私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

陰陽師の里

2011-02-05 20:50:08 | 日記
 2月 5日(土)  天気:晴れ+濃いモヤ

 2月4日の新聞に 「陰陽師(おんみょうじ)の里」全国発信 という記事が載っていて ”佐用町の
江川地域づくり協議会 HPも開設 来月12日 コスプレイベント” とあり ホームページのアドレス
もあります。 人を癒し 力を授ける陰陽師伝説の 「パワースポット」 として 地域を PR。 一昨年
8月の豪雨災害で 大きな痛手を 被った町に 元気をと 協議会のメンバーは 張り切っている・・・。

 二等三角点:豊福が 近くの県境にあるので そのとき 行こうと思っていましたが きょう 庄ノ上山
が 早く終わったので ついでに 行ってきました。 きょう 訪れたのは 「晴明塚」 と 「道満塚」 だけです。

 陰陽師について調べると 官職のひとつで 陰陽五行の思想に基づいた 陰陽道によって 占筮(せ
んぜい)及び 地相などを行う方技として 配置され 後には 本来の健令・規定を越えて・・・。
 辞書を見ると 宇宙を形づくっている陰陽五行の理を考えて 吉凶を判断し 災いを避けることを
目的とする学問とあります。 こちらの方が 分かりやすい。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 まず 上月城跡を訪れます。 一日一山と決めているので 荒神山には登りません。 この前行っ
た多田銀山に 山中鹿之介一族の墓があったので 鹿之介つながりで・・。 鹿之介は ここ上月城
で没したので この辺りに 鹿之介に関するものが あるはずです。 上月駅から 踏切を越え 南へ廻
ると 上月城跡のある荒神山があります。 えっ 登山口に 「上月歴史資料館」が 出来ています。
入館料200円を節約するため 中には入らず 入口に置いてあるパンフレットだけ もらいました。



 少し先に 「尼子氏発祥の地」の石碑は ありましたが・・。 資料館に戻り 尋ねると 鹿之介に
関するものはないとのこと。 代わりに 上月城で 自刃した尼子勝久の碑が あることを教えていた
だき 見に行きました。 なんと 尼子勝久の碑の隣に 山中鹿之介の碑がありました。 来た甲斐
がありました。 資料館には しっかり 教えてあげました。 満足、満足・・・。
 山中鹿之介は 主君・尼子氏に仕え 再興を願いつつ 上月城で 毛利の大軍に囲まれ 投降し
備中・松山城に連行される際 高梁川の畔で 斬殺された・・・。


 まだ 早いので 陰陽師の里へ行きましょう。 国道179号線を 佐用へ戻り 佐用の街で 左折
して 県道240号線に入り 大撫山の北へ向かいます。 地図は持っていませんが 江川地区と
いうことだけ 覚えています。 下の図は 協議会のホームページから 入手した ”鳥瞰図” です。
 地図の右が 「北」になっています。 240号線を走っていると 道標が目に入り 慌てて左折。
大塚で 左折です。 西河内を西へ進むと 突き当りに道標があり 左道満塚、右晴明塚とあります。


 まず 左の道満塚へ行きます。 700mです。 少し先に道標があり 右に曲がり 細い急な道
を登ります。 セコで登っても しんどい急坂で 小高い丘の頂に 道満塚があります。 少し手前
に車を置き 100mほど歩いて 急坂を登りました。 庄ノ上山から 20.7km 走りました。
 芦屋道満は 平安時代 陰陽道の大家として 安倍晴明と 並び称され 勢力を二分し 拮抗して
いたといわれるが 時の権力者・藤原道長を呪詛(じゅそ)した咎によって この地に流されたと伝
えられる。 しかし 加古川に生れた道満が なぜ ライバル・晴明の地元?に 追放されたのでし
ょう? 今も 対決するかのように 谷を挟んで 僅か数100mを隔てて 「晴明塚」 と 「道満塚」は
並び立っているのです。 後で気づいたのですが ここから 晴明塚が 見えたか どうか?



 道満塚は 小高い丘の上にあります。 ここから 乙大木谷村の日本の棚田100選に選ばれ
た 棚田を見ることが 出来ますが 雲が出てきて 日が陰り モヤもあり おまけに 冬枯れのこの
時期では 青々とした棚田を すっきりと見ることは できません。
 石垣に囲まれた段上に 宝篋印塔が 建っています。 寛政九年の造立銘があり 時代の特徴
を よく表わし 佐用郡では 大型に属すそうです。  さぁ 晴明塚へ行きましょう。



 急坂を下って さっきの分岐へ戻り 右へ進みます。 すぐ先に道標があり 右に上がりますが
この上のV字の折り返しには 苦労しました。 特に降りる際は・・。 一回の切り返しでは 曲が
れません・・。 道満塚から 1.3km、13:33 「晴明塚」 に着きました。
 ここは 塚の下に 停められます。 ここも 高台にあるので 下に 甲大木谷の村を 見ることが
できます。 向こうに 棚田が見えますが こちらは 「棚田100選」 ではない? 
 ここも 石垣の上の方形の壇に 宝篋印塔があり 道満の塔と対をなしています。 説明文に
よると 花崗岩製で ほぼ完全な形であり 姿形もよい。 基礎部には 「イブレ」の刻印があり
同地の古い地名である 猪伏を 表わしているそうです。
他にも 大日如来像や 磨崖仏など 見るものはあるようですが きょうは 地図もないので・・。 



 帰路につきます。 国道179号線に戻り 来た道を帰ります。 三日月で県道28号線に曲がり
急坂を登り 播磨科学公園都市から 14:13 播磨道・播磨新宮ICに入り 14:25 龍野西IC
を降ります。 あとは 国道2号線を走って 14:48 家に帰ってきました。
本日の走行距離は 往路・庄まで 55.8km、道満~晴明塚まで 22km、復路 50kmで
計 127.8kmでした。
 きょうも いいハイキング & 歴史探訪を することが 出来ました。 2月8日には 近くの公民館
で 「歴史教室」(無料・参加自由) があるので 神功皇后について お勉強してきます。
  。。。。。。。。。。。。。          。。。。。。。。。。。。。
コメント (6)
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庄ノ上山 しょうのうえやま 380m

2011-02-05 15:50:55 | 山歩き
 2月 5日(土)  天気:晴れ+霧のように濃いモヤ 暖かい?   地図:上月

 きょうは 中国自動車道の南、岡山県との県境にある 庄ノ上山に登りました。 二等三角点:宇根です。
これで 二等三角点は 70個となりました。 庄の集落の南から 岡山県との県境の尾根を 登ったつも
りですが 周囲の景色は見えず 私は誰? ここはどこ?状態。 気付いたら 横に 三角点がありました。
 東の庄の集落に降りたつもりが 西の岡山県側の蓮花寺に降りて・・・。 完全に錆び付いた 運と勘に頼
る とんだ ミステリーツアーに なりましたが 間違えたお蔭?で いい拾い物もありました。
 ことのついでに 瑠璃山・蓮花寺(れんげじ)に お参りしました。 ついでに 上月城跡の麓に寄り 山中
鹿之介に会い さらに 2、3日前の新聞に 載っていた 「陰陽師の里」(佐用町江川地域)にも 脚を伸ばし
有意義に 一日を 過ごすことができました。
 それにつけても きょうの霧のように濃いモヤは・・。 幸い 展望を 見るような場所は ありませんでした
が・・。
 8:08 出発。 佐用町へ行くのも 久しぶり。 上郡を通って行こうか? 迷いましたが・・。 国道2号線
から 山陽道・龍野西ICに入り 播磨道に廻り 8:44 播磨新宮ICを 降ります。 播磨道は 15.8km、
300円。 テクノ中央で 右折して 高速道のような県道を北へ走り 急坂を下り 国道179号線に乗り 峠
を 二つ越え 佐用に下り 町を抜け 上月へ向かいます。 上月駅前を通り 1.5km 西へ行き 右折。 


 国道を右折した辺りは 力万と言うのでしょうか? 須安の分岐は 左にとり 西の宇根に向かいます。
ここからの道は 舗装路ですが 狭く 対向車が来ると大変です。 おまけに 水害対策なのか あちこ
ちで 工事をしていて 工事用の車も多いし・・。 車を停める所もなく 進み 庄の集落を 抜けると 急に
雪道になり・・。 雪道を抜ける際は 冷や汗が・・ この前の 車の点検で タイヤの溝が 3ミリしかない
ので そろそろ交換の時期 と言われていたのです。 幸い 雪は ここだけで この先は カラカラ。



 確信は なかったのですが ここは 岡山県との県境の筈・・。 岡山県の表示は ありません
が 地図の通り 実線の道と 破線の道が 東と南にあり 舗装路は U字形に曲がっています。
舗装路を 100mほど 歩いてみましたが お墓があるだけで めぼしいものは ありません。
 9:29 道脇のスペースに 駐車。 家から 55.8km、1時間20分かかりました。
目の前の尾根?に ササヤブ道が ありそうです。 9:43 スタート。 


 疎らなササヤブで 道幅は 1mくらいあるでしょうか? なだらかです。 少し先 左にフェンスに
囲まれた水道施設?がありましたが・・。 ササは 大したことなく いい道になりました。 張り出した
小枝が うるさいが・・。 左下には お墓もあり・・。 石垣もあり 昔は 何かの施設があったことが
窺えます。 道脇には 古いテープが 張ってあり まったけ山? 松葉も 積もっています。



 岩が点在し 礎石の感じもありますが・・。 この辺りの雰囲気は まさに ミステリーゾーン。 降り
た蓮花寺の縁起に ”山上の御堂ヶ岡にあった蓮花寺” とあったので ひょっとして この辺りが 御
堂ヶ岡だった? この辺りは なだらかだったので 庄集落西の360m等高線辺りだったかも・・。
雪も残り 倒木帯もあり いろいろ楽しませてくれます。


 山頂手前のなだらかな380m等高線辺りだったか 岩場があり これは 山上庭園風でしたが・・。
なだらかに歩いていると 右のササヤブに 白い三角点標柱が見え 10:19 三角点を発見。 うっ
かり 通り過ぎるところでした。 道は 県境に沿って 西へ延びていて 地籍調査の赤い杭もありま
す。 ここまで 境界を歩いたのに 杭は 一本も ありませんでしたが・・。
 「点の記」では 三角点の近くまで 車で 運行可 とありましたが どこから来るのでしょう。 とりあ
えず 二等三角点:宇根 を収集。 チップなし。 展望なし。 



 北の斜面には 僅かに雪が残っていました。 県境を西へ100mほど 偵察してみましたが なに
もなし。 来た道を戻ります。 山上庭園の岩場に戻り 何も考えず 降りましたが・・。 登った道より
いい道を 歩いているとは 思いましたが・・。 丸い広い尾根は どこも 道です・・。


 突然 石碑が現れ その先には 小さい祠も・・。 石碑には 凡人には読めない 梵字が彫られ
祠には 石仏が二体。 右は 不動明王と分かりましたが 左は お顔がふっくらとして 女性に見え
たが・・。 右手に杖を持つための穴があり 高下駄を履いていたので 役行者と分かりました。
私も まだ 修業が足りない・・。 これが 女性に見えるようでは・・。 煩悩を 振り払らわねば・・。
少し 下にも もうひとつ 小さい祠が ありました。 なぜ こんな雑木ヤブに 祠があるのでしょう?


 下の祠の脇には ビール瓶が散乱していました。 困ったものです。 後は 道なりに降りました。
いい道だったので 地図にある破線の道だったのでは ないでしょうか? 破線の道が 南から西
へ曲がる辺りまで 降りたのでしょうか? 目の前に 道標が現れ 「←蓮花寺 杉坂峠→」 とありま
す。 どこへ行くか 分からないので 引き返しました。
 杉坂峠は 中国自動車道の上? 杉坂峠は 播磨と美作の国境で 古代から京都・出雲間を 結
ぶ重要な交通路をなし 鎌倉時代には 関所もあり 赤松則村は 砦を築いたそうです。


 反対側へ降りると 集落が見えてきたので てっきり 庄へ降りたと思いましたが・・。 集落に
降りると 老人がいたので ”ここはどこですか” と 尋ねると ”蓮花寺” と言われ がっくり・・。
蓮花寺のお寺より もっと西でした。 仕方ない? ちょうどいい? 蓮花寺に寄りましょう。
作東町のマンホールの蓋には ”バレンタイン・日本の里” とあります。 バレンタインデーも近い?



 11:16 蓮花寺(れんげじ)に 降りました。 蓮花寺は 聖武天皇の代 行基菩薩により開山。
兵乱により 衰廃後 赤松円心により再建。 しかし 備前の宇喜多勢により 焼き払われる。
延宝二年(1674)山上から現在地に移し 元禄三年(1690)に完成。 その後も 失火?
 階段を上がり 山門を潜り 本殿にお参りしました。 黒い仁王さんが 山門の外にいるのは
初めて見ました。 ブロンズ像ではなく プラスチック製? 蓮花寺は 山々が 八葉の蓮花に似
ていることから 寺号になったそうです。



 蓮花寺は 庭園が有名なようで 作東町の名勝に指定されているそうです。 本殿の裏に 庭園
があります。 この庭は 桃山時代から流行した 池泉と枯山水を併用した庭園で 作庭の手法に
は 室町時代から慶長にかけての古い手法が入り 桃山期の庭園の様式を 残している。
 特に 枯滝の石組に強健を持ち 庭全体に 仏教的要素を含んだ庭園である・・・そうですが それ
ほどのものでも・・・。 裏の斜面に 岩が配置され 滝を表し 下には 池がありますが スケールは
小さい・・・。 庭園を鑑賞し 蓮花寺を 後にします。


 上の舗装道に戻り てくてく歩いて 11:39 車に戻りました。 11:43 帰路につきます。
宇根集落の細い道を 慎重に降りて 11:59 国道179号線に出ました。 後方が開け 山が
見えています。 さっき登った 庄ノ上山かと思いましたが 違うようです。 きょうは 庄ノ上山の
姿を捕えることが できませんでした。 上月まで 来たので 上月城跡に 寄ることにしました。



 が その前に 腹ごしらえを・・。 川を渡り 上月駅に寄り ふれあいの里上月・特産物直売所で
味噌煮込みうどん(470円)を食べました。 うどんを食べながら 佐用名物”ホルモン焼きうどん”
を食べるべきだったかと・・。 ここは 姫新線・上月駅なので 電車もあります。  



 うどんを食べ 上月城跡へ向かいますが つづきは 次の 「陰陽師の里」 のページを 見てください。

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