♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神にとって不可能なことは / 岩井基雄

2014年01月24日 | Weblog
2014/1/24放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。 神様に信頼を置く者は試練をも喜ぶことができるっていう事を最終学びましたが、実際に闘いの最中にある時、本当にその試練を受けとめ、神様への信頼や信仰を明らかにすることは決して容易なことではありませんね。神の人アブラハムにとっても同じでした。彼は正しく神を畏れ、信仰の父とも呼ばれる人でしたが、最初からそうだった訳ではなく、まさに試練の中で神様への信頼を学び続けていった人なのです。

 アブラハムの最初の試練は、子どもが与えられないということでした。当時のイスラエルでは不妊すなわち子どもが与えられないということは神様からの祝福の欠如を意味するとさえ考えられていました。しかし聖書の中にはこの不妊に悩む夫婦が多く存在し、彼らは皆その試練を通して神様への信頼が試されていったのです。アブラハムと妻のサラは神様の約束を信頼して待つことができず、当時周りの国々で行われていた女性のしもべによって子どもを得るという方法を実行してしまいました。アブラハムほどの信仰を持つ人でも忍耐をもって神の約束を待つということができないことがあるのですね。その後月日は流れ、アブラハムもサラももう子どもを得ることは不可能な年齢になりました。ところが、憐れみ豊かな神様は歳を重ねて老いたアブラハムと妻サラに子どもを与えるという約束を再びくださったのです。それは彼らには到底信じられない約束だったので、彼らは思わず笑ってしまいます。しかし神の使いは彼らにこう言いました。
 「主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」 旧約聖書創世記18章14節 

 神様は、約束を信じられずに笑ってしまった二人を取り扱われ、困難や苦難の只中で全能の主を見上げ、信じるようにと招いたのです。困難な状況にのみ目を留めやすい私たちです。しかし神様はそんな私たちにも神の約束をもってチャレンジし、「主に不可能なことがあろうか。」という神のことばに信頼する者へと私たちをも変えてくださるのです。どんな中にあってもその約束に信頼することができるお方、その方こそ聖書が語る全能の神なのです。

  (PBA制作「世の光」2014.1.24放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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