ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「天地創造」

2020-08-21 15:13:46 | 今日の聖句
コロナ禍と猛暑を理由に「全てがダルすぎる!」と言い訳をして長いことブログをサボっていました。<(_ _)>
先週から家では、旧約聖書は「創世記」読み始めました。 冒頭の天地創造の記事は大好きな箇所です。
混沌とした地、闇、深淵、神の霊が水の面を動いている・・・・・・想像するだけで半分恐ろしく、
半分ワクワクという不思議な感覚を覚えます。
聖書の「天地創造」を読むたびに私の耳にはシベリウス作曲の「トゥオネラの白鳥」が聞こえてきます。
こんな読み方で良いのかな~と思うような、頼りない確信の少ない私の聖書の読み方、時々反省いたします。


今日の聖句は「創世記」1章1節~2章4節です。

初めに、神は天地を創造された。 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。 神は言われた。
「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」 神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。
そのようになった。 神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。 神は言われた。
「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。 神は乾いた所を地と呼び、
水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。 神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。
種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。
地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。
神はこれを見て、良しとされた。 夕べがあり、朝があった。第三の日である。 神は言われた。「天の大空に
光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。 天の大空に光る物があって、
地を照らせ。」そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、
小さな方に夜を治めさせられた。 神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、 昼と夜を治めさせ、
光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。 夕べがあり、朝があった。第四の日である。
神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」 神は水に群がるもの、
すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを
見て、良しとされた。神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。
鳥は地の上に増えよ。」 夕べがあり、朝があった。第五の日である。 神は言われた。「地は、それぞれの
生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。
神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しと
された。 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、
地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。男と女に創造された。 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、
地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」 神は言われた。
「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それが
あなたたちの食べ物となる。 地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を
食べさせよう。」そのようになった。神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは
極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。 天地万物は完成された。 第七の日に、
神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神は
すべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。
これが天地創造の由来である。

偶然でしょうか、左近豊牧師による16日(日)の主日礼拝の説教はこの天地創造からの説き明かしでした。
私がサラサラ読みくだしていた箇所から力強いメッセージを頂きました。
私の場合、やはり礼拝に参加しなくては信仰が強められないことを改めて思わされました。
ここをクリックすると左近豊牧師の説教を読むことができます。是非!お読みください。


*******************************************************************************
『実は、聖書の、この天地創造の言葉は、聖書の民の歴史の中で、幾たびも滅びに瀕した人々のただなかで、
新しく聞き続けられ、新たに語りなおされてきたものです

崩れ行く世界の根底から支える確かな御手の業を語り続け、寄る辺なく萎えた魂にねんごろに語り掛けられて
きたものだったのです。時代がどんなに変わろうとも、現代にあっても、これは、荒れ果てた世界に生きる者
への慰め励ましの言葉、壊れた世界を生きる人たちへの絶望に点された希望の言葉として、読まれ、語られ、
聞かれてきたものです。今日、私たちはこの言葉を今に向けられた言葉として聞くことができるのです。

はじめに神は天と地を創造されたとの、はじめの一言を噛みしめ、この混沌とした中にも「御国を来たらせ
たまえ」と祈り、新しい天と新しい地の完成を望み見ながら、刻みゆく信仰を、全て失ってなお残された尊厳を、
私たちも与えられているのです。天地創造の信仰を礎として、新たな週を歩みだしてまいりましょう。』
********************************************************************************

美竹教会では、礼拝のネット配信をしていますが、加えてWeb会議システム(Zoom)で「聖書探訪」
「聖書のみ言葉に親しむ集い」なども始めてくださったようです。
Zoom は昔の友人から招待されて何度か参加しました。パソコンではうまく入れずにスマホでの参加でしたが
イマイチしっくりきません。 美竹教会の集会へのZoom参加、どうしようかな~目下考慮中です。


