「奇跡の丘」の前にこっちから観ました。
観たのはワーナー・ホーム・ビデオ版で、修正ありでした。
でも長さは「オリジナル全長版」と同じ117分でした。
期待?しすぎたせいか、意外とあっさり観てしまった。
どぎつい描写もあるにはあるけれど、巧妙に緩衝されている感じで、
全体的に妙にのんびりした雰囲気だったのが意外だった。
でもパゾリーニ映画として考えると、
独特の乾いた画面やシンメトリックなセット、
残虐を描くときの、見せる物と見せない物の区分、
妙に儀式めいた物語の進み方、
悲惨のさなかに軽妙につっぷんする終わり方、
なんかはとってもパゾらしい!
ナチス・ドイツ占領下のイタリア・・という設定もぜ~んぜん掘り下げないし、
これはやっぱりサドにインスパイアされた映画なんだろう。
だから別に戦時下での残虐を告発する!とかいう社会派じゃなくて、
かといって、変態さんむけに興奮を誘うS物映画でもない。
Sとはなんぞや、ということを語る寓話なんじゃないかな。
そういう緩さ、今は喜ぶ人少なそうだよなあ(^^;)
そういや冒頭のクレジットに「参考文献」なんてのが出てきて、
そこにロラン・バルトだのモーリス・ブランショだの
ピエール・クロソウスキーだのフィリップ・ソレルスだのと
並んでいるところをみると、これはやっぱり文芸・哲学映画しようとしてたりして(笑)
うーんでもこういうのの当事者が観たら、全然別物になっちゃうんだろうなあ。
それはまた違う観点があるんだろうなあ・・・・
あと、エンニオ・モリコーネが音楽監督をしてる。
けど、音楽って各幕を彩る陰気なピアノ演奏くらいだよなー
ここはこの曲でどう?とかいう仕事かなー(選曲さん?)
パゾリーニ好きじゃなかったらわざわざ観る必要はないかも・・・
でもこれ観てからごはん食えます私(笑)
わたしが「ソドム」を観たのはもう6、7年前になるんですが、その間に頭の中で妄想を膨らませてしまっていたのかもしれませんね。未だに思い出すと緊張して手に汗がにじみ出ます。
でもお陰様でなんだか勇気が湧いてきたので、近いうちに再挑戦してみてもいいかな?という気になってきました。極太黒糖かりんとう(アレに似てません?)でも食べながら(笑)
私は予言?通りソドムのあと昼食を食べ、そのあと「奇跡の丘」まで観てしまいました。感想は次回アップ予定ですがこれから出かけないといけないので・・・パゾリーニ映画祭続行中です。
にしてもひとりパゾリーニ映画祭はすごいスピードで進行してますね。
ひとりだったら…2日に1本とか?
気力・体力とも落ちてるのかも。
一日2本はやっぱり疲れました(内1本はソドムだしね)。
昔は1日3本はいけたんですけど、今はかなり無理だなあ・・・
・・・体調的にも経済的にも週2本くらいがちょうどいいんですけどね。
メシ食えるですか・・・。
ボクも○○○の話は好きだけどアレを観たら
ウゲでした。
エンニオ・モリコーネってデ・ニーロの
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカの
音楽担当してましたね。あと撮影監督の人も。
あ、ちなみにボクはパゾリーニは大嫌いです ^^;
でも「ソドム」への反応としてはまっとうですよね(笑)
エンニオ・モリコーネは他にもベルトルッチの「1900年」とかいろいろなところで職人芸を発揮してますね。
変わったところではたしかエクソシスト2がエンニオ・モリコーネではなかったかと・・・
新宿のポルノ映画館にて
『サロン・キティ』と2本立で浪人時代に見たきりです。
ヘルムート・バーガー目当ての女性客が多くて驚いたのですが、
スクリーンにカメラを向けてフラッシュを焚いてたファンには
呆れました(写んないし...)。
で、
『ソドムの市』ですが
自分は結構すれてるなんて当時思い込んでいたのですが、
敗北。食事する気になりませんでした。
例の場面で、ポルノと間違えて入ってきたらしい?
オジさんたちが続々と席を立ったのを良く覚えています。
その他の場面は平気だったのですが...。
若い男女のセックス・シーンが少しもエロティックではなく、
至極真っ当に見えたのも覚えていますし、
オッサンたちのライン・ダンスも。
そうそう、確認したかったのですが、
それらを見ていた若い兵士2人の
「君、恋人は?」とかいう台詞でブツっと終わった記憶は、
自分の捏造なんでしょうか?
確認しようと思いつつ、年月は経ってしまっていたのでした。
そろそろ再見しなきゃあ。
あまりにぷっつんときたので、最後の台詞を覚えてはいないんですけど、若い兵士の会話で終わってました。
最後の残虐が克明に描かれていたら私も降参したかも知れません。
あらゆるタブーへの挑戦をしようという、その姿勢にエールを送りたくなる気持ちは、分かります。
ファシズムへの掘り下げや、歴史的背景に言及が浅いあたりは、自分は、manimaniさんと同じように、人間の残虐性への寓話として、嫌いではないです。
ただ、なす術もなく服従せざるを得ない、数では勝るところの奴隷たちの姿を見るのが、イライラしてしまいました。
服従・被服従の心理的力学を描いたものとしては、『エス』を見た時と同じように、頭にきて暴れかねない私がいました。
今思うと「エス」は実はソドムに近いのかもしれませんね。支配と被支配の力学を残虐性を隠れ蓑にして描くという。
四方田犬彦の「映画と表象不可能性」(だったかな??)という本でソドムの論考がありますね。
やっぱりもう一度観たい(ような観たくないような)です。