20年に一度の村の祭りは数えること数百人。
上棟祭とも呼ばれている都祁南之庄の国津神社の造営祭典の受付を済ませて、巫女が酌をされる祝いの樽酒をいただく。
さて、祭典はといえば高い舞台の上。
両側には大きな弓矢が見られる。
弓始式で行われるカブラ矢だ。
そこからは鳥居を経て向こう先まで紅白の綱が引かれている。
参拝者はその下から見上げるほどに高く、そこで行われる祓いの儀、降神の儀、祝詞奏上、造営工事を請け負った棟梁の祝詞奏上などの神事を拝見することはできない。
僅かながら舞台下からその作法を垣間見る切麻(キリヌサ)の儀、撒米(サンマイ)の儀、槌打ちの儀、撒餞(さんせん)の儀。
撒かれた撒餞は紅白の紐で括られた五円玉。
それは重さがあるだけに遠くまで飛んでいく。
手に入れようと歓声が飛び交い村人の手が舞う。
手水の屋根まで届いた撒餞もある。
槌打ちの儀では20年後には若者になる代表者として小学生も参列される。
次の時代の造営の後継者だと紹介された。
宮守さんや宮造りに従事した人たちが並んで槌を持つ。
「せんねん、と おー」でトン。「まんねん、と おー」でもトンと打つ槌音。
さらに「えいえい、とー おー」と目出度い槌打ちの儀は「まんねん」が2回で「えいえい」は3回も繰り返された。
宮造りに従事した人たちの玉串奉奠を経て撒餅(さんぺい)の儀。
それは造営の挨拶を経て行われたモチマキである。
手に入れようと集まった村人たち。
南之庄は40戸の地区。
滅多に見られない村の風景は人、人、人の群衆である。
目出度い御供モチは一戸あたり250個になるよう寄進された。
大量のモチは群がる人たちで境内も埋め尽くす。
そうして村の祭典を終えた氏子たちは御幣や記念品を貰って帰る。
この日は親戚中も集まって各家の祭りごとに転じていった。
(H23.11.12 EOS40D撮影)
上棟祭とも呼ばれている都祁南之庄の国津神社の造営祭典の受付を済ませて、巫女が酌をされる祝いの樽酒をいただく。
さて、祭典はといえば高い舞台の上。
両側には大きな弓矢が見られる。
弓始式で行われるカブラ矢だ。
そこからは鳥居を経て向こう先まで紅白の綱が引かれている。
参拝者はその下から見上げるほどに高く、そこで行われる祓いの儀、降神の儀、祝詞奏上、造営工事を請け負った棟梁の祝詞奏上などの神事を拝見することはできない。
僅かながら舞台下からその作法を垣間見る切麻(キリヌサ)の儀、撒米(サンマイ)の儀、槌打ちの儀、撒餞(さんせん)の儀。
撒かれた撒餞は紅白の紐で括られた五円玉。
それは重さがあるだけに遠くまで飛んでいく。
手に入れようと歓声が飛び交い村人の手が舞う。
手水の屋根まで届いた撒餞もある。
槌打ちの儀では20年後には若者になる代表者として小学生も参列される。
次の時代の造営の後継者だと紹介された。
宮守さんや宮造りに従事した人たちが並んで槌を持つ。
「せんねん、と おー」でトン。「まんねん、と おー」でもトンと打つ槌音。
さらに「えいえい、とー おー」と目出度い槌打ちの儀は「まんねん」が2回で「えいえい」は3回も繰り返された。
宮造りに従事した人たちの玉串奉奠を経て撒餅(さんぺい)の儀。
それは造営の挨拶を経て行われたモチマキである。
手に入れようと集まった村人たち。
南之庄は40戸の地区。
滅多に見られない村の風景は人、人、人の群衆である。
目出度い御供モチは一戸あたり250個になるよう寄進された。
大量のモチは群がる人たちで境内も埋め尽くす。
そうして村の祭典を終えた氏子たちは御幣や記念品を貰って帰る。
この日は親戚中も集まって各家の祭りごとに転じていった。
(H23.11.12 EOS40D撮影)