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。


一見涼し気、本当は猛暑の公園の雲です。
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行いを欠く信仰

2020-07-09 17:51:56 | 今日の聖句
今日の聖句は「ヤコブの手紙」からです。 私にできる行いとは何だろう・・・・・

「ヤコブの手紙」 2章14節~26節 「行いを欠く信仰は死んだもの」

わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に
立つでしょうか。 そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。 もし、兄弟あるいは姉妹が、
着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して
行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与え
ないなら、何の役に立つでしょう。 信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけ
では死んだものです。 しかし、「あなたには信仰があり、わたしには行いがある」と言う人がいる
かもしれません。 行いの伴わないあなたの信仰を見せなさい。そうすれば、わたしは行いによって、
自分の信仰を見せましょう。 あなたは「神は唯一だ」と信じている。 結構なことだ。 悪霊どもも
そう信じて、おののいています。  ああ、愚かな者よ、行いの伴わない信仰が役に立たない、という
ことを知りたいのか。 神がわたしたちの父アブラハムを義とされたのは、息子のイサクを祭壇の
上に献げるという行いによってではなかったですか。  アブラハムの信仰がその行いと共に働き、
信仰が行いによって完成されたことが、これで分かるでしょう。 「アブラハムは神を信じた。それが
彼の義と認められた」という聖書の言葉が実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。 
これであなたがたも分かるように、人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのでは
ありません。 同様に、娼婦ラハブも、あの使いの者たちを家に迎え入れ、別の道から送り出してやる
という行いによって、義とされたではありませんか。
魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです。


日に日に濃くなる緑の中で、デデポッポー、デデポッポー!という山鳩の優しい鳴き声。
あの穏やかな初夏はどこへ行ってしまったのでしょうか。
コロナ禍で鬱々する毎日に追い打ちをかけるように、じっとり居座る梅雨前線による豪雨が各地に
激しい被害をもたらしています。 被害に会われた方々を思うと胸が痛みます。
同時に一人暮らしの後期高齢者(私)が被災したらどんなふうに対処できるだろうか、ということも
頭を掠め、思うだけでも心が暗くなります。
ここ十年近く(?)台風のときだけでなく梅雨時も土砂崩れや河川の決壊によって死者が出るような
豪雨が続いています。 地球温暖化によるこの異常気象はこれからひどくなることはあっても
減じることは無いそうです。 地球の温暖化もそうですが、新型コロナウイルスの出現も人間の
飽くなき欲望の生み出したものだとも言われています。 人類はこのまま突き進んで、この地球を
子どもたちに無事に引き渡すことが果たしてできるでしょうか。
聖書には「神を知ることが知恵の始まり」と書いてあります。
今こそ、人間は被造物である、神様(創造主)を知り謙虚になることが本当の知恵である、と知る
ことが必要だと思います。 これが私の寄り頼む信仰です。
神様の御国の民として心の平安をいただいて生きているはずですが、信仰薄く、信仰の知識も
欠ける私は時々(かなり)後ろ向きになり、希望を語れなくなります。


ステイホーム、自粛、ソーシャルディスタンス等など、窮屈な日々の中での纏まらない取留めない
ゆうゆうの呟きです。 なんかな~?と思われたら、どうぞスルーしてくださいね。



<キジバト(山鳩)>

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「詩編」67編

2020-06-26 15:55:13 | 今日の聖句
このような祈りを神様に捧げたいです

 詩編 67編
   【指揮者によって。伴奏付き。賛歌。歌。】
   神がわたしたちを憐れみ、祝福し 
   御顔の輝きを
   わたしたちに向けてくださいますように
   あなたの道をこの地が知り 
   御救いをすべての民が知るために。
   神よ、すべての民が 
   あなたに感謝をささげますように。
   すべての民が、こぞって
   あなたに感謝をささげますように。
   諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように
   あなたがすべての民を公平に裁き
   この地において諸国の民を導かれることを。
   神よ、すべての民が
   あなたに感謝をささげますように。
   すべての民が、こぞって
   あなたに感謝をささげますように。
   大地は作物を実らせました。
   神、わたしたちの神が
   わたしたちを祝福してくださいますように。
   神がわたしたちを祝福してくださいますように。
   地の果てに至るまで
   すべてのものが神を畏れ敬いますように。



