アナーキー小池の反体制日記

世界中のひとが 仲良く助け合い ほほえみながら 平和に暮らしていくために (イマジン)

#4567 記し継ぐべきこと ⑭ 滝川から太郎吉蔵そして解散(7)

2023年11月20日 | マチの事件簿

A・C・Tの頓挫、儲(もう)け至上主義者流にいうと、アートなんかで飯は食えないし、仮に愛好家が仰山(ギョーサン)押しかけたとして、利益を得損(えそこ)なる事態を招いた、となるのがせきのやまです。
ただボクは、利益を得損なった、ことなんてどうでもいいんです。
文化・芸術を尊重しない風潮を嘆いているだけです。
諸々(モロモロ)の事柄を銭金(ゼニカネ)の損得勘定(ソントクカンジョ―)でしか推し量ることが出来ない輩(やから)に、示し諭(さと)すため“もしかして利益を得損(えそこ)なったことになるかもしれない事態”なんて下品な表現を用いているんです。

・・・

1990年代後半だと思われる、一部市職員に対し五十嵐氏へのわだかまりを生じさせた事柄について記します。

実はこのNPO、発足当時からこのマチでの評価は芳(かんば)しくありませんでした。
過去に石蔵を巡り五十嵐威暢氏側と市役所職員、商工会議所が関係したトラブルがあったのです。

もう一つに、このNPOに対するいわれなき反イノマタ感情を抱かせた、のもあるんですが後述します。

遠い昔、五十嵐威暢氏の父祖はこのマチで実業家として名を成していたんです。
祖父は北海道商工会議所の初代会頭だった、と聞いたことがあります。
その頃建てた自社製造清酒を貯蔵する石蔵が残っています。
その石蔵こそNPOの本拠地となる、五十嵐氏の祖父の名を冠した建物です。

この石蔵は長い間放置されていて、いつ屋根が壊れてもおかしくない状態でした。
また、市内では他の石蔵が取り壊されていた事実もあったのでしょう。

1990年後半、この状態を憂慮した音楽好きの市職員たちが考えたんですね。
石蔵に少し手を加えて、ライブハウスみたいにしてまちおこしの材料にしようと。

石蔵の所有者を訪れて改修の承諾を得たんだそうです。
しかし、石蔵は3人兄弟の共有物だったんですね。

滝川市の悪態、まだまだ続きます。

この記事についてブログを書く
« #4566 記し継ぐべきこと ⑭ ... | トップ | #4568 記し継ぐべきこと ⑭ ... »

マチの事件簿」カテゴリの最新記事