マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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小山戸都祁山口神社の上棟祭

2016年07月05日 08時33分41秒 | 奈良市(旧都祁村)へ
何度か行事を取材した奈良市小山戸町に鎮座する都祁山口神社。

20年に一度の造営事業が行われると聞いていた。

隣村の奈良市藺生町の氏子たちがそう話していた。

小山戸・都祁山口神社行事を務めているのは鎮座地の小山戸町と隣接する相河町の氏子たちである。

神社行事はこれまで平成17年・平成18年10月。

友田町鎮座の都祁水分神社へ神さんが戻る還幸祭

平成19年7月は「おせんどう」の名がある参拝所作がある夏神楽

平成20年・平成24年の4月は御田祭

平成24年5月は毛掛籠

平成25年12月は正月飾りを取材してきた。

一方、相河町行事は平成21年1月のオコナイ、平成21年・平成22年9月の薬師籠り、平成22年9月の観音寺会式の寺行事がある。

小山戸都祁山口神社行事の中に特異な行事がある。

一つは御田祭だ。

村神主と総代が所作をする太鼓・鉦を打ちながら田植え唄を奏そうする鍬入れの儀である。

もう一つは夏神楽神事の最中に行われる「おせんどう」がある。

モリガミサン(森神)に向かって拝礼する。

参拝後に戻る参道でカシの木を村神主の襟に引っかける。

県内事例に類例をみない行事は著書の『奈良大和路の年中行事』で紹介している。

造営はこの日の朝から行われると聞いてはいたが、前もって総代や自治会長には取材願いをしてなかった。

設営等に慌ただしく動き回る役員たちの顔ぶれはすっかり替わっていた。



神社社そうの隙間からこぼれる朝の光を浴びる鏡池。

すでにお供えを済ましていた弁天社も撮っていた。



造営神事が行われる場は櫓造りの高台にも挿し込む朝日。

その情景はまるで神さんが降りてきたような感じに思えた。



並べられた日の丸御幣などにも光が差し込む。

櫓造りの高台は紅白の幕を張っていた。



そこに眩い朝の光が舞い降りるかのように差し込んだ。



幕に浮き上がる御幣の影絵が美しく感じられて何度もシャッターを切っていた。



そのときだ。

面会していなかった氏子の一人から声をかけられた。

どうやら私を存知しているようだ。

声をかけたのは目出度い今回の造営事業の代表者。

造営委員長である。

委員長はこれまで進められてきた後を継いで任された自治会長でもある。

大役を任されたのは、たまたま自治会長と重なったからそうなったという。

シャッター音が気になったらしく午後に行われる造営祭典を記録してほしいと願われた。

断る理由は見当たらない。

これまで何度も取材させてもらった年中行事。

これまでの感謝を込めて記念の写真撮りは喜んで受けた。

村の記録係りは櫓の高台で神事を撮る。

私は氏子側から見た境内より記録する。

ボランティア奉仕を受けたものの祭典の流れはどうなっているのか。

進行プログラムを拝見してある程度の流れを頭に叩き込む。

進行表に書いてあった神事の順番は手水・参進、開式の儀、修祓、宮司一拝、降神、献饌、祝詞、棟梁祝詞奏上、弓矢の祓い、曳き綱、槌打ち、撒銭(さんせん)、玉串奉奠、撤饌、昇神、宮司一拝、閉式の辞、退座、直会・・である。

小山戸だけでなく、これまでいくつかの造営祭典を拝見してきた。

外遷宮(仮殿遷座祭や下遷宮の呼称もある)に正遷宮(本殿遷座祭や上遷宮の呼称もある)神事を含めてこれまで15行事を拝見するも、まったく同じ、というものはない。

造営祭典の神事名が同一であっても、村によってそれぞれが選択・決定した祭典は処々が違うのである。

そもそもは、祭典場になる櫓組みが違う。

高さ、広さが違う。

所作をする人も違う。

まったく同じということはあり得ないのであるが、進行プログラムがあれば大いに参考になる。

前日にリハーサルをしていた造営委員たちはこの日もリハーサルをしていた。

造営委員は所定の位置につく。

進行表にそって式典をすすめる。

進行役は司会者だ。

立ち位置、動作、所作、台詞などを読み合わせて流れを掴む。

午後に到着した神職も交えて最後の調製もする。



そのころには氏子たちがやってきて参拝をする。

境内に設えた櫓下に花を飾って賽銭箱を置いた。

拝礼をするにも新しくなった社殿はここから見えない。

櫓の向こう側に出向いて手を合わせる。

祭典は午後2時より始まる。

先に来られた方にアナウンス。

「みなさん、こんにちは。本日はご参拝ありがとうございます。御造営式典は午後2時より始めさせていただきますのでしばらくお待ちください」だ。

大勢の人たちが参拝する僅かな時間に記念写真。

設営、リハーサルを終えた造営委員並びに棟梁、神職、村神主、村の楽人、来賓たちが櫓前に並ぶ。

これもまた進行表に書いてあった。

祭典が始まる前から緊張した顔が並ぶ。

「撮りまっせー」と声をかけてシャッターを押す。



そこへ走り抜けた子供がストロボに同調する。

一瞬の動きに驚く顔は笑顔になった。

緊張がときほぐれた一瞬でもある。

小山戸の造営事業は平成25年1月に造営委員会を立ち上げた。

同年4月14日は清祓い式。



本殿、小社、石段、舞殿の補修など、これまで数々の事業を進めてきた。

境内は溢れる人、人、人で埋め尽くされる。

そうして神事が始まった。

始めに修祓だ。

境内に居る氏子たちに祓ってくださる禰宜さんは都祁針在住の春日神社の堂脇喜文宮司さん。

お会いするのは3年ぶりだろうか。



撮った写真でお顔を見れば、目線がこちらに向かって見ているようだ。

神事は弓矢の祓いに移る。

始めに神職が行う四方祓い。



櫓に設えた弓矢のところからキリヌサを撒く。

神職は友田町に鎮座する都祁水分神社の西口学宮司さん。

一週間前にも兼務社になる白石町・国津神社ならびに藺生町・葛神社の造営祭典に出仕されていた。

4年前の平成23年は南之庄町・国津神社の造営祭典も斎主を務めていた。

キリヌサの次は造営委員長と副委員長が登場する。

委員長は西、副委員長は東の弓矢の位置に着く。



二人が揃ったところで「えい、えい、えーい」の掛け声。

弓を引く真似をされたが、撮影場は動くこともできず、反対側の東についた副委員長の姿はとらえることができない。

弓矢祓いの次は曳き綱だ。

進行役の指示に従って参列者は曳き綱の下につく。

氏子全員が並ぶのは無理がある。

近くに居た人たちは幸運の持ち主であろう。

棟梁は御幣を手にして櫓中央に立つ。

棟梁は左上、右上、左上に向けて突き上げるように振幣をする。



その際には「えーえ、えーい、えーい」と掛け声をかけて振りあげる。

それを合図に綱をもつ氏子たちは「オー」と声をかける。

綱は引っ張ることなく、これもまた真似をするだけだ。

この曳き綱所作は3回繰り返した。

曳き綱の次は槌打ち。



カラフル装飾した槌の紋様に目がいく。

剣先と思える位置に「上」の文字がある。

これは「上棟式」を意味する「上」である。

藺生ではまさに「上棟祭」の文字が柄に書いてあった。

槌の文字や絵柄も違いが見られる奈良・大和の造営祭典。

コレクションをする人が居るのかどうか・・知らない。

その槌を手にして櫓に立つ人は来賓者や造営委員ら。

中央に立つ棟梁は「千、歳、棟」と唱えながら日の丸御幣を左上、右上、左上に突き上げて床面の板に打ち当てる。



槌を持った参列者は「オー」と応えて、槌を前面に置いた棟木に打ち下ろす所作をする。

続いて同様に二度目は「万、歳、棟」。

三度目は「永、栄、棟」だ。

それぞれ漢字を充てたらよく判る目出度い詞である。

来賓者はリハーサルもなく一発勝負。

息が揃うことはない。

境内に群がるように参拝される氏子たち。



目と目が合った婦人。

左隣に居る男性は旦那さんだ。

夫妻が住む村は室生の染田。

長年に亘って野鍛冶をしてきた。

幾度となく伺う野鍛冶夫妻は前週の藺生でもお会いした。

妹さんが嫁いだ藺生も小山戸も親戚筋になる。

ここ小山戸では染田住民の他に、前日に伺った桜井市白木の中白木住民。

なんと二人も、である。

もう一人は若干の高齢者。

どこかで見たことあるような・・思いだせない。

その男性が応えてくれた地は桜井市の三谷。

オンダ祭などで世話になった男性だ。

隣村の南之庄の男性は元総代。

藺生は元社守。

しかもだ。

ここより遠く離れた山添村の的野の総代も出合う。

小山戸では前自治会長や元総代の奥さんにも出合う。



本来の撒銭(さんせん)は櫓から東北の方角に向けて三度、西南も同じく三度撒く。

そう書いていた進行表を覆す急な対応措置。

氏子全員が、できる限り受け取れるように・・という配慮を決行する。

禰宜から受け取った撒銭の三方を手にした造営委員長は境内を駆け巡る。



手を差し出す氏子の手のひら。

紅白の紐を結んだ五円玉を配って撒いた。

造営祭典の〆は目出度い祝いの御供餅撒き。



待ち焦がれた境内にひしめく氏子たちに向けて撒く。

餅争奪戦が始まった。

櫓から撒いた餅が飛び交う。

祝をゲットしたい手が伸びる。



こっちに投げてとか、歓声も飛び交う。

こうして造営祭典を終えた一行は参籠所で直会をされる。

造営委員長の乾杯で、20年後に行われる次世代の村人のために今日の祭典を継いだ。

(H27.10.18 EOS40D撮影)