世界規模のコロナ禍は収束の兆しが見えません。ワクチン開発による「終息」など遥か
先のことのような気がします。
東京は時に、一日50名を超える感染者を出していても、経済への影響を考えてか、
警戒の度合いは緩和され、県を超え、国を超えての行き来も許可されてきています。
経済の落ち込みを避けるために、医療崩壊ギリギリまで感染者が増えても仕方ない、
と行政は(ある意味で)感染者を切り捨てているようにも思えます。
たしかに経済がひどく落ち込めば、職を失い、住むところも失い、日々の食べ物にも
事欠く人々が大勢出てきますし、人心は荒れて犯罪も増えるかもしれません。
子どもたちや若者の教育もどんなふうに収まっていくのか・・・すべて途方にくれます。
世界規模のコロナ禍は日本だけが、一国だけが上手くコントロールできれば、それで
済む問題ではありません。
食べるものも無く、病気を抱えている子供を腕に、途方にくれている父親のすぐ近くで
敵に向かって銃を撃っているシリアの若者をTVで映していました。何をしているのか!
いつもよりTVのニュースを見て新聞をよく読むようになり世界中の人々、庶民の情報が
身近に入って来ます。 飢え、貧困、病、差別、虐待、争い、人類のあらゆる問題が噴出
したかのようです。 不要不急の老人の私にできることは「ステイホーム」だけですが、
十分な食事が摂れ安らかに眠れるベッドのある、何もなし得ない自分が情けないです。


<トラノオ>の花蜜を吸う二頭の<モンシロチョウ>

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しばらくお休みいたします。

2020-05-11 16:16:27 | 今日の聖句
旧約聖書は、私にとってはとても読みにくい「エゼキエル書」が終わって「ダニエル書」を
読んでいます。 新約聖書は「フィリピの信徒への手紙」を読み終わります。
今日の聖句は「フィリピの信徒への手紙」4章5節~7節です。

「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、
求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人智を超える神の平和があ
なたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」


5月10日(日)美竹教会主日礼拝はココをクリックしてご参加ください。
子供へのメッセージはココをクリックしてお聞きください。
礼拝説教の原稿はココをクリックすると読むことができます。

お知らせです*************************
4月28日、朝起きた時にクラっと目眩がして胸がムカムカしました。
クリニックの先生に言われて気づいたのですが、数年前から、毎年4月になると何故か血圧が
高くなり血圧の薬を処方して頂いていました。 最初は毎年のことか~と軽く考えていましたが、
今年はこれまでと違って目眩とムカムカがいつまでも治りません。
少しずつ身体の不都合も重なって来ました。
これが加齢、老化ということなのですね! ウーム、あらためてつくづくと実感しています。

血圧は変動が激しいので、どんな時に高くなりどんな時に低くなるのか、気になりだすと血圧計と
「お友達状態」で傍から離すことができなくなります。 コロナウイルスの影響のための巣ごもり中で
「暇」ということもあって一日に何回も何回も血圧を測ってしまいます。
血圧は上がったり下がったり、目眩、ムカムカ、それに伴う頭痛がなかなか治まりません。
本当に憂鬱なことです。

さてそこで、スッキリするまでしばらくの間、このブログをお休みさせていただくことにしました。
神様のためになんの働きもしていない私です。拙いブログでも続けさせていただけたらと、心から
願っております。 血圧、目眩、ムカムカ、頭痛が治まってブログ再開できますように!


