵐となり、船は沈没。
観音様は 朝日山へ飛び去り、鉢は 網干に流れ着いて 大覚寺に納められた と伝えられる。
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