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ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

讃美歌107番

2014-12-15 20:32:34 | 讃美歌
讃美歌107番 「まぶねのかたえに」  "Ich steh an deiner Krippen hier"
                    J. S. バッハJohann Sebastian Bach 1736 (1685 - 1750) 作曲

1)馬槽(まぶね)のかたえに 我は立ちて
  受けたる賜物(たまもの) 献(ささ)げまつる
  命の命よ 我が物すべてを 取りてよみし給え

2)救いの御恵(みめぐ)み 我が身に満ち
  輝く御姿 心に映(は)ゆ
  妙(たえ)なる我が主よ 君より離れて 我はいずこに行かん

3)きらめく明星(あかぼし) 厩(うまや)に照り
  わびしき乾草(ほしぐさ) 馬槽に散る
  黄金(こがね)のゆりかご 錦の産着(うぶぎ)ぞ 君にふさわしきを

4)この世の栄えを 望みまさず
  我らに代わりて 悩み給う
  貴き貧しさ 知り得し我が身は いかにたたえまつらん

作詞者、パウル・ゲルハルト(Paul Gerhardt、 1607年3月12日 - 1676年5月27日)は、ドイツの
ブランデンブルク=プロイセンの福音主義(ルター派)教会牧師、讃美歌作詞者。
ゲルハルトはドイツの最も偉大な讃美歌作者であると見なされている。
「血しおしたたる」などの彼の代表的賛美歌は英語・日本語の讃美歌集にも収録されている。

若い時期に体験した戦争、病気、死はゲルハルトに影響を及ぼした。
とりわけ、これらの体験は彼の詩作において何度も反映している。
詩に込められている素朴さ、暖かい心情、そして歌い易さが彼の賛美歌を国民的楽曲に成長させた。
ゲルハルトが牧師、詩人として生きていた時代は既に数百年前であるにも関わらず、
今日においても彼の詩作の影響力は持続している。
ゲルハルトの詩作群は時代を超えて影響力を与えているだけでなく、教派と言語の違いを超えて
存在し続けている。 彼の詩作群はオランダ語、フランス語、英語、スペイン語、さらにアフリカ、
アジア諸国の言語に翻訳され、ローマ・カトリック教会と改革派教会の多くの讃美歌集にも採用されている。
それゆえ、ゲルハルトはエキュメニカル運動の詩人という存在になっている。

讃美歌107番はココをクリックすると聴くことができます。



"Weihnachtskrippe" です。 日本語ではなんというのでしょう、分かりません。
日本ではイエスの生まれた場所は馬小屋で、寝かされているのは馬槽(まぶね)というのが普通ですが、
ドイツではイエスは牛小屋で生まれ、牛の飼い葉桶の中に眠るというのが普通だそうです。
クリスマスの時期にはイエスの眠る牛小屋を模した"Weihnachtskrippe" がたくさん市に並びますが、
小屋の中に馬は見たことがなく、また美術館に展示された降誕の絵でも馬がいるのはごく稀だそうです。


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讃美歌110番 「優しくも愛らしき」

2014-12-09 21:41:10 | 讃美歌
「讃美歌」の“主イエス・キリスト 降誕”として載っています。
先日の礼拝で歌いました。
私も初めて歌う讃美歌でしたが、歌える方が少なくて迫力イマイチでした。
ネットで聴くと清らかで美しい調べですね~

讃美歌110番、ココをクリックしてお聴きください。

1)優しくも愛らしき 嬰児(みどりご)イエス君
  み父の旨とて 人の子のごとく まずしくもなりましぬ。

 
2)優しくも愛らしき みどりごイエス君
  み父の怒りを 宥めて我らの 贖いとなりましぬ。

3)優しくも愛らしき みどりごイエス君
  あめなる喜び 降(くだ)してこの世の 慰めとなりましぬ。

4)優しくも愛らしき みどりごイエス君
  全てを捧げて ぬかずく僕を 守りませ、とこしえに。

↓ ネットにあった解説です。********************
「O Jesulein süß, O Jesulein mild!」は、クリスマスの讃美歌、クリスマス・キャロル。
シェメッリ賛美歌集に収録。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハのBWV.493。
題名の翻訳は「おお、うるわしいイエス様」「おおいとしきみどり児、やさしきイエス」など。
讃美歌 (1954年版)110番。 作詞はValentin Thilo(1607-1662)による。



