Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「ニックス・ムービー 水上の稲妻」ニコラス・レイ/ヴィム・ヴェンダース

2013-07-29 00:01:45 | cinema
ニックス・ムービー 水上の稲妻 デジタルニューマスター版 [DVD]
クリエーター情報なし
東北新社


ニックス・ムービー/水上の稲妻
NICK'S FILM LIGHTNING OVER WATER
1980西ドイツ
監督:ヴィム・ヴェンダース、ニコラス・レイ


葛藤もまた作為の内みたいなヴェンダースのあざといところも感じなくはないが、
そのように、映画を撮っているうちに、撮っている自分や撮影隊の抱えるジレンマみたいなのが
関心の中央に居座ってしまい、しかもそれをまた撮影の対象にしてしまわないと気が済まず、
最終的にも作品に反映させてしまうみたいな、変に愚直なこらえ性のなさが、
ヴェンダースをしてある種の越境者たらしめているのはまた間違いないのである。

少なくとも初期においての彼の越境は、あざとさではなく愚直+節操のなさなのだと思う。

映画としてのたしなみをここでは軽々と(あるいは重々しく)乗り越えて、
劇映画と、それを撮るクルーや監督そして被写体の素の姿を含む「メイキング」が混然とした本作は、
結果として構造的に、あるいは映画が現前せしむものの復層性の点で大変面白いものとして出来上がっていて、
しかしそれは上述したようにニックの最期のときに当って、撮るべきか否かみたいな悩みを
あろうことか主題のひとつとしてしまうことでようやく完成した境地なのであって、
もしかしたら真摯な監督なら、あるいは潔癖な監督なら、当初のニックとの合作劇映画がなし得ないとなった時点で
失敗した企画として葬り去ったかもしれないし、あるいは、いさぎよくニックの最期のときのドキュメンタリーとして
方向を転換していたかも知れない。

もしかしたら我々はこれを不遜な作品として糾弾すべきだったのかもしれない。
ニコラス・レイは当然仕上がった作品を観てはいないし、ニックの衰弱する様を前にして迷い悩む自分たちを作品に繰り込むことによって成立した「面白さ」を糾弾すべきだったのかもしれない。

が、われわれは受け入れてしまった。
何十年も前に。
病に冒された人と、近しい人との間の、ひとによって様々であるがゆえにひとつひとつの出来事が特別な意味を持つ点で共通する普遍性をもちながら、二人の映画監督の関係性を生き生きと伝え、我々の共感をつかみ取る映画として受け入れてしまった。
この映画の後に我々はいて、なお映画の可能性について考えている。
ひとつの無作法な越境によって可能となった映画の可能性を無視して先に進むことはできないでいる。

****

なんちってちょっと真面目モードにしてみました。

冒頭ヴィムがタクシーを降りる路地のはるか先に見える二つの塔に
今の我々は愕然とする。
そういう映像を残してしまうのもヴェンダースらしい気がする。
象徴的なものに着目する視点はテロリストと共通するものなのかもしれない(と不穏なことを)。

作品内でニックの遺作であるWe can't go home againの一部が映るのだが、
先日こいつが公開されていたのだが見逃した。。残念。
むしろそちらを見るべきだったのかも。

同じくニックの監督作『ラスティ・メン』の一部が、ニックの講演での上映という形で紹介されるが、
それがヴェンダースの『さすらい』の一場面とそっくりで、ああ元ネタってのはあるんだなと変に感心した。



@自宅DVD

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2 コメント

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冒頭の (st/ST)
2013-07-29 01:10:24
ショットは確か、N・レイも出てた『アメリカの友人』と相似形になってるという記憶があります。もしかしたら、『NYからの手紙』とかとの勘違いかも。
映画的には『ことの次第』との繋がりを深く感じた作品でした。

この作品は大学時代に、ドイツ文化センターでのヴェンダース特集が初見でした。
『都会のアリス』も『パリ・テキサス』もまだまだ公開前という時期の話。

この映画、ボブ・ディランのローリング・サンダー・レヴュー絡みで我々にはお馴染み、ロニー・ブレイクリーが噛んでませんでしたっけ?
それで(勝手な推理でしたが)、大学時代、四方田氏に、同レヴュー・ツアーに脚本家として同行して結局旅日記を仕上げたサム・シェパードと、ヴェンダースの繋がり(=『パリ・テキサス』)に、ロニー・ブレイクリーが間に入ってる可能性があるかも?と伝えたことがあります。結果的にディラン絡みで繋がる線ということで…。
ヴェンダースとロニー・ブレイクリーは当時恋仲だった(『都会のアリス』や『アメリカの友人』に出てる彼女と別れた後?)という文章をどこかで読んだ憶えがありますが、どう知り合ったのかは不明。
また、ロニー・ブレイクリーはその前はディランの恋人だったという噂もアリ…。
そうです。 (すた)
2013-07-30 00:00:26
☆st/STさま☆
そうです。『アメリカの友人』と全く同じ場所です。
で、ロニーのことも書くのを忘れていましたが、この作品では出演もしつつ音楽もロニーのものが使われています。
ロニーとヴィムはちょうどこの作品のころには結婚していて、2年くらい後に離婚していますね。
ここではヴィムが『ハメット』の脚本を仕上げるためにロスかどっかに呼ばれて、でNYに帰って来るときにロニーを同行していますです。
そういえばどこで知り合ったんでしょうね彼らはw

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