アナーキー小池の反体制日記

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#370 反捕鯨(上)

2010年01月13日 | ボクの思い・信条・理念
日本の調査捕鯨隊に、外国の反捕鯨団体が妨害をする事件が頻発しています。
実力行使するのはいけません。
先日、反捕鯨団体のシーシェパードの高速艇が調査船に突入しました。
イスラム原理主義者の自爆テロ、神風特攻隊の自爆特攻攻撃を思い起こされ不快な思いを持ちました。

でも、ボクはずっと昔から思っていました。
日本は遠洋に出ての捕鯨はするべきではないと。
こんなことを記すると、欧米の走狗だとか、ひどいのになると非国民とのそしりを受けそうですが、勇気を出して思いを記します。

日本の捕鯨の歴史は千数百年前に遡ります。
沿岸での捕鯨は全国各地に痕跡が残っています。
この北海道でも鯨塚が残っているほど、身近なものであったのは間違いがないと思います。

ただ、遠洋、特に南氷洋に出かけて大型鯨類を大量に捕りだしたのは昭和に入ってからですから、まだ百年にも満たないんです。
そして、その百年にも満たない短期間に日本を含む捕鯨国は乱獲の限りを尽くし、大型鯨類を絶滅の寸前まで追い込みました。

日本は鯨資源は回復しているので、商業捕鯨を再開してしかるべきだと主張しています。
日本における捕鯨は伝統であり、国民にとって鯨は貴重な動物性蛋白源であること、またこのまま鯨が増えすぎると鯨に他の魚が食べられる被害が生じることなどを理由にしています。

反捕鯨の主張は、鯨は野生の高等生物であり人の友人となりうる存在なのにまやかしの調査により絶滅を免れたと言われているが疑問である、などと主張しています。
また、鯨類は何千万年も生き続けているのに、増えすぎて他の種に影響があるなんて理屈は通らないとも言います。

ボクは、日本における捕鯨は沿岸か近海のみが伝統に値するとは思いますが、南氷洋での捕鯨は期間が極めて短く伝統とは言いがたいと思います。
確かに国民の貴重な動物性蛋白質の供給もとであった事は事実ですが、現在は珍味として食されるくらいで、なくてはならないものではなくなっています。

日本でも各地で伝統的な鯨漁が行われていました。
和歌山の何とかいう町、北海道でも噴火湾や釧路地方などで何百年も前から沿岸の鯨漁が行われていたことがわかっています。
これらは狩猟枠を決めて、捕鯨を行っていいようには出来るのです。
現に釧路では年に何頭か、調査のためとはいえ捕鯨が許されているはずです。

噴火湾や知床沿岸ではホェールウォッチングが盛んです。
多くの環境客が野生の鯨の姿を見て、心を癒されているのは否めない事実です。

続きます。
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