私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

朝日山 あさひやま 88m

2008-06-25 19:00:07 | 山歩き
 6月25日(水) 天気:曇り・蒸し暑い  地図:網干(北東部)

 きょうは 家から一番近い山 地元の朝日山へ散歩に行き 「はりま歴史の山ハイキング」の檀特山
の項で 紹介されたコースの前半部分を 歩いてきました。 この本は いい本です。 私も ただ単に 山
歩きをするのではなく 歴史の一端などに 触れながら 学び 人生の修行をしたいものです。
下の写真の山頂近くの建物が 大日寺で その左下が 山門です。

 今日も 近くなので 愛車ロシナンテ(自転車)に 跨って 登山口まで 行きます。 登山口までの道す
がら 咲いている花を 撮りながら ペタル を踏み 9:56 朝日山の登山口にある 「船つなぎ岩」 に
着きました。


 「船つなぎ岩」は 昔 神功皇后が 船で 播磨灘に 差し掛かったとき 嵐で 海が荒れたので この
地にある岩に 船をつなぎ 避難したら 嵐が 収まり 晴れ間が 出ました。
 晴れ間→はれま から この辺りが はりま→播磨 と 呼ばれるように なったとか・・。
この船つなぎ岩より 南 約1kmから 弥生時代の遺跡(和久遺跡)が 発掘されているので 船で ここ
まで 来られる筈がない という説もあり 真偽の程は・・・。

 朝日山の登山口は ここでいいのですが 本に書いてある 通りのルートを 歩くため 船つなぎ岩に
ロシナンテをつないで 溝のような川に沿って 西へ歩きます。 ここは 西の和久山登山口と 東の
朝日山下山口の中間点で ちょうどいい 駐車場所。 ただし 車は 停められませんが・・・。
 道端に 白いユリの花が 咲きかけていたので 撮らせてもらった。 「かみかわ登山日和」 の山ち
ゃんや 「播州野歩記」のMさんたちは わざわざ ササユリを 見に 行かれたそうだし また 「丹波
やまだより」 のたぬきさんのページでも 大江山のササユリの話題に 花が咲いていました。 私は
今年 まだ 見ていませんが 今年は このユリで 我慢しましょう。

 川沿いに 朝日高等小学校跡の表示があります。 山裾の こんな狭い場所に・・。 明治30年に
開校し 15年後に 旭陽尋常高等小学校になり 別の場所に 移された・・・。
 山裾を 北へ廻り 10:14 登山口へ。 川?を 渡り 階段を 上がると 厳島神社。 宮島の厳島
神社とは えらい違いで ここは うら寂しい。 神社の横から 林の中の階段を 上がると 東屋のある
和久山44.5mの山頂。 10:20 登頂。 ここには 四等三角点:糸井 があります。
 本には 低山ながら 眺望は なかなかのものです とあるが 今は 木が茂り 眺望は いまいち。
南が わずかに見えますが きょうは モヤが濃く 家島諸島も かすんでいます。

 何年か前には 地元総出で 山の裾刈りをしたものですが・・。 東へ 少し降りると 北の展望があり
貯水タンクのある 太子町の立岡山や 奥の新竜アルプスが、 右には 檀特山が 見えます。 東へ降
りて 和久霊園の上に出ると 南の見晴らしがいい。 朝日山公園の広い駐車場には 姫路市緑の十景
朝日山 の表示があり 十景に 指定されると 市が 管理・整備するのか 木の枝が 切られていないの
で 見晴らしが よくありません。
 駐車場から 急坂の道路を 降りると 「船つなぎ岩」へ戻ることができます。 去年の秋祭りの際 地
元の屋台・屋根を 新調した記念に 50年ぶりに 屋台を 引いて 朝日山登頂を果たし 山頂で 高田・
福井と 三町の屋台練り合わせをしました。 このとき 大変だったのを 思い出します。

 10:36 朝日山登山口の階段を上がります。 朝日山は 早朝、毎日登山で 登る人も多いと 聞きま
すが なだらかな車道を 歩くらしい。 車道を横切り 雑木林の擬木階段を 登り 10:43 山門の前
に出ました。 山門の前から 南が開け 朝日山で 唯一の展望地。 きょうは モヤで 遠望が利かない
ので すぐ 山門を潜って 急な石段を上がります。 37段?