森はすっかり冬景色、野鳥を探してこういう森を歩きます。

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讃美歌Ⅱ 167番

2014-12-04 13:51:07 | 讃美歌
讃美歌Ⅱ 167番 「我をも救いし」
  
 1)我をも救いし くしき恵み
   迷いし身も今 立ち帰りぬ

 2)おそれを信仰に 変え給いし
   我が主の御(み)恵み げに尊し

 3)苦しみ悩みも くしき恵み
   今日まで守りし 主にぞ任せん

 4)我が主の御誓(みちか)い 永久(とわ)に固(かた)し
   主こそは我が盾(たて) 我が命ぞ

 5)この身は衰え 世を去るとき
   喜びあふるる 御国に生きん

「Amazing Grace」の英語の歌詞を載せます。

  Amazing Grace, how sweet the sound
  That saved a wretch like me
  I once was lost but now am found
  Was blind but now I see

  'Twas Grace that taught my heart to fear
  And Grace, My fears relieved
  How precious did that Grace appear
  The hour I first believed

  Through many dangers, toils and snares
  We have already come
  'Twas Grace that brought us safe thus far
  And Grace will lead us home

  When we've been here ten thousand years
  Bright shining as the sun
  We've no less days to sing God's praise
  Than when we've first begun

  Than when we've first begun


作詞者はジョン・ニュートン (John Newton,1725–1807) 作曲者は不詳。
アイルランドかスコットランドの民謡を掛け合わせて作られたとしたり、19世紀に南部アメリカで作られたとするなど、諸説がある。

ジョン・ニュートンは1725年、イギリスに生まれた。
母親は幼いニュートンに聖書を読んで聞かせるなど敬虔なクリスチャンだったが、ニュートンが7歳の時に亡くなった。
成長したニュートンは、商船の指揮官であった父に付いて船乗りとなったが、さまざまな船を渡り歩くうちに
黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に携わり富を得るようになった。
当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であり、輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪であった。
このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症や脱水症状、栄養失調などの原因で死亡したといわれる。
ニュートンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていたが、
1748年5月10日、彼が22歳の時に転機は訪れた。
イングランドへ蜜蠟を輸送中、船が嵐に遭い浸水、転覆の危険に陥ったのである。
今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈った。
敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだったという。
すると流出していた貨物が船倉の穴を塞いで浸水が弱まり、船は運よく難を逃れたのである。
ニュートンはこの日を精神的転機とし、それ以降、酒や賭け事、不謹慎な行いを控え、
聖書や宗教的書物を読むようになった。
また、彼は奴隷に対しそれまでになかった同情を感じるようにもなったが、その後の6年間も依然として奴隷貿易に
従事し続けた。 のちに、真の改悛を迎えるにはさらに多くの時間と出来事が必要だったと彼は語っている。
1755年、ニュートンは病気を理由に船を降り、勉学と多額の献金を重ねて牧師となった。
そして1772年に「アメイジング・グレイス」を作詞した。
歌詞の中では、黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、それにも拘らず赦しを与えた神の愛に対する感謝が歌われている。
彼は、この曲の他にもいくつかの賛美歌を遺している。  (以上、Wikipediaからの引用です。)

讃美歌Ⅱ 167番「アメイジング・グレイス」はココをクリックすると聴くことができます。




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讃美歌504番

2014-11-27 13:19:06 | 讃美歌
先日11月23日は「収穫感謝礼拝」で、主の恵みによる収穫を感謝いたしました。
礼拝で歌った、讃美歌504番「実れる田の面は」です。

1)実れる田の面(も)は 見渡す限り
  穂波の立ちつつ 日影に匂(にお)う
 
 Chorus:
  垂穂(たりほ)は色づき 敏鎌(とがま)を待てり
 いざいざ刈らずや 時過ぎぬ間に

2)しののめと共に とく起き出(い)でて
  暮れ果つるまでも 刈らしめ給え
Repeat Chorus.