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巣穴を掘る公園の<コゲラ> 久しぶりの鳥撮りでした。
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偉大な使徒パウロ

2020-04-03 19:03:45 | 今日の聖句
今、旧約聖書は「エゼキエル書」を、新約聖書は「コリントの信徒への手紙一」を読んでいます。
今日の聖句は 「コリントの信徒への手紙 一」 9章19節~23節 です。

わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を
得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。
律法に支配されている人に対しては私自身はそうではないのですが、律法に支配されている人の
ようになりました。律法に支配されている人を得るためです。
また、私は神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を
持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。
弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべての
ものになりました。何とかして何人かでも救うためです。
福音のためなら、わたしはどんなことでもします。
それはわたしが福音に共にあずかるものとなるためです。


偉大な使徒パウロ! 私はなにをしているのだ・・・・読むたびに圧倒されるのみ。

今日はそれとは別に・・・楽しい秘密を・・・
三年前に合唱団に入る時、音程が全く掴めない私は、音取り用に電子ピアノを買いました。
3万某の安いものですが私の歌の練習用としては十分です。 
今年の正月、泊まりに来てくれた姉が「折角ピアノがあるんだからYちゃん、バイエルくらい
練習してみれば?」と言って「バイエル」をプレゼントしてくれました。 姉は幼稚園の先生も
したことがあるのでピアノが少々弾けますが、音楽に疎い私は全くピアノが弾けません。
このところコロナウイルスの感染防止ということで不要不急の高齢者(この言い方って
なんだか私は無用な人間です~みたい(^^)(^^))の私は毎日、ほとんど家に籠もっています。
この状態がいつまで続くのか分かりませんが、月単位での収束は無理そうだし、ワクチンの
開発には年単位の時間が必要そう。
どうやって暇を潰そうかな~~ フト「バイエル」が目に止まりました。
暇な毎日、姉には秘密でコレを練習しよう!とひらめきました。
高齢者の私はいつ寿命が来るか、コロナに感染してしまうか、しないのか予測は付きませんが、
今はまだある時間、たっぷり持て余している時間をピアノ・レッスンに使おうと思いました。
コロナを乗り切って、もし、姉妹揃って無事でお正月を迎えタラ
そしてまた姉が我が家に来てくれタラ
バイエルを終えて、なにか小さな曲でも聴かせることができタラ・・・・・・
小さな夢が広がりました。 \(^o^)/

「海苔漁師の徳永義昭」さんはリストのラ・カンパネラを独学でマスターしました。
でもぬるま湯のような私の性格ではせいぜいパイエル止まりかな? まあ、それでもいいかぁ~~
楽しい秘密を抱えて、毎日ポロンポロンと結構真剣にピアノを鳴らしています。




東京は渋谷の私の教会、美竹教会の礼拝には今週も出かけられません。
家で聖書を読み、祈って讃美歌を歌います。 寂しいことです。
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主よ、あなたはわたしを極め・・・・

2020-03-13 19:56:28 | 今日の聖句
(一応)毎日、新約聖書を1章、旧約聖書を1~3章、詩編を1編、読んでいます。
今日は「詩編139編」を読みました。


詩編139編 【指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。】

139:01 主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。
139:02 座るのも立つのも知り 遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
139:03 歩くのも伏すのも見分け わたしの道にことごとく通じておられる。
139:04 わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに主よ、あなたはすべてを知っておられる。
139:05 前からも後ろからもわたしを囲み 御手をわたしの上に置いていてくださる。
139:06 その驚くべき知識はわたしを超え あまりにも高くて到達できない。

   ―中略―
139:13 あなたは、わたしの内臓を造り母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
139:14 わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって驚くべきものに
     造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものかわたしの魂はよく知っている。
139:15 秘められたところでわたしは造られ 深い地の底で織りなされた。
     あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
139:16 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。
     わたしの日々はあなたの書にすべて記されている
     まだその一日も造られないうちから。

