ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

?(ハテナ)マーク その3

2016-09-04 20:22:31 | 聖書
「ルカによる福音書」23章13節~24節
ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、言った。
「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れてきた。わたしは
あなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男にはなにも見つからなかった。
ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に
当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」
しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。
このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。
ピラトはイエスを釈放しようと思って、あらためて呼びかけた。
しかし人々は、「十字架につけろ」と叫び続けた。ピラトは三度目に言った。
「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。
だから、鞭で懲らしめた釈放しよう。」
ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。
その声はますます強くなった。そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。
そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求通りに釈放し、イエスの方は
彼らに引き渡して好きなようにさせた。


私の三つ目のハテナマークは「使徒信条(信仰告白)」でいつも悪者にされている
ポンテオピラトのことです。
ピラトはイエスについて罪を見いだせず何回もユダヤ人にそのことを告げます。
イエスとユダヤ人(祭司長や議員や民衆)との間を行ったり来たりしてイエスを死刑にする判決を
下すことを避けようとします。 
最終的には自分の地位保全のためにイエスを十字架に付けることを許すのですが・・・・  
ピラトの優柔不断な姿は私自身を見るようです。 その弱さに私は親近感すら感じてしまいますが、
そのピラトは「使徒信条(信仰告白)」の中で「ポンテオピラトの下に苦しみを受け・・・・・」と、
2000年近くにわたってクリスチャンによって悪者のように唱えられ続けています。
先週の主日礼拝の説教で、左近深恵子牧師は光(イエス)と闇(ユダヤ人)の間を行ったり来たりする
ピラトについて語られました。 昼食をとりながらの懇談会で、ピラトについてお尋ねしてみました。
短い使徒信条の中にピラトを入れることによって、そこにローマ帝国との関係を描き出し、
そのことによってキリスト教がユダヤ地方のローカルなカルト?ではなく世界に広がる宗教であることが
示されるそうです。(記憶力減退気味の私は少々うろ覚えで自信イマイチですが)
そんな説明だったと思います。
な~るほど、と納得しました、ってホントに分かったのか、自分?ではありますが・・・・(´_`。)
そういうことのようです。
ピラトのように闇と光の間をウロウロしている私の信仰は本当に弱く浅く薄いものです。
私の依るべき方は神様しかおられないのに困ったことです。
「神は常に私と共にいてくださる」という信仰がなかったら私は本当に生きていくのが辛いです。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
ぎっくり腰になってしまった(泣きっ面に蜂の)私は今日は礼拝に出られませんでした。(ノд・。)


<ツバメシジミ> シジミよりも小さな個体でした。
コメント
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