ボクもそうなんですが大抵の人は、人は誰もが多かれ少なかれ良心を持っているはずだと思っています。
とんでもないのがいても、とっても劣悪な環境に育ったため今は見えないが、心の奥底にはきっと良心があるはずだと。
人は良心があることを前提に教育や矯正を行っているんです。
しかし昨今、どうもそうでは無いらしい。いや,そうでは無いんだと言われています。
1.良心が無い。
2.恥を知らない。
3.責任感が無い。
4.権勢欲が強い。
良心というものがかけらも無く、どんなことをしても罪の意識や良心の呵責を感じない。
どれほど自分本位な有害な、あるいは不道徳な行為をしても恥を全く感じない。
責任という概念は自分には無縁のもので、自分意外のバカなお人好しが文句もいわずに引き受けている重荷としか感じられない。
無責任なくせに権勢欲はやたら強い。
こういう人を(狭義の)サイコパスといいます。(草思社刊、マーサ・スタウト著 良心を持たない人たち より)
こんな風に生きていければ何も悩まずにいられるのに、ボク達はそのような生き方が出来ません。
ボク達は良心があり、恥を知り、責任という概念を持っているからです。
サイコパスとサイコパスでない人は考え方、感じ方、言動が大きく違い、まるで別種の生き物のようです。
ヒトとハイエナが違う種であるのと同様、違う種なのです。
その本によるとアメリカ白人の4%(25人に1人)がサイコパスとのこと。
アメリカ有色人と日本人はそれほどは多くないとのことですが、結構いるんですよね。
サイコパスは昔から存在し、独裁者の多くがそうではなかったかといわれています。
また、近年の殺人犯、宅間守、長崎の少年Aなどが該当しましょう。
サイコパスがみな犯罪者なわけではありません。
何せ1~4%がサイコパスだとすると、周りにごろごろいることになります。
自分は他人とは違うと早くから自覚し、悲しさ、憐れみの情を真似して上手に生きている人もいるようです。
しかし、大半は犯罪者にならないまでも「困ったさん、ごろつき」の嫌われ者として一生を終えるのですが、本人はそんなことは何も気にしない。
どのような行為が恥ずかしいのか、不道徳なのか、無責任なのかを本人は理解する能力が生まれつき欠如しているのだから。
彼らは権勢欲だけは欠如していない場合が多いから、周りは大変で疲れてしまう。
話をして理解しあうことは無駄なのです。
ですからおのずと「泣く子と地頭さんにはかなわない。」と極力関わりを待たない様になります。
しかし、そんなのが自分の家族、自宅の隣人、自分の職場にいた場合、そうはいきません。
不快な思いをしながら最小限の接触は避けられません。
彼らの多くはもともと権勢欲が非常に強いのです。
策を弄することに何の躊躇もなければ恥ずかしいとも思わないのですから、臆面も無く自分本位な言動を繰り返します。
サイコパスに関する本はたくさん出ています。
しかし、このようなときの対処法については、どこにも明確な回答は出ていません。
仕方がありません。
これからボクが寝ないで考えて、考え付いたら続きを書きます。
とんでもないのがいても、とっても劣悪な環境に育ったため今は見えないが、心の奥底にはきっと良心があるはずだと。
人は良心があることを前提に教育や矯正を行っているんです。
しかし昨今、どうもそうでは無いらしい。いや,そうでは無いんだと言われています。
1.良心が無い。
2.恥を知らない。
3.責任感が無い。
4.権勢欲が強い。
良心というものがかけらも無く、どんなことをしても罪の意識や良心の呵責を感じない。
どれほど自分本位な有害な、あるいは不道徳な行為をしても恥を全く感じない。
責任という概念は自分には無縁のもので、自分意外のバカなお人好しが文句もいわずに引き受けている重荷としか感じられない。
無責任なくせに権勢欲はやたら強い。
こういう人を(狭義の)サイコパスといいます。(草思社刊、マーサ・スタウト著 良心を持たない人たち より)
こんな風に生きていければ何も悩まずにいられるのに、ボク達はそのような生き方が出来ません。
ボク達は良心があり、恥を知り、責任という概念を持っているからです。
サイコパスとサイコパスでない人は考え方、感じ方、言動が大きく違い、まるで別種の生き物のようです。
ヒトとハイエナが違う種であるのと同様、違う種なのです。
その本によるとアメリカ白人の4%(25人に1人)がサイコパスとのこと。
アメリカ有色人と日本人はそれほどは多くないとのことですが、結構いるんですよね。
サイコパスは昔から存在し、独裁者の多くがそうではなかったかといわれています。
また、近年の殺人犯、宅間守、長崎の少年Aなどが該当しましょう。
サイコパスがみな犯罪者なわけではありません。
何せ1~4%がサイコパスだとすると、周りにごろごろいることになります。
自分は他人とは違うと早くから自覚し、悲しさ、憐れみの情を真似して上手に生きている人もいるようです。
しかし、大半は犯罪者にならないまでも「困ったさん、ごろつき」の嫌われ者として一生を終えるのですが、本人はそんなことは何も気にしない。
どのような行為が恥ずかしいのか、不道徳なのか、無責任なのかを本人は理解する能力が生まれつき欠如しているのだから。
彼らは権勢欲だけは欠如していない場合が多いから、周りは大変で疲れてしまう。
話をして理解しあうことは無駄なのです。
ですからおのずと「泣く子と地頭さんにはかなわない。」と極力関わりを待たない様になります。
しかし、そんなのが自分の家族、自宅の隣人、自分の職場にいた場合、そうはいきません。
不快な思いをしながら最小限の接触は避けられません。
彼らの多くはもともと権勢欲が非常に強いのです。
策を弄することに何の躊躇もなければ恥ずかしいとも思わないのですから、臆面も無く自分本位な言動を繰り返します。
サイコパスに関する本はたくさん出ています。
しかし、このようなときの対処法については、どこにも明確な回答は出ていません。
仕方がありません。
これからボクが寝ないで考えて、考え付いたら続きを書きます。