モレルの発明 第2版 (フィクションの楽しみ)アドルフォ・ビオイ・カサーレス水声社このアイテムの詳細を見る |
ボルヘスとの共編書でも名高いビオイ=カサーレスの最初期の作品を読む。この本を手に出来るようになったのも、近日公開クエイ兄弟の「ピアノチューナー・オブ・アースクエイク」のインスピレーション源となった作品ということで、新装再版となったからである。
書店に平積みである。
すごい。
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近づくと謎の疫病に冒されるとか、停泊していた船が発見され即座に爆破されたとか、怪しい話のある無人島に、世を追われて逃げ込んだと思しき男。廃墟となった「博物館」を根城に暮らしていたが、ある日突然、数人の男女が現れ、談笑したり踊ったりしているのに出くわし、ねぐらを追われ、満潮時には波に洗われるような低地での暮らしを余儀なくされる。
彼らはいったい何者なのか?どこからいつこの島にやって来たのか?その目的は?
追われる身である男の胸中はぐるぐるに渦巻くが、そうこうするうちに、どうしたことか太陽が二つ、月も二つ見える。。なんなんだこれは??
そこには意外な真相が・・・・
というような話です。
しかし、真相がどうであるかという謎解き自体にこの小説の魅力があるわけではない。島に張り巡らされた仕掛けのなかに生きることになった男の、その生の変容が魅力的なのだ。
そしてモレルという男の発明の背後にある、偏執狂的な生き方に対し、男がどのように関わっていき、どのようにモレルの精神を変調していくかということが面白いのだ。
写像が実像に限りなく近づく時、写実の関係はどう変転するか、あるいはそのとき存在はどちらの側にあるかという、実存論的な主題は(いかにもボルヘスが好みそうなものだが)この小説の最初の核になるが、いっそう面白いのは、写像の世界を生きる自分をまた写像化して、それをさらにそとから眺めるという視点の入れ子構造に発展していくところだ。
五感すべてに訴える写像を可能にするテクノロジーへの言及や、それを記録する媒体や装置の設定などは、まともにリアリズムで見てしまうとなんともこころもとないが、そういう魔法か技術かという境界的なファンタジーこそむしろラテンアメリカ文学らしい「怪しさ」をいっそう引き立てていると思う。そこを飲み込んで、存在論的主題の変奏をじっくり味わえば、ラテンアメリカ文学の驚くべきダイナミズムを味わえるだろう。
そしてあとがきによりこの小説が1940年の刊行であることを知り、さらに驚くことだろう。
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そしてクエイ兄弟が2005年にこの作品をどのように変奏したのか、これもまた楽しみである。(きっと似ても似つかないモノに仕上がっていることだろう)
寝ない時間帯に劇場に行きたいと思う。
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早速、読むべきリストに入れておきますね。
仕事が忙しくて、全然本を読まなくなってしばらく経つのですが、
やはり本は自分の糧になりますね。
コメントもとても面白そうで、興味を魅かれます。
映画の前に読めるかしら・・。
映画のほうはあとはレーモン・ルーセル「ロクス・ソルス」も下敷きにしてるという話ですから、まったくどうなっちゃうんだか想像つきませんね。
こっちはまだ読んでません。いずれは読まないとな~