Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「テナント/恐怖を借りた男」ロマン・ポランスキー

2017-01-02 01:06:28 | cinema
テナント/恐怖を借りた男 [DVD]
クリエーター情報なし
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン


すげー遂にDVD出た~と感動して買ったが1年以上積んであったこいつを観ました。
心のふるさとポランスキーにはずれ無しというわけですが、
やはり面白かったですねー

周りが俺を陥れようとしている!みんなグルだ!
という、それが真実なのか妄想なのかよくわからんというような設定は、
ベタといえばベタなんだけど、やはり好きなんだよね。体質的に。

でもまてよ?このトレルコフスキ君のケースは、むしろ
それ絶対妄想だよっていう内容だな。。
本当に周囲が彼を陥れようとしているのではないか?と
観客に思わせるような要素はなにもない・・・

ということで、虚実の閾が揺らぐことで盛り上げるサスペンスではないのだな。
妄想が出来上がっていく様子を内面から描いている、その怖さだと思う。


完全に想像だけど、ローラン・トポルもポランスキーも
気難しい隣人に恵まれるということは、これだけヤバいことなんだよな、
という実感をベースに不条理サスペンスを仕立てたのではないかしら。
パリの住宅事情的にはこういうトラブル?は多そうだし、
その身近なわずらわしさをネタにひとつ書いてやったという感じ。

確かに隣人たちは気難しい性格を普通に振りまいているだけで、
そしてそれがこの映画では一番怖い(苦笑)
村八分にするための嘆願書に署名を求められるとか
自分もいつのまにか告発されてるとか
怖い~

だから、具体的な陰謀的行動は特に出てこないんだけど、
とにかくどんどん追い詰められちゃうというところが面白いと思うのよね。

***

細部が豊かでとてもよい。

くりかえし出てくる、誰かがドアをノックする、という状況。
それぞれはそんなに変な用事ではないんだけど、これが執拗に繰り返されることで、
どんどんストレスが溜まっていくのがよくわかる。
(ステラの家でもそれが反復されて、またすこし頭のねじがいかれる・・)

テーブルを動かそうとしてボトルを割ってしまうとか
朝起きてベッドから降りようとすると、散乱した食べ残しが足の裏に付くとか、
いわくつきの水道の蛇口をひねると、水道管が振動して壁に掛けられた鍋がカタカタ鳴るとか
警察で出した身分証明書がボロボロだとか
村八分にあう家族の娘がすごい無表情だとか
警察の人がめちゃめちゃ高圧的だとか
そういうあらゆる細部に不安なものを忍ばせていく技はとてもよい。

ストーリー的な不安だけでなくてそういう細部が生理に訴えるような不安でどんどん観客も追い込んでいくのですね。


あと、後半にいくにつれて、どんどん変なエピソードがさしはさまれていくのもよい。
アパートの玄関はいって明かりをつけたらいきなり誰かがいて仰天するとか、
熱が出て夜中にトイレ(問題のトイレ!)にいくと壁に象形文字が書いてあるとか、
公園の池で子供をひっぱたくとか
どんどんヤバくなってくる。

そうやって重層的にヤバさを織り込んでいく丹念なところが好きですね~

****

最後に、大きな円環がつながって、恐怖が輪廻するんじゃん??という終わり方は
実に好みです。
あそこでなぜ叫んだかが一気に理解されて幕となる、素晴らしい終わり方。

もうベタ褒め。


あの病床での恐怖を象徴する姿は、即座にシュヴァンクマイエル的な怖さ
=東欧的な恐怖の図像なんだろうと思わせる。
最後にアソコにむけてアップになるのもシュヴァンクマイエル的。
おそらくポランスキーは初期のシュヴァンクマイエルの短編を観ているのではないか?
と勝手な想像をしてみる。

シモーヌがほぼ全く生前の姿を見せないのも周到。


*****

イザベル・アジャーニはおいしいポジションでありつつも、あまり本筋には貢献してない印象。
「アデルの恋の物語」の翌年の作品ながら、イザベルの印象は全く違うね。

撮影はスヴェン・ニクヴィストなんだけど、
このDVDではかなり鮮明な映像。ビデオ作品風な質感もあり、あまりニクヴィスト的でない、
DVD化するときの問題なのかどうか?




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