2014/4/16放送
世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「不当な苦しみを受けても」という題でお話ししましょう。まず聖書のことばをお読みします。
「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかた(※神)に、いっさいをゆだねておられた。さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。」ペテロ第一の手紙 2章の21節から24節です。(口語訳聖書)
ここには三つのことが強調されているのではないでしょうか。まず、キリストは罪を犯したことがなくその口には偽りがなかったのに不当な苦しみを受けられた、という点です。次に、キリストは不当な苦しみに対して仕返しをしなかったという点です。ののしられてもののしり返さず、苦しめられても脅すことをしなかったのです。第三に、キリストは正しいさばきをする神様に一切を委ねておられた信仰です。自分の手で復讐しないで神様の裁きの手に委ねたのです。
要するにここで、キリストは神様を仰ぎ信じて不当な苦痛を耐え忍ばました、と言ってるのです。
では一体何のために罪のないキリストが不当な苦しみを耐え忍ばれたのでしょうか。それはまず、更に私たちが罪に死に、義に生きるために十字架にかかって私たちの罪をご自分の身に負われた、その傷によって私たちは癒された、という24節のことばにあります。私たちの罪による傷が癒され、私たちが罪に死に、義に生きるためでした。
もう一つは21節にありました。キリストはあなたがたのために苦しみを受け御足の後に従うようにと模範を残されたのです。キリストの受難の目的と意味が分かって参りました。キリストは不当な苦しみを受けても神様を仰いで、その苦痛を耐え忍ばれた目的です。
それは私たちが罪によって人生で受けた様々な傷を癒すためです。私たちは人を傷つけ、人から傷つけられて生きてゆくのではないでしょうか。また私たちはキリストの傷口に信仰によって触れて癒されました。ですから、今度は不当な苦しみを受けた時、キリストに倣い、神様を仰ぎ苦痛を耐え忍びたいのです。
(PBA制作「世の光」2014.4.16放送でのお話より )
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ
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世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「不当な苦しみを受けても」という題でお話ししましょう。まず聖書のことばをお読みします。
「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかた(※神)に、いっさいをゆだねておられた。さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。」ペテロ第一の手紙 2章の21節から24節です。(口語訳聖書)
ここには三つのことが強調されているのではないでしょうか。まず、キリストは罪を犯したことがなくその口には偽りがなかったのに不当な苦しみを受けられた、という点です。次に、キリストは不当な苦しみに対して仕返しをしなかったという点です。ののしられてもののしり返さず、苦しめられても脅すことをしなかったのです。第三に、キリストは正しいさばきをする神様に一切を委ねておられた信仰です。自分の手で復讐しないで神様の裁きの手に委ねたのです。
要するにここで、キリストは神様を仰ぎ信じて不当な苦痛を耐え忍ばました、と言ってるのです。
では一体何のために罪のないキリストが不当な苦しみを耐え忍ばれたのでしょうか。それはまず、更に私たちが罪に死に、義に生きるために十字架にかかって私たちの罪をご自分の身に負われた、その傷によって私たちは癒された、という24節のことばにあります。私たちの罪による傷が癒され、私たちが罪に死に、義に生きるためでした。
もう一つは21節にありました。キリストはあなたがたのために苦しみを受け御足の後に従うようにと模範を残されたのです。キリストの受難の目的と意味が分かって参りました。キリストは不当な苦しみを受けても神様を仰いで、その苦痛を耐え忍ばれた目的です。
それは私たちが罪によって人生で受けた様々な傷を癒すためです。私たちは人を傷つけ、人から傷つけられて生きてゆくのではないでしょうか。また私たちはキリストの傷口に信仰によって触れて癒されました。ですから、今度は不当な苦しみを受けた時、キリストに倣い、神様を仰ぎ苦痛を耐え忍びたいのです。
(PBA制作「世の光」2014.4.16放送でのお話より )
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