   ―中略―
139:23 神よ、わたしを究めわたしの心を知ってください。
     わたしを試し、悩みを知ってください。
139:24 御覧くださいわたしの内に迷いの道があるかどうかを。
     どうか、わたしをとこしえの道に導いてください。


神様のみ言葉を知り、信じるということは、何と平安なことでしょう。
被造物としてすべてを神に委ねて生きることはなんと心安らかなことでしょう。
ヘブライ語で聴くと(チンプンカンプンなのに)私はさらに気持ちが落ち着きます。
音楽を聴いているのと同じなのかも知れませんね。
日本語音読ではこういう気分になりません。

ここをクリックすると「詩編139編」のヘブライ語の音読を聴くことができます。

このサイトでは旧約聖書のヘブライ語による音読を聴くことができます。


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私たちは皆、許されて生きている

2020-02-22 16:06:21 | 今日の聖句
「ヤコブの手紙」4章11節~12節
兄弟たち、悪口を言い合ってはなりません。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟を裁いたりする者は、
律法の悪口を言い、律法を裁くことになります。もし律法を裁くなら、律法の実践者ではなくて、裁き手です。
律法を定め、裁きを行う方は、お一人だけです。この方が、救うことも滅ぼすこともおできになるのです。
隣人を裁くあなたは、一体何者なのですか。

13節~15節
よく聞きなさい。「今日か明日、これこれの街へ言って一年間滞在し、商売をして金儲けをしよう」と言う
人達、あなた方には自分の命がどうなるか、明日のことはわからないのです。あなたがたは、わずかの
間現れて、やがて消えていく霧にすぎません。むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、
あのことやこのことをしよう」と言うべきです。


「ルカによる福音書」12章15節~21節
イエスは言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど者を持っていても、
人の命は財産によってどうすることもできないからである」
それからイエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは『どうしよう。作物をしまって
おく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。蔵を壊して、もっと大きいのを建て、そこに
穀物や財産をみなしまい、こう自分にいってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えが
できたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前に命は
取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」

今日の聖句は、神様の御心について(かな?)私の少ない記憶の中から探しだして来たものです。
コレくらいしかヒント(聖句)が思い浮かばずすみませんが、ここでクイズです。
これらの聖句から私は何を言いたいのでしょうか!?

正解は、私達の命は神様によって与えられているということ、私達の命は、明日とは言わず今、
この瞬間にも神様に召されるかもしれないということを言いたいのです。 地球上のすべての人、
植物、動物、すべての生き物は神様がご支配なさっている、ということを言いたいのです。
私は、あなたは、すべての人は、生き物は、今ここに在ることを神様に許されているものです。
私の命の主(あるじ)は私ではありません、神様です。 
あなたの命の主(あるじ)はあなたではありません、神様です。
すべての人、すべての生き物の主(あるじ)は神様です。
神様が許してくださっている限り私たちは生きていてよいし、生かされているのです。
神様の前では誰が誰より優れているとか、誰は生きていてよいが誰はダメということはありません。
神様の前では皆同じです、そういう信仰(教え)を私は信じています。
この信仰に依り頼んでいる平安を心から感謝して毎日を生きています。


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公園で・・・・

2020-02-03 14:46:07 | 今日の聖句
今日の聖句は「コリントの信徒への手紙 一」 7章14節 です。
私の夫はクリスチャンではありませんでした。
悲しむ私に姉が教えてくれた「今日の聖句」です。
夫と、次姉と母も・・・・神様の身許で再会できる時が楽しみです。


「なぜなら、信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である
夫のゆえに聖なる者とされているからです。そうでなければ、あなたがたの子供たちは汚れている
ことになりますが、実際は聖なる者です。」

三年半前に亡くなった夫の趣味は野鳥撮影でした。
肝細胞癌で亡くなる前の十年間、雨や雪が空から落ちてこない限り、ほとんど毎日のように夫と私は
野鳥を探して公園・野原を彷徨っていました。夫のカメラは400mmから500mmの超望遠レンズの
ついたもので5kg近い重さでした。自然の中で自由に動き回る野鳥を探し、美しい野鳥写真が撮れた
ときの感動に心躍る、それが夫に重いカメラを持たせ、病気を忘れさせていたようです。
私は探鳥と観察だけで十分楽しかったのですが、夫は私のためにも野鳥撮影用のカメラを用意して
くれました。「とっても良いカメラとレンズの組み合わせだよ」と言っていましたが、ド素人の私には
馬の耳に念仏、何もわかっていませんでした。それでもしっかりカメラの恩恵には与っていたようで、
時々素人とは思えない良い写真が撮れたりして感激しました。私のカメラとレンズも3kgと、
後期高齢者の私が振り回すには厳しい重さで、最近はタンスの肥やし状態でした。

先日の土曜日、晴天に誘われて久しぶりに3kgのカメラを持って公園に野鳥を撮りに行きました。
野鳥を探して歩いていると、私のカメラとレンズを見た鳥撮りの男性が「良いカメラとレンズだね~」と
非常に驚いてくれました。
白髪交じりの老婦人(私のこと)がこんなセットを使っているとは!と思ったのかな~ (笑)
老化現象著しく、露出もISO感度のこともすっかり忘れてしまった私に付ききりで色々教えてくれました。
ずーっとカメラとレンズを褒めながら・・・・(^^) 夫が私のために見繕ってくれたカメラセット、
そんなに素敵なものだったのか~ありがとう。 しみじみと嬉しい時間でした。


十年も使ってあちこちガムテープで補修した私のカメラと
下は、久しぶりでボケボケの<ルリビタキ> 雄の若・・・らしいです。

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「バイブルアトラス」

2020-01-27 15:19:50 | 今日の聖句
今日の聖句は「エレミヤ書」25章17節~26節です。

25:17わたしは、主の御手から杯を取り、主がわたしを遣わされるすべての国々にその酒を飲ませた。
25:18また、エルサレムとユダの町々、その王たちと高官たちに飲ませ、今日のように、そこを廃虚とし、
人の驚くところ、嘲るところ、呪うところとした。
25:19更に、エジプトの王ファラオとその家臣、高官たちとその民のすべて、 25:20入り交じった民の
すべて、ウツの地のすべての王、ペリシテ人の地のすべての王、すなわちアシュケロン、ガザ、エクロン、
アシュドドに残った者、 25:21エドム、モアブ、アンモンの人々、 25:22ティルスのすべての王、シドンの
すべての王、海の向こうの島々の王たち、 25:23デダンとテマとブズと、もみ上げの毛を切っている
すべての人、 25:24荒れ野に住むアラビアのすべての王と、入り交じった民のすべての王、
25:25ジムリのすべての王、エラムのすべての王、メディアのすべての王、 25:26北のすべての王で、
近くにいる者にも遠くにいる者にもそれぞれ、すなわち、地上のすべての王国に飲ませ、最後に
シェシャク(バビロン)の王が飲む。


   

      

聖書は、ほぼ毎日新約1章、旧約2~3章をただ通読しているだけなのですが、さすが何回目かになると
難しいエレミヤ書も少しずつ姿が見えてきます。
エレミヤ書、今回読んでみて、神様の言葉、エレミヤの科白、祭司や民の言葉、エレミヤ以外の預言者の
言葉が自然に区別出来るようになりました。 
とまあ、まだそれだけなのですが (・・;) 次回読むときが少し楽しみです。
途中から誰に向かって話しているのかわからない所がたくさんありますし、何を話しているのか内容が
理解できないところはもっとたくさんありますが・・・・・ (T_T)
今日の聖句には地名がたくさん出てきました。
大好きな「バイブルアトラス」の登場です(日本聖書教会:1999)
地図や写真を見るとイメージが膨らんで、聖書を読む楽しみが一層増します。 (^^)

