ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「主の僕の召命」

2019-10-27 12:58:16 | 今日の聖句
旧約聖書は今、「イザヤ書」を読んでいます。
今日の聖句は「イザヤ書」42章1節~7節「主の僕の召命」です。

42:01見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。
彼の上にわたしの霊は置かれ 彼は国々の裁きを導き出す。
42:02彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。
42:03傷ついた葦を折ることなく 暗くなってゆく灯心を消すことなく
裁きを導き出して、確かなものとする。
42:04暗くなることも、傷つき果てることもない
この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む。
42:05主である神はこう言われる。神は天を創造して、これを広げ 地とそこに生ずるものを
繰り広げ その上に住む人々に息を与え そこを歩く者に霊を与えられる。
42:06主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び あなたの手を取った。民の契約、
諸国の光として あなたを形づくり、あなたを立てた。
42:07見ることのできない目を開き 捕らわれ人をその枷から 闇に住む人をその牢獄から救い出すために。

イザヤ書を読むのはもう何回めでしょうか。
心に響く聖句はたくさんありますし、今日の聖句も分かりやすいのですが、全体として
何回読んでもイザヤ書は分かりにくくて印象に残らない気がします。

「聖書事典」の解説によると、イザヤ書は大きく3つの部分に分けられるそうです。**********

・第1イザヤ(1章~39章)すべてが前8世紀のイザヤに由来するものではない。その構成は複雑であり、
 どの部分がイザヤの「真正」な言葉かは議論の多いところである。
・第2イザヤ(40章~55章)イザヤ書の中で最もまとまりが良い部分である。
 第2イザヤの言葉は概して慰めや励ましに満ちた救いの言葉となっている。
 バビロン補修からの開放は「新しい出エジプト」として語られ、第2イザヤの中心的使信となっている。
・第3イザヤ(56章~66章)この部分は捕囚後のエルサレムで活動した「第3イザヤ」という預言者一人に
 由来するものではない。
 バビロン捕囚の終結から祖国への帰還、神殿再建、さらにはエズラやネヘミヤによるユダヤ教団の
 形成にいたる長い期間を背景にした言葉の集成である。
 核となっているのは60~62章で、そこには補修後の混乱状況に苦しむ人々への希望の言葉が示されている。

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ネットにあった「イザヤ書」解説のサイトの一つです。
短くて読みやすいですが、やはり私には「イザヤ書」は分かり難いです。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
フェイスブックやツィッターも御覧ください。



激痛に苦しんだ私の脚は未だに治りません。
鍼灸・整骨院に毎日通って一ヶ月以上経ちます。脚の可動域は驚くほど広がってきましたが、
根本的な傷(怪我?)の痛みがとれず、思い通りに動けるにはまだ時間が掛かりそうです。
若者なら二週間で治ったのかもしれない、加齢、老化を深く深く自覚いたしました。(;_;)
続けて15分くらいは歩けるようになりましたが、駅の人混みや電車は怖くて渋谷の教会に行けず、
何週間も礼拝に出ていません。

暇な毎日、聖書を真面目に読む時間が増えました、と書けると良いのですが・・・なかなか (-_-;)
それでもブログに書くネタが無くてカテゴリは「今日の聖句」ばかりになりそうです。
コメント
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