ゴダールの作品でときどき物理学へのまなざしを感じるのが気になる。
といっても思い当たるのは2作品だけ。
アルファヴィルでまたたく「E=MC2」のネオンサイン。
それから「アワーミュージック」での、ハイゼンベルクとボーアの逸話。
一般相対論と量子力学。
これらは、いずれも、わたしたちの普通の感覚、「常識」をひっくり返すような内容を持っている。
一般相対論では時間が相対的であることを、量子力学では物質の位置と速度は同時には確定できないことを示している。
だからなに?ってこともないんですけど。
ゴダールって、常に「現実をひっくり返す現実」を気にしているような気がする。
哲学者とただの女の子との対話とかも、認識論と現実を戦わせているようでもあるし。
戦争へのまなざしも御しがたい現実だし。
でその一環として、物理学も気になるんだと思う、ゴダールは。
きっとしっかりと向き合うのは気がひけているけれど、でも目配せはしちゃう、みたいな(笑)
いつの日かがっぷりと向き合ってゴダール的SFの現在形を撮るかもしれない。
そのときは三度レミー・コーションの登場なるだろうか。
といっても思い当たるのは2作品だけ。
アルファヴィルでまたたく「E=MC2」のネオンサイン。
それから「アワーミュージック」での、ハイゼンベルクとボーアの逸話。
一般相対論と量子力学。
これらは、いずれも、わたしたちの普通の感覚、「常識」をひっくり返すような内容を持っている。
一般相対論では時間が相対的であることを、量子力学では物質の位置と速度は同時には確定できないことを示している。
だからなに?ってこともないんですけど。
ゴダールって、常に「現実をひっくり返す現実」を気にしているような気がする。
哲学者とただの女の子との対話とかも、認識論と現実を戦わせているようでもあるし。
戦争へのまなざしも御しがたい現実だし。
でその一環として、物理学も気になるんだと思う、ゴダールは。
きっとしっかりと向き合うのは気がひけているけれど、でも目配せはしちゃう、みたいな(笑)
いつの日かがっぷりと向き合ってゴダール的SFの現在形を撮るかもしれない。
そのときは三度レミー・コーションの登場なるだろうか。
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たとえばだ、ゴダールの作品の中で男と女が、「桃太郎」について語る。そこに私たちは意味を求めるだろう。
映画が表象するもの、それをゴダールは意図していない。フィルムに刻まれたものは物語。音。そう会話も音の一部だ。語られる内容ではなく語り自体が重要なのだ。
だから、ゴダールの映画は美しく官能的だ。
音楽であり、絵画である。
思考するべきではなく、ただ感じる。
それがゴダールという時間を最も濃密に受け止める方法だ。
とかって、俺なんか思うけど、どや?
はじめまして
ゴダールの会話や式に特に意味はない。ただそこにゴダールの言い尽くせない嗅覚の発露があると思います。
ゴダールという嗅覚の時空を全身で感じ取ること。これが一番刺激的な受け止め方だと思います。
その上でなおも意味や思想を求めることもできる多層的な映画を撮る人だと思います。
ってので、どお?