Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「家族の肖像」ルキノ・ヴィスコンティ

2017-03-08 02:27:14 | cinema
「家族の肖像」39年ぶりの劇場公開観てきました@岩波ホール。

自分が観たのが39年前の岩波ホールだったかというと定かではないんですが、
どこかの名画座的なところで後年観たのではないかしら。

驚くほど内容をよく覚えていてびっくり。
自分のヨーロッパ映画体験の最初期になるので記憶してるのかしら。
サントラも一部は一緒に歌える。

イヴァ・ザニッキの歌う例の曲も、待ってましたヤンヤヤンヤな感じですw
これは後にミック・カーンが最初のソロアルバムでカヴァーしていたので、そのせいもありましょう。
Testarda io(A distância)(心遥かに)

♫ Iva Zanicchi ♪ Testarda Io (1974) ♫ Video & Audio Restaurati HD


Mick Karn - Sensitive



さて、映画のほうですが、
バート・ランカスターをはじめ、出演者が一人ひとり個性的で印象深い。

教授が、古い価値観にとらわれながらも、凝り固まることなく常に誠実に振る舞う結果、
新しい「家族」に心を開くのですが、そのことを手放しに讃えることなく、
コンラッド(ヘルムート・バーガー)は最後に皆にそれぞれの「罪」を負わせるような形で去る。

しかもそのうえ、ビアンカに、我々はいつかコンラッドのことを忘れる、とさえ言わせる。
この奥行きがたまらんですよ。

この過程を、完全に教授の住居内だけで描き出すのも見事。
ヴィスコンティが病身を押しての撮影ということもあるのかもしれませんが、
制約が見事によい方向に作用した好例。
若者たちが行く船旅とか、ミュンヘンへのドライブとかの情景が
観客の想像力を刺激してありありと浮かんでくる。


ノークレジットで出演のドミニク・サンダが、愛憎でほろ苦く彩られた過去を強烈に体現して、
場をかっさらうのもすごい。
一切説明がないのに、ドミニクは母親(の思い出)、クラウディア・カルディナーレは妻(の思い出)、と
はっきりわかる不思議。

もし映画の脚本を書くとしたら、
こういう脚本を書きたい。
映画はこうでないとね。

****


あと、予期せぬことでしたが、新編集プログラムの販売あり。
こうなるともう記念品ですな。
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