♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■それは主にしていること

2008年07月28日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、イエス様がお話された例え話にこういうのがあります。 ちょっと読んでみますね。 マタイの福音書の25章に書いてあるんですけれども、『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』(マタイの福音書の25章34-36節)

 これに対してですねえ、「えっ? いつ私そんなことをしましたか?」って、「食べ物を与えたり渇いたときに水を飲ませたり、宿を貸したり、そんなことを私いつしましたか?」っていうふうに尋ねていったんですねえ。 「すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』」(マタイの福音書の25章40節) と、こう言われたんですねえ。
 
 天において報いを受けるのは、いかにもこう見え見えのお返しを求めて、そして周りからの評価を求めて「かっこいいやり方のわざ」というようなことではなくって、「えっ? 私そんなことしましたっけ? いつそんなことをしましたか?」というようなこと。 で、もちろんイエス様だと相手が分かれば誰だってイエス様に喜んでもらおうと思って一生懸命やりますよねえ。 そうではなくって、全然それは気がつかずに、見るに見かねてというふうに空腹のまま放っておく訳にいかない、凍えているのに放っておく訳にいかない、というふうにしたこと。 それは実はわたしにしたことなんです、というふうに言っていただくという・・・。

 私たちのこの地上でするわざっていうのは必ずしも評価されるとは限りませんよねえ。 報いを受けるとは限りませんよねえ。 で、そういうようなことよりもはるかに超えて自分のしていることは結局イエス様にしたことになるのだということが一番の張り合いと言いましょうかねえ、喜びと言いましょうか、それが最終的にイエス様からお誉めのことばをいただくことができるならば最高の報いではないか。 そういう思いでですね、今日のすることも、小さなことも、これは主に対してするのだ、イエス様に対してするのだ、イエス様から喜んでもらう生き方だ。 それを大事に生きたいなと思いますね。

 ( PBA制作「世の光」2008.7.28放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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東海福音放送協力会へのお問い合わせは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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