13日の主日礼拝、子供説教で左近牧師は「ラニエロ」という人の話をしました。
このお話の原作はラーゲリレーブという女性が書いたものだそうです。
クリスマスの時期、教会学校では子供たちに話したり、劇にして演じたりするようですが、私は初めて聞いた話でした。
真の光を欠けたひびの入った器(わたくしのこと)に大切に運びながら最期まで生きてゆきたいと改めて思いました。
(左近牧師の話はもう少し簡単なものでしたが、ネットに載っていたものを転載させていただきます。)
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このお話は、一人の男が、小さなともし火を決して消さないように一生懸命に守り続けたというお話です。
昔、イタリアのフィレンツェという町に、ラニエロという豪傑が住んでいました。ラニエロは決して腹黒い男ではなかった
のですが、自分の力を心底信じ切っていて、誰もが自分の強さを尊敬し、偉い男だと認めてくれると思い上がっているところ
がありました。それで、彼は人の気を引こうとして力任せに色々のことをやらかすのですが、その思いとは逆に、町の人々は
彼が乱暴で、思いやりがなく、傲慢な男であるとしか見ていないのでした。
ラニエロが、自分の強さを一番認めて欲しかったのは、愛する妻フランチェスカでした。
しかし、フランチェスカはただただ彼の乱暴な行いを悲しみ続け、ついには愛想をつかして実家に帰ってしまったのでした。
そんなフランチェスカの気持ちを悟らないラニエロは、戦さで大手柄を立て、名を挙げれば、きっとフランチェスカの心も
戻ってくるだろうと考えました。彼は、傭兵になってあちこちの戦争に参加し、多くの手柄を立てます。
さらに自分の素晴らしい武勇伝がフランチェスカの耳にも必ず届くようにと思い、戦利品の中からもっとも貴重なものを、
フランチェスカの住むフィレンツェの大聖堂の聖母マリアに捧げ続けたのでした。
しかし、フランチェスカの心は彼のもとには帰ってきませんでした。
ラニエロは、それは自分の手柄がまだ足りないからだと考えました。そして、今度こそフランチェスカも認める大手柄を
立てたいと、その頃始まった十字軍の遠征に加わったのです。聖地エルサレムをイスラム教徒の手から取り返すその戦いで、
ラニエロは一番の大手柄を立てました。そして、その褒美として、エルサレムのキリストの墓に灯るともし火から、自分の
蝋燭に最初に火を移すことを許されます。
その夜、仲間たちが、「今度ばかりはいくらおまえでも、そのともし火をフィレンツェの聖母マリアのもとに届けることは
出来まい」と、ラニエロをからかいました。かっとなった彼は、「いや、俺はこのともし火をフィレンツェまで消さずに
届けてみせる」と宣言します。そして翌朝から、エルサレムからフィレンツェまで、ともし火を消さずに持ち運んでいく
奇妙な旅が始まったのです。
ともし火を消さずに旅をしていくことは思ったほど簡単ではありませんでした。馬の背に後ろ向きにまたがり、マントで
風をよけながらそろそろと進まなければなりませんでした。そのうち彼は追いはぎに合います。普段なら、そんな連中を
やっつけることはわけももないことですが、ともし火を守るために、彼はまったく無抵抗のまま身ぐるみを追いはぎどもに
渡します。そして、残されたぼろを纏い、やせ馬に後ろ向きにまたがって、そろりそろしと一本のともし火を大事に守り
ながら旅を続けたのでした。町に入ると、ラニエロのおかしな格好をみた人々はみな、「きちがいだ、きちがいだ」と指を
さしてあざ笑い、からかいました。しかし、ここでいつものように腹を立てて暴れれば、小さなともし火などいっぺんで
消えてしまいます。ラニエロは、沈黙を守り、嘲りに耐えて、小さなともし火を守り続けたのでした。十字軍に恨みのある
イスラム教徒から暴行を受けることもありました。ラニエロは反撃することなく、ただ必死でともし火を守り続けました。
時には良いこともありました。ある日、くたくたに疲れ果てたラニエロは、その時ばかりはともし火のことを顧みる間も
なく、宿屋に着くや否や手足を大の字に伸ばして朝まで寝入ってしまうのです。朝、目が覚めてハッとしたラニエロは、
ともし火がないことにひどくがっかりします。ところが、宿屋の主人が来て、ラニエロのともし火を持ってきます。
お客さんがとても大事そうにしておりましたので、その火を消さないように大事に守っていてくれたというのです。
またある日には、とうとうともし火を移しかえる為の新しい蝋燭が一本もなくなってしまいました。これでこの旅もついに
終わりだと思いながら、小枝や枯れ草を集めてそれに火を移すのですが、それもほとんど燃え尽きようとしていました。
そのともし火の最後を見届けようとしていると、近くに巡礼者が讃美を歌いながら通りかかりました。みると年をとって足下も
おぼつかいない巡礼者が急な山を登ろうとしています。ラニエロはその巡礼者の手をとって山の上まで歩いてやりました。
巡礼者がお礼を言うと、ラニエルは蝋燭を分けてくれるように頼んでみました。すると、快く何本かの蝋燭を分けてくれたので、
ラニエロは急いで山の下に降りていきます。そして最後の残り火をなんとか、その蝋燭に灯すことができ、旅が再び始まったのでした。
他にもいろいろなことがあるのですが、要するにラニエロはこの旅で、今まで経験したことのないような色々なことを経験
したのでした。奪い取るものに無抵抗でそれで与えるとか、殴られても、嘲られても静かにしているとか、足の弱い老婆を
助けるとか・・・、また意外な人の親切とか、不思議なお守りということも経験しました。
そして、そういう経験を通して、ラニエロは今まではまったく違う人間に変えられてしまったのです。戦いよりも平和を愛し、
荒々しいことよりも穏やかなことを好み、憎しみを抑えて忍耐することができる者になっていました。また、自分の力だけでは
どうすることもできないことがあっても、人の親切や、天の恵みがあることも知ったのでした。自分の腕っ節だけを信じ、
人を思いやることない、荒々しい男だったラニエロはまったく新しい人間として生まれ変わっていました。
ようやく彼はフィレンツェに到着しました。そして、なんとか大聖堂のマリア像の前にたどり着きます。ところが、こんなに
苦労してともし火を運んできたのに、「そのともし火が本当にキリストのみ墓の前のともし火であるかどうか、一度も消えることが
なかったかどうか、証明してみろ」と言われてしまいます。ラニエロが途方に暮れました。
すると一羽の鳥が聖堂に迷い込み、ラニエロのともし火にぶつかって、なんとともし火を消してしまいました。火は鳥に燃え移り、
鳥は体を燃やしながら、マリア像の前に落ちて息絶えます。ラニエロはその小鳥の火をとって聖母マリア像の祭壇に火をともしました。
この不思議な出来事の一部始終をみていた人は、「神様が証を立ててくださったのだ」と、ともし火が本物であることを認め、
ラニエロを成し遂げたことを誉めたたえたというのです。
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公園の<カワセミ> 葦のなかに潜んでいました。
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
20日はクリスマス礼拝です。
記念すべきクリスマスの朝、あなたの主、イエスキリストに出会えますように!
教会の礼拝にぜひお出かけください。
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