♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■大人になったのだから /村上

2011年01月10日 | Weblog
2011/1/10 放送

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 今日1月10日は1月の第2月曜日ということで、成人の日ですね。大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を励まそう、という事で1948年に制定されたということですねえ。

 えーあのー、成人て何なんだろうと思ってですねえ、ちょっといろいろ見たりしてみますと「心身ともに成長して一人前の人間になること」って書いてありましたけれども、一人前の人間てどういうのかなあって思ったりしますが、そしてまたですね、「法的には単独で法律行為が行えるようになる年齢のことであり、一般社会においては身体的に精神的に十分に成熟する年齢をさす」というふうにありました。えー、しかしこれは20歳なわけですけども。20歳ですね。精神的にも十分に成熟する年齢って言うとなかなか大変だなあというふうな感じがして、いい歳になったこの者がはたして成熟しているだろうかなどとも思ったりもするんですけども。

 聖書の中にもですねコリント第一の手紙の13章というところに、
 「私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。」(1コリント 13章11節)
ということばなんですねえ。

 で、自覚的にはやはりこの成人の日を期して大人になったっていうことだろうというふうに思いますから、この時から何かが変わっいかなければ、ということは言えると思いますね。
 で、少なくとも今まではそのー、頼って生きてきた、それがこう自立してですね、主体的に生きるっていう事がその一つの大人になるっていうことの意味だろうなあというふうに思いますし、当然今までは、まあ子供だから仕方がないというふうなことはあったりしましても、これからは大人として扱われるわけですから、それは責任がついてまわる。責任を自分自身で取る事ができる行動ということですよね。 

 そして今まではしてもらおう、というふうなところから、今度は何が自分にできるかっていう、ま、貢献するといいましょうかね、そういう生き方へと変えられていくということ、変わっていくということが大人としての自覚なのかなっていうふうに思わされたりしています。

 で、それは何も二十歳で完全にとか言う訳ではありませんし、いつも私たちが聖書の中に「成熟を目指して進もうではないか」(ヘブル人への手紙 6章1節参照)ってことばがありましたけども、いつまでもですね、もっと成熟したい、というそういう思いを持って進んでいくこと。これは大切なことかなと思わされますね。

  ( PBA制作「世の光」2011.1.10放送でのお話しより)


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-
2196 へ



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