♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神のわざが現れるため 7 / 大嶋重徳

2014年10月14日 | Weblog
2014/10/14放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。

 ヨハネの福音書9章には生まれつき目の見えない青年がイエス様と出会い、目が見えるようになったという出来事が記されています。

 しかし彼の目が見えるようになった時、彼の目に映ったものは、自分を捨てた家族と自分の目を見るようにしてくれたイエス様のことを批判する人たちの姿でした。

 しかしこれらの声に囲まれながらも彼ははっきりと、自分の人生に神のわざが現れた、と言い切ります。

 もし彼の人生に神のわざが現れるということが単純に目が見えるようになったということであれば、この後彼は「そうですか。イエスですか。知らなかったですよ。そんな悪いやつだったんですね。知ってたらイエスの言う事なんか聞きませんでしたのに。イエスってのは悪いやつですねえ。」と言って彼はこの地域でこの後も生きて行き易かったはずです。家族とも町の人との人間関係も滞りなく生きていけたでしょう。

 しかしイエス様が開いてくださった彼の見るべき人生はそんなものではなかったのです。彼ははっきりと、自分の人生に神のわざが現れた、と告白しました。なぜならば彼はイエス様との出会いの中で神様の関わってくださった自分の人生をはっきりと見たからです。 自分の人生を間違いなく神様によって変えられた。今、神様と共にある自分の人生は偶然に存在しているのではない。神様が今生きておられ、今もわたしの人生の上に目を注がれており、神様は私の人生に関わってくださっている、と彼ははっきりと知ったのです。その時、もう周囲の目を恐れ周囲の人の目に流され周囲に合わせて生きる人生をやめることができたのです。これが目が見えるようになったこと以上に彼の人生に神のわざが現れたことだったのです。

 今日、私たちもイエス・キリストを信じ受け入れるならば、私たちはイエス・キリストとの出会いによって神の注がれる眼差しから自分の人生を見つめることができるようになります。その時、私たちは神の眼差しの中で安心して自分の人生を受け入れ、神のわざを現して生きる歩みを始めることができるのです。

  ( PBA制作「世の光」2014.10.14放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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