♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■一日中手をさしのべる主 / 山中直義

2013年04月23日 | Weblog
2013/4/23放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。私たちが心から神様を呼び求めることができないとき、その問題の責任の一部は神様の側にあるのではないか、新約聖書ローマ人への手紙の10章に登場する当時のイスラエルの人々はそのように考えたようです。彼らと使徒パウロとの次のようなやりとりが書かれています。

 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」(ローマ 10章13節)

 パウロはそう宣言するが私たちはその主を呼び求めたいとは思えない。それは私たちがその主を心から信じることができていないからである。そして心から信じることができていないのは信じられるほどのメッセージを聞いていないからで、神様がそのようなメッセンジャーを遣わしておられないからではないか。これに対してパウロは、いやそうではない、と言います。

 私たちが心から信じて主を呼び求めることができるように神様はいつも時にかなってメッセンジャーを遣わし語りかけていてくださる。大切なのは語られているそのメッセージに真剣に耳を傾けることだ、パウロはそう言うのです。

 更に続けてパウロは神様は私たちがその語りかけがよく分るように懸命に関わり合っていてくださる。時には必要な試練にさえ合わせ、痛みや悲しみや怒りや妬みの思いさえ通して私たちがこのままではいけないっていうことに気づき、本当に神様を求めるようにとさせていてくださる、と言います。

 こんな議論の最後にパウロは神様のことばとしてこう言います。「不従順で反抗する民に対して、わたしは一日中、手を差し伸べた。」(ローマ 10章21節) 私たちが神様を心から求めず、その問題の責任は神の側にあるとさえうそぶくようなそんな時にさえ神様は私たちは何としてでも救おうと一日中手を指し伸ばしておられる。救おうとしておられる神様の熱心や能力に欠けがあるわけではない。大切なのは私たちが心からこの神様を、主を呼び求めることだ、聖書はそう教えています。

 私たちの肉の目には見えない神様の手ですが心を込めて聖書を読み、神様の語りかけに耳を傾けるとき、私たちにもその救いの御愛がはっきり分るようになる。そして私たちも神様を心から呼び求めることができるようになる。聖書はそう教えています。

(PBA制作「世の光」2013.4.23放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


****** このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



 

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