3)刈り入れ豊かに 刈り手は乏(とぼ)し
  勤(いそ)しむ僕(しもべ)を 主よ、増し給え
Repeat Chorus.

4)刈り入れ終えなば 天つ御倉(みくら)に
  収めて祝いの 筵(むしろ)に侍(はべ)らん
Repeat Chorus.

“Far and near the fields are teeming” by J.O.Thompson, 1885
「REAPERS」 by J.B.O.Csemms, 1885

ネットで讃美歌の解説は見つけられませんでしたが、
収穫感謝祭(11月25日)についての記述がありました。*********************
 
1607年ごろ、当時、英国国教会に圧迫されたピューリタン(清教徒)と呼ばれた人々は、
信教の自由を求めてオランダのアムステルダムやライデン地に逃れました。
しかし、ここでも迫害を受けたので、自由の天地を求めてメイフラワー号という船に乗って
アメリカ大陸を目指しました。
男子78名、女子24名、計102名の人々が2ヶ月もかかって大西洋を渡り、1620年の秋の暮、
「新大陸」に到着しました。
この人々が、米国独立の理想の礎石となったピルグリム・ファーザーズと呼ばれる一群でした。
しかしこの地方は非常にやせた土地で、翌年の夏までに半数の人が死んでしまうような過酷な毎日でした。
彼等の大部分は都会出身の、いわゆる知識階級の人々で、農業についても開墾についても、
ほとんど知識と経験をもっていませんでした。
やがて遅い春が来たとき、冬の間に親しくなった、近くにいた先住民のインディアンたちが、
とうもろこし、えんどう豆、小麦、大麦の種を分けてくれ、播き方を教えてくれました。
そして、秋が来て最初の農作物を収穫した時、彼らは開拓地の教会に集り、感謝の礼拝をささげ、
また家庭にインディアンの友人たちを招いて、感謝祭の食事を共にしました。
とうもろこしや小麦のパン、カボチャパイ、野性の七面鳥に鴨のロースト、
それに野性のつるこけもものゼリー状のソースなどをそえてのごちそうでした。
1864年、リンカーン大統領はこの出来事を記念して11月第4木曜日を祝日に定めました。

今は、日本の教会では11月第4日曜日を収穫感謝の日として、野菜や果物を教会に持って集り、
祭壇にささげて礼拝を守ります。
また、その献げ物を施設などに届けて感謝を分かち合う教会もあります。**********************


讃美歌504番はココをクリックすると聴くことができます。



<アオジ>が山から下りてきました。今シーズン初撮りです。


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讃美歌301番

2014-11-19 20:55:21 | 讃美歌
讃美歌301番 「山辺に向かいて」  一昨日の永眠者記念礼拝で歌いました。

 1)山辺に 向かいて我 目を上(あ)ぐ
   助けは いずかたより 来(きた)るか
   天地(あめつち)の御神(みかみ)より 助けぞ我に来る

 2)御神は 汝(なれ)の足を 強くす
   御守(みまも)り あれば汝は 動かじ
   御民をば守る者 まどろみ眠りまさじ

 3)御神は 仇(あだ)を防ぐ 盾なり
   汝(な)が身を 常に守る 陰(かげ)なり
   夜は月、昼は日も 汝(なれ)をば損なうまじ

 4)御神は災いをも 避けしめ
   疲れし魂をも 休ます
   出(い)づるおり、入るおりも 絶えせず汝を守らん

  作詞 別所梅之助
  作曲 Charles henry Purday,1860

作詞者の別所梅乃助は明治の初めに生まれ、太平洋戦争終了間際まで生きました。
牧師でもあり、日本のいくつかの著名な讃美歌の編集に携わりました。
青山学院の国語の教師の経験もあり、美しい日本語の歌詞を志しました。
きっと同級生の中田重治の影響もあるでしょう。
共にYMCAで伝道活動をしました。

作曲はイギリスのチャールズ・ヘンリー・パーディ。
Purday は Dr.John Cumming が牧師の間(1840年代)ロンドンの
Crown Court Scots Church in Covent Garden の讃美歌指導者に任命された。
Dr.Cumming 牧師の教会はとても人気があったので、 Bow Street と Drury Lane では
礼拝へ行くための乗り物の群れが込み合って動けなかったと言われています。
Purday は素晴らしい声楽家で、ヴィクトリア女王の戴冠式でも歌いました。
彼は音楽出版者となり、著作権法の改正運動の先駆者でもありました。 
↑ 以上、ネットからの引用です。 m(_ _)m

この詩は詩編121篇をモチーフにしています。
目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから。
どうか、主があなたを助けて 足がよろめかないようにし
まどろむことなく見守ってくださるように。
見よ、イスラエルを見守る方は まどろむことなく、眠ることもない。
主はあなたを見も盛る方 あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。
昼、太陽はあなたを撃つことがなく 夜、月もあなたを撃つことがない。
主がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り 
あなたの生しいを見守ってくださるように。
あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。
今も、そしてとこしえに。


私の姉が重篤な病気で死に向かっていると思われたとき、伝道師の上の姉が
病院で読んだ聖句が詩編121篇でした。
一昨日は永眠者記念礼拝でしたが、この讃美歌も私たちが死に向き合う時も
傍らにいます神の見守りのうちにある、ということを歌っています。

ココをクリックすると讃美歌301番を聴くことができます。



公園脇の川の<キセキレイ>です。
寒くなって上流から都市公園に戻って来ました。

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クリスマス委員会ももたれ、クリスマスに向けてのご案内のチラシや葉書の準備が始まりました。
今年のクリスマス礼拝、教会学校の生徒さんと一緒の祝会、イブの夕拝(キャロリング)は
どんな風になるのでしょうか、楽しみです。 (^-^)
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讃美歌529番 「ああうれし、わが身も」

2014-11-12 16:48:21 | 讃美歌
讃美歌529番 「ああうれし、我が身も」 先週の礼拝で歌いました。

 1)ああうれし、我が身も 主のものとなりけり
   浮世だにさながら 天つ世の心地す
  Chorus:
   歌わでやあるべき 救われし身の幸(さち)
   たたえでやあるべき 御救いのかしこさ

 2)残りなく御旨(みむね)に 任せたる心に
   えも言えず妙なる 幻を見るかな
  Repeat Chorus.

 3)胸の波収まり 心いと静けし
   我もなく世もなく ただ主のみいませり
  Repeat Chorus.

この讃美歌は、アメリカの盲目詩人Frances Jane (Crosby)Van Alstyne(1820-1915 一般にファニー・クロスビーと呼ばれている)が
歌詞した。 彼は友人であり作曲家及び歌手として知られていた Phoebe Parlmer Knapp(1839-1908)がある曲を作り
これに合った歌詞を書いて欲しいと頼まれて、その曲の美しさに感動してこの歌詞を書いたという。
これは曲の方が先にでき、歌詞がそれに従った少数の場合の一つである。

ファニー・クロスビー:生涯に6000以上もの歌詞を作詞したが、その単純さと熱誠が人気をもたらした。
Phoebe Parlmer Knapp(1839-1908)は讃美歌の作曲者でありまたオルガニストでもあった。
彼女はW.C.Parlmerの娘としてニューヨーク市に生まれた。
結婚したJ.F.Knapp氏は保険会社の設立者で会社の副社長でもあり、家にはパイプオルガンが設置されていた。
彼女と夫はJohn Street Methodist Episcopal church の会員で、美歌作家のファニー・クロスビーは会員であり
彼らの友人でもあった。

彼女は500以上の讃美歌曲を書いた。
最も親しまれているのはクロスビーの詩“ASSERANCE” のために書いた“Blessed Assurance” であろう。
彼女は Poland, Mine in USA で亡くなった。 (以上、ネットからの引用です。)

ココをクリックすると讃美歌529番を聴くことができます。
女性8名、男性3名の奈良教会の聖歌隊、こんなにも力強い歌声が出せるんですね~
美竹教会では毎月第一主日の礼拝後、少人数ですが、讃美歌練習をしています。
大丈夫、大丈夫! 聖歌隊として十分活躍できますね! ファイッ!! 


冬鳥の<ツグミ>を今シーズン初めて見ました。
春に