アナーキー小池の反体制日記

世界中のひとが 仲良く助け合い ほほえみながら 平和に暮らしていくために (イマジン)

#367 心の病の不思議

2010年01月07日 | 健康と生と死と
前回の心の病を続けます。

その日、彼女(患者)は朝早く主治医の診察室を訪れ「今日はとっても気持ちがいいので外出したい。」と言い出したのです。
そのとき彼女はお化粧をして、入院した時持ってきたよそゆきの衣装を着ていたといいます。
医者は「外出して何をするの?」と尋ねると彼女は「友達にも会いたいし、(昔通った)レストランで食事をする。」と答えたそうです。

驚いた医師は迷ったけど、結局外出を認めました。(心配で尾行をつけたのかもしれません。)

・・・
夕方、彼女は病院に帰ってきました。
医師の診察室を訪れ「今日は楽しかった。友人とも会えていっぱいお話も出来たし、レストランで好みのものを食べることが出来た。」と上機嫌です。
十数年間外出をしていないのに、戸惑うことなく行動できたことを不思議に思った医師が尋ねると、入院してからの出来事は全て記憶しているとのことです。
何にも反応せず、何にも興味を示さなかった(様に見えた)彼女は内面に豊かな世界を持っていたのかもしれません。

翌日医師は、彼女の病室を訪れました。
一昨日までの彼女に戻っていたそうです。
声をかけても何の反応もありません。
昨日の話を持ち出しても、無表情のままです。

彼女はその病院で、その後10年以上入院して、そして亡くなりました。
結局20年以上入院して、たった一日だけが(はたから見て)正常だったのです。
ただ、その一日の前後も全て彼女にとっては豊かな世界の中にいたのかもしれないと、思うことがあると記していました。

経験豊富な精神科医にとっても初めてのケースですし、文献をあさっても他に見ることが出来ないケースだそうです。

不思議に思いますし、人の本質を根底から考え直さなければならない出来事なのかもしれないと思ったりします。
人は将来、想念だけで存在するというSF小説がありましたが、彼女はその先駆けなのかも知れません。
精神病棟には大勢の想念だけで生きている人がいて、正常人には届かないテレパシーのようなもので各々が交信している様を想像してしまいます。

ミミちゃんがたった2日だけ元気になったことが、昔読んだ本のことを思い出させてくれました。

ついでにこの手のことを記そうと思います。
記憶についてです。
記憶といっても新たな記憶が全く出来ないことのことで、この頃よく言われる認知症とはちょっと違います。
次回は脳に障害を受けたことにより、新たな記憶が全く出来なくなる症状とその考察です。
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