私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

檀特山 165.1m 周辺散策

2016-01-09 15:18:16 | 山歩き
 1月 9日(土)  天気;晴れ+風  室温:14.3℃   地図:網干

 きょうは いい天気だったので 近くの檀特山に登りました。 が 風があり 自転車で走るには
冷たかった。 登山口近くに 神社がないので 東の下太田の吉備神社へお参りしてから 山へ。
徳道上人の生地へも行くので 上人ゆかりの矢田部登山口から 登りました。 檀特山から降りて
天神社と 荒神社と 北向き地蔵と 牓示石と 清光寺と 徳道上人堂と 糸の井を 巡りました。

 大津茂川沿いに 檀特山の東へ行き 吉備神社へ行きます。 吉備神社では 大勢で とんどを
作っています。 吉備神社は 下太田の鎮守で 吉備武彦命を 祀る古社です。  伝承によれば
伊邪那岐神社創建に用いた錐を納めて 祀ったので 錐神社と称されていた。 かって 神社南
の用水路に 家型石棺の蓋石を 転用した石棺橋があったが 境内に 移設、保管してあります。
 天保3年(1832)の狛犬や 伊勢神宮参宮記念の絵馬もあります。 絵馬は 今は ない?


 山の南を廻って 矢田部登山口へ行きます。 矢田部は 徳道上人の生地で 上人ゆかりのもの
があるので まず山へ登り 降りてから 見に行きます。 登山口の手前に 六地蔵があります。
六地蔵は 徳道上人が 発願・創起したと言われています。 六地蔵は 人が死んだら いくと言わ
れる六道(天道、人道、修羅道・・・・) に対応しています。

 登山口のすぐ上に 感動岩があります。 何の変哲もない岩ですが 徳道上人の偉業鴻恩に
感じ 自然に動いたという奇端を讃え 名付けられた。 太子町のガイドマップでは 感動岩は
少し北の住宅地にある岩となっていて 太子感動岩(涙岩)と 呼ばれています。
 登山口から 健脚コースを 一直線に登りますが この登山道は 丸太の階段で 登り難い。
階段の脇に 30cmほど 土道があるので できるだけ 土道を歩きます。


 呼吸を整えながら ゆっくり登って 15分くらいで 登頂。 男の人が一人いましたが
携帯?に かじりついています。  檀特山の山頂は 姫路市と 太子町の境界です。
 山頂の巨岩は 応神天皇が 四方望覧した岩と言われています。 『播磨国風土記』 には
品太天皇(ほんだのすめらみこと、応神天皇) が この山に登り 四方を見回されたので
大見山という と書かれている?
 「鵤荘絵図」 には 行動岡、 『峯相記』 には 檀特ヵ峰 と出ているそうです。
また 岩のでこぼこの窪みは 天皇の御靴の跡とも 御杖の跡とも 言い伝えています。

 また 聖徳太子が 山頂へ行動したときの駒のつなぎ松があった、岩の窪みは そのときの
駒のひづめ跡とも言われる。
 檀特山の合戦は 応仁の乱で 山名軍と赤松軍(細川方) の戦い、天文元年(1532) 斑鳩寺
と 朝日山大日寺の領地争いの戦いがあった。

 きょうは 天気がいいので 四方の山が 見渡せます。 瀬戸内海に 日が当たり 白く輝いて
いて 男鹿島が浮いています。  南に見える工場の煙突の煙が 真横に流れているので
風速は 約10m/sくらい?  北の山陽道の奥に見える 尖った山は 明神山でしょうか・・。
 南東方向の京見山の稜線の上に かすかに見えるのは 明石大橋の橋脚だと思いますが・・。

 山から降りて 菅原道真を祭る天満宮へ寄って 県道へ出て 北へ行き 新幹線下を潜り
三宝荒神社へ行きます。 神社の横に 北向き地蔵があります。 これは 嘉永年間のもの。
 神社は 普通 南向きで 我々衆生が 北を向いて お参りするようになっていますが 
北向き地蔵は 我々と同じ目線になっていると 言われています。

 東南に鎮座する三宝荒神社は 荒神さんを守護する神社で 鵤荘と 弘山荘の境界に位置してい
ます。 永徳2年(1382) 頃の状況を描いたと言われる 「弘山荘絵図」 には この地が 荒神山
と記されている そうです。

 新幹線の下を西へ進み 標識に従って 左折すると 矢田部の牓示石があります。 牓示石は
推古天皇から 賜った法隆寺領 播磨国鵤荘の境界を 決めるため 聖徳太子が 檀特山の上から
投げた石と言い伝えられています。 牓示石とは 境界の標識のことです。
 南北朝時代に描かれた 「鵤荘絵図」 には 12ヵ所の牓示が 描かれています。 現在 鵤荘周
辺には 11ヶ所の 「太子の投げ石」 が知られていて そのうち 4ヵ所が 兵庫県の史跡・文化財
に 指定されています。  以前 探したことがありますが 7つしか見当たりません・・・。

 南の角を曲がり西へ行くと 清光寺があります。 ここは 徳道上人の草庵の地で 隣に
徳道上人堂があります。 上人は 斉明天皇656年 この地・矢田部に 出生。 幼名・武若丸。
年若くして 父母と別れ 出家入道して 徳道上人となる。 各地を 巡錫して 多くの寺院を建立
したが 中でも 大和国長谷寺は 有名。 後年 この地に住む。  徳道上人堂の前に 井戸が
ありますが これは 産湯の井戸ではありません。 産湯の井戸は 清光寺の中にあります。
 確か 徳道上人が 西国33ヵ所霊場巡りを 始めたと思いますが・・。


 矢田部から県道を 南へ戻り 太子高校の方へ曲がると 糸の井があります。 糸の井は
太子町糸井にあり 糸井の地名のもとになっています。 糸の井は 鎌倉時代中期 この辺りに
浄土宗をひろめた 顕実上人の硯水と 伝えられています。
     いろいろの 木の葉流るる 糸の井は ゆききの人の しるしとぞきく

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