♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■慰めを受け、与えた、大友宗麟/岩井基雄

2015年05月22日 | Weblog
2015/5/22放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。月の第四の金曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンやキリシタンの生涯から学んでいますが、今日は九州の内、北の方の六つの国を治めることになったキリシタン大名・大友宗麟について学んでみましょう。

 宗麟は幼い頃に母親が亡くなります。また父親に愛されずに育った、とも言われています。更に家督の争いの中で肉親に裏切られ、またその謀略によって父親を除かざるを得なくなり、家督相続をしたのが彼が二十歳の時でした。その二、三年後に宗麟は当時宣教に来ていたフランシスコ・ザビエルとの出会いがあったのです。すぐには信仰には入りませんでしたが、深く傷ついた心に宣教師の愛と熱意は響いていったようです。彼は様々な戦に勝利をし、領土を広げていきますが、外様の領主たちや一族からの寝返りなど、この国を守る様々な困難によって本当の平安や慰めはなかったのではないか、と言われています。むしろ様々な虚しさで一杯だったのではないでしょうか。それらのことが背景になって、彼は次第に真実な神様の愛に心を開いていきました。

 最初は南蛮貿易の利益を目的としたキリスト教との関わりでした。しかし信仰のためにいのちをも捧げる外国人宣教師たちまた彼らの温かな愛や温もりに接するにつれ、宗麟はイエス・キリストの愛と恵みに惹かれていきます。そして自分の息子や家臣にキリスト教への入信を勧め、次男・親家(ちかいえ)が洗礼を受け、大友家の重臣たちも入信し始めます。しかし宮司の娘でもあった宗麟の妻は、キリスト教を憎悪し、信者になろうとする者や宣教師たちを迫害しました。宗麟はついに彼女と離縁をし、正妻の侍女であったキリシタン・ジュリアを後妻として宗麟自身も洗礼を受けたのです。この後も宗麟は様々な葛藤や戦いを経験して行きます。しかし彼自身、多くの家臣たちを慰める者へと変えられていったのです。

 聖書のことば

 「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。

 聖書 コリント第二の手紙1章4節

 神はあなたをも慰め、あなたを慰めの器としてくださるのです。

 (PBA制作「世の光」2015.5.22放送でのお話しより)

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする