アナーキー小池の反体制日記

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#368 人としての存在と記憶

2010年01月09日 | 健康と生と死と
ヒトは異常に発達した大脳を持つことにより、他の種に比べ並外れた思考力を獲得しました。
ただ、ヒトの脳は大脳以外は他の哺乳類とのそれほどの違いはありませんし、大脳の中でも深部は異常ともいえるほどの差は生じていないようです。
そして、思考の原点となる新たな記憶の仕組みも装置も、他の哺乳類と大差はないようです。

新たな記憶は、大脳内深部にある海馬(かいば)が司っているそうです。
その海馬が損傷を受けたならどうなるのか、結構昔から知られていました。
損傷を受けてからは記憶が出来なくなります。
損傷を受ける前の記憶はそのままなのにです。

海馬は、記憶をする一番最初の器官です。
その部分が損なわれると、記憶そのものが全く不能になるのです。

TVや科学雑誌で取り上げられることがありますが、この症状の一番悲惨なのは、他の大脳の部分に損傷のない場合、記憶が出来ないことを自身が認識できますから、自身の人格もしくは存在すら疑問を持ってしまうことのようです。
(このことはアルツハイマー症をはじめとする認知症患者にも共通しているのかもしれません。)

以前TVで観たイギリス?の患者のことを思い出します。
若い男性で弁護士なんですが、事故で海馬を損傷しました。
彼は、新たな記憶は全く出来なくなりました。
でも彼は、自分が記するメモとボイスレコーダーにより弁護士を続けています。

TVでは彼の苦悩が表されていました。
記憶が出来ないということがどのようなものなのか、知ることが出来ました。
ボクたちは記憶が出来ることを、当たり前に生きているんです。
そして、記憶が出来なくなるなんて考えることもしません。

新たな記憶が出来ないということは、当たり前ですが海馬損傷後に出会った人を覚えることも出来事を覚えることも出来ないのです。
海馬損傷前に出会あった人や出来事しか、彼にはわからないのです。

人としての存在は何なのか?
確かに"記憶"が係わっている様に思います。
記憶することを失った人は、人格どころか人としての存在も失ってしまったように感じるのかもしれません。

・・・ボク自身の記憶能力
毎食後飲まなければならない薬を、先ほど飲んだのか飲んでいないのか分からなくなって、ゴミ箱の中をあさり薬の包み紙があるかどうかを確認しなければならないときがしばしばです。
新たな記憶を留められはしませんし、昔の記憶はどんどん失われています。
ボクも自身の存在と人格が危ういところに来ています。
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