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「ヨハネによる福音書」

2019-12-21 11:44:23 | 今日の聖句
今、新約聖書は「ヨハネによる福音書」を読んでいます。
今日の聖句は17章1節から19節「イエスの祈り」の前半です。


イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子が
あなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。 あなたは子にすべての人を支配する
権能をお与えになりました。そのために、子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることが
できるのです。 永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになった
イエス・キリストを知ることです。わたしは、行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、地上で
あなたの栄光を現しました。
父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を。
世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、
あなたはわたしに与えてくださいました。彼らは、御言葉を守りました。 わたしに与えてくださったものはみな、
あなたからのものであることを、今、彼らは知っています。 なぜなら、わたしはあなたから受けた言葉を彼らに伝え、
彼らはそれを受け入れて、わたしがみもとから出て来たことを本当に知り、あなたがわたしをお遣わしになった
ことを信じたからです。彼らのためにお願いします。世のためではなく、わたしに与えてくださった人々のために
お願いします。彼らはあなたのものだからです。
わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。わたしは彼らによって栄光を受けました。
わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。
聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。
わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。 わたしは彼らと一緒にいる間、あなたが与えてくださった御名に
よって彼らを守りました。わたしが保護したので、滅びの子のほかは、だれも滅びませんでした。
聖書が実現するためです。 しかし、今、わたしはみもとに参ります。世にいる間に、これらのことを語るのは、
わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。
わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、彼らも世に属して
いないからです。わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。
わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。
真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。
わたしを世にお遣わしになったように、わた彼らを世に遣わしました。彼らのために、わたしは自分自身をささげます。
彼らも、真理によってささげられた者となるためです。


これまでヨハネ伝は勿論、福音書は何回か読んでいますが、今回は読み進むにつれて、マタイ・マルコ・ルカの
三福音書とヨハネ伝の記述は大きく違っているのでは?という思いが強くいたしました。
今頃、初めて気づくなんて!なのかもしれませんが、前の三福音書を共観福音書と呼び、ヨハネ伝とは
違っているんだ、ということが実感できました。
聖書について知識のない私はひたすら毎日聖書を読み続けているだけなのですが、12章あたりから、
イエス様のなされた御業よりも、弟子たちのこれからを心配して(と、私には思えるのですが)弟子たちに
起こるであろう苦難や、聖霊という名の「弁護者」のこと、神様への執り成し?などがイエスの口を通して
噛んで含めるように分かりやすく語られているように思えました。
これは「ヨハネによる福音書」は他の三つの福音書に比べて思想・神学がより整理された形で記述されて
いる(らしい)ことが大きいのかもしれません。
また、イエスが語られた言葉は他の福音書に書かれているのと同じように、実際はもっと断片的なもの
だったかもしれません。
そう思って読んでもヨハネ伝の記述は胸熱く、迫るものがありました。
イエス様の存在が私の中でますます大きく、慕わしく感じられた「ヨハネによる福音書」でした。
聖書の教えに依り頼んで最期のときまで生かされて生きたいと願っています。


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追記: Wikipediaの解説・・・・・・
共観福音書(きょうかんふくいんしょ、英: Synoptic Gospels)は、キリスト教の新約聖書の四つの福音書の
うち、ヨハネによる福音書を除くマタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書のことを指す。
この3つには共通する記述が多く、同じような表現もみられる。
聖書学の研究の結果、本文を相互に比較し、一覧にした共観表(シノプシス synopsis)が作られたことから
共観福音書と呼ぶようになった。
ヨハネによる福音書は同じ出来事を描写するときにも、他の3つとは異なった視点やスタイルをとることが
多い上に、他の3つの福音書に比べて思想・神学がより深められている。イエスを神であると明言し、
はっきり示すのはヨハネによる福音書のみである。
マルコによる福音書の661節のうち、606節がマタイによる福音書と、320節がルカによる福音書と共通する
内容だと言われる。
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