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Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー「13回の新月のある年に」

2007-02-04 20:01:21 | cinema
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーDVD-BOX 2

紀伊國屋書店

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1978ドイツ/フランス
監督・製作・脚本・撮影・美術・編集:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
出演:フォルカー・シュペングラー、イングリット・カーフェン、ゴットフリード・ヨーン、エリーザベト・トリッセナー、エーファ・マッテス


これもすごい映画だった。
ファスビンダーという人は、救いとか解決とか和解とか昇華とか、そういうことはまったく考えていないかのようだ。絶望ですら混沌のなかで不意に訪れる。重苦しさですら虚飾なのだ。この人生という不条理のなかでは。

エルヴィラは性転換で女性となった元男性。過去に愛した男の「おまえが女だったらな」という一言で、カサブランカで手術を受けてしまうが、そもそも自分が女性になりたかったのかどうかも定かではない。
だからその感情の軌跡はとっても複雑だ。
愛した男からの愛は結局得られないし、その後の連れ合いとなったクリストフには愛想つかされて出ていかれるし。
人恋しくて男娼あさりにでかけるが、そのときは男装して出ていく。女として男を買うのは耐えられないという。
この目眩感。
この映画は、エルヴィラの最期の5日間のさまよいと出会いと別れを描いた作品である。

***

愛への渇望からの行動だったのに、その結果は、最も愛から遠いところに来てしまったエルヴィラ。
ファスビンダーは社会の規範からはみだした人間の悲喜劇をモチーフにする。
規範という衣の窮屈さをつきつける一方で、規範を逸脱した人間の自己崩壊の姿も見せつける。
セクシャリティの規範だけでない。業、失業者、娼婦、性格破綻の成功者、隠遁するヒッピー、自殺者など、様々な境界者によって、逸脱の苦悩が重層的に描かれる。
ある種の人々にとってこの世界は逸脱せずには生きられない。そしてある種の人々にとってこの世界はどこに行っても救いはない。

観ていて、心の奥底が震えた。悲しみでも憐憫でもなく共感でも同意でもない、歴然とした絶望の行き着く先に。


***

タイトルだけど、冒頭のテロップではこうだ。

「太陰年は7年に一度巡ってくる。その年は人の心は内にこもりがちになる。
 新月が13回ある年も同様だ。
 だからその両方が重なる年には、人によっては破滅は避けられない。」
(うろおぼえ)

ふうん。

太陰年が7年周期、というのはどういうことか、ネットで調べてみたけれどよくわからなかった。
新月が13回というのはわかる。
月の満ち欠けに基づく太陰暦では1年は355日くらいで、一方地球の公転に基づく太陽暦では365日。だから、年によって満月や新月は12回か13回なのだ。

でこの映画がつくられた1978年というのがまさにこの「重なる年」なのだそうだ。
そしてこの映画は、彼のプライヴェートなパートナーだったアルミン・マイヤーの自殺を契機に製作されたと言われている。映画以上に厳しい現実を生きていたのだろうかと想像する。


1992も「重なる年」だったらしい。次はいつか・・がよく分からない。
7年周期の方は、1999、2006、2013・・・ということだよね。
ふうむ・・

***

のシーンは衝撃的。で、そこにエルヴィラの独白が延々かぶさる。
ラストのインタビュー録音や途中の修道院でのエルヴィラの生い立ちなんかも、映像に独白と音楽が折り重なって、視覚と聴覚フル回転の表現が圧倒的。
これがスタッフをほとんど使わず自らの手で作り上げた映像というのもすごいかも。

イングリット・カーフェンのツォラが唯一暖かみのある存在。
でも最期にはやっぱり関わりを持てない。

アントンの社員たちの行動はぶっ飛んでいて大笑い。なのに笑っちゃいけないんじゃないか?というくらい本人達は真剣。これがユーモアなのだとしたら、それは恐ろしい世界だ。


ファスビンダーで1本といわれたらこれを挙げるかもしれないな。
(今のところね)


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