 正面が 朝日山大日寺の本堂で 右が 不動堂で さらに 右に 鐘楼があります。 この鐘楼から 朝夕
5時に 鐘が鳴ります。 孫がいる時には 自転車で散歩しながら や~まのお寺の鐘が なる~♪♪と
よく歌ってやったものです・・・。
 大日寺は 大化年間 法道仙人の開基と伝えられる真言宗の古刹・・・と 説明板に書かれています。
本堂の左にある十三重の石塔は 今は 十一重しかありませんが 室町時代の造立と いわれている。
 さらに 左には 龍野城主の赤松政秀の寄進の五智如来石仏があり 右から室生、 阿閃しゅく、大日、
不空成就、阿弥陀如来。 密教の五智に 配当した五人の如来で 中心は 大日如来。
 右奥の石仏の前に 木の枝が 張り出して 見えにくくなっているので 上で 木の刈り込み作業をして
いた人に 木を刈ってくださいと頼んでおきましたが・・。 この人は お寺の若いお坊さん?


 五智如来の前に 新しく寝釈迦が祀られています。 この前 「やまあそ」 を見ると オードリーさんが
21番 穴太寺の釈迦涅槃像 別名 なで仏の内緒の所を擦ったそうです。 私も 負けずに 足、脚、
腰、胸、目、頭と 至るところを擦っておきました。 お利益があるのかどうか 分かりませんが・・。
 朝日聖天への石の階段を上がり 小さいお堂の右の立派な 石塔ある辺りが 一番高い 朝日山88m
の山頂か?  ここから 五智如来石仏の後ろ姿を 拝むことができます。

 お堂(歓喜天)の裏に回ると 石仏が 二、三あり 頭に犬?の顔を 乗せた三面石仏が ありますが
やまあそさんなら 何の石仏か ご存知かな? と書いたら すぐに やまあそさんから 書き込みがあり
西国33ヶ所霊場の 29番 松尾寺の馬頭観音だと 教えていただきました。 さすが・・・。

 馬頭観音を調べると 仏教の世界では 人は 死んだら 六つの道で 生死を繰り返し これを 六道輪
廻転生といい このうちの一つの道 畜生道を 化益するもので 三面八臂(はっぴ)の形のものが多い。
馬頭の形、三面、八本の腕は 確認できますが 石仏なので 細かい部分は はきりしないので 顔の
表情(憤怒)や指の組み方(馬口印)や 手に持った剣などの武器は 確認できません。 馬の鼻が壊
れ・・。 下にあった片膝立てたものは 輪王座?

 山頂の周りを 一周して 階段を降りて お寺を 後にして 山門を潜る。 目の前に 網干の街並みが
広がります。 山門の前から 東へ降ります。 この道は 雑木・竹林で 薄暗く 石段が 崩れたりして
荒れています。 下の朝日谷の住宅に 降りると すぐ右が 福正寺です。 ついでなので 寄ってみま
した。 植木の下に キスミレが 咲いていましたが 本堂があるだけで 特に 見るものはない・・。

 住宅の間を抜け 突当たりを 左に上がると 朝日谷公民館。 公民館の前に 三つの力石が 雑草に
埋もれています。 説明板によると 朝日谷の力石は この地の出身の地方力士の若の矢 亀治が こ
の岩を かつぎ上げ もらってきたとあります。 石には 四十八貫 若の矢 亀治 と彫られています。
48貫は 180kg。 公民館の前は 広場なっていて 北に 火揚げ用の柱があります。

 柱置場の右隅に 説明板があり それによると 明応年間(1492~)の大干ばつのとき 村人は
愛宕大権現に 火揚げをし 降雨を祈った。 その後 大雨が降ったので 神へのお礼として 毎年
火揚げを行うようになった。 大変 珍しい火祭り行事とあります。 本にも 年中行事のひとつとある
ので 今でも 8月15日には 毎年 行われているようですが 私は まだ見たことがありません。
 大人用火揚げ竿は 長さが 19mもあるので 大変なのは たいまつを投げ入れて 柱の先に
火をつけることより 柱を 立てる作業らしく・・と 書いてあります。 今年は 雨乞いは 必要なさそ
うですが 愛宕神社には お参りしておきましょう。

 鳥居をくぐって 神社に お参りし 神社から降りて お墓の上に廻ると ここから 京見山の山並
が 見えます。 どこが 山頂か 分かりにくいが 山頂は もっと奥で 見えないのかも・・・。
 これで きようのルートは 終了です。 後は 帰るだけ。 住宅街を抜け 朝日山の裾野を廻って
11:50 自転車に戻り 家に帰ると ちょうど お昼でした。

 本にある 瓢塚、丁古墳公園、下太田廃寺、吉備神社(石棺)、法隆寺別院・斑鳩寺も 紹介し
たいが・・・。 下の写真は 朝日山で 左のなだらかな裾の先端が 和久山(三角点)で 左奥に
龍野の新竜アルプスが見えます。
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コメント
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