♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■エマオの途上で / 大嶋重徳

2014年04月15日 | Weblog
2014/4/15放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 今週はイースタースペシャルです。今週をキリスト教会では受難週と言い、キリストの十字架の苦難を覚え、イースターに備える週となっています。

 ルカ福音書24章には、イエス・キリストの十字架の死を目の当たりにしてエルサレムから離れて行こうとした二人の弟子が出てきます。一人はクレオパという弟子で、旅の行き先のエマオはクリオパの実家のあるところでした。

 何年前になるでしょうか、イエス様が自分の前に現れた時、この人こそ救い主だと家を飛び出し、付いて行きました。しかし数年後クレオパたちが目にしたものは、見るも無残な十字架刑を受けた自分たちの信じてきた人の姿でした。17節 「二人は暗い顔つき」とあります。十字架のことを思い起こすと暗い思いが心を占めたのです。

 まさに十字架は暗い場所でした。人々の怒号が飛び交い、「十字架から降りて自分を救い私達も救え!」という声がありました。人間の自分勝手な醜さや神を神としない人間の罪に満ちていました。そしてイエス様が十字架で死なれたその時、十字架の場所は暗闇が周りを包みました。

 彼らはその十字架の光景を思い浮かべると、暗い顔つきとなったのです。なぜなら彼らの顔の暗さはそのまま彼らの罪の暗さでした。彼らもまたイエス様の十字架を前にして弟子たちは信じることができずに逃げてしまった罪がそのままその光景に含まれていたからです。

 しかしイエス・キリストは、そんな人間の暗さのために、自分勝手な罪のために、十字架にかかって死なれたのです。人間の罪があらわになり、その暗闇を明らかにしない限り人間の暗い現実に光は差し込みません。イエス・キリストは十字架にかかり、私たちの罪の暗さに光をもたらされました。

 この受難週、私たちは自分の内側に ある暗さをきちんと見つめましょう。この暗さをきちんと見つめない限り、十字架の輝きは意味を持ちません。そして、十字架の闇の向こうに復活の光が見えて来るのを待ち望みたいと思います。

 ( PBA制作「世の光」2014.4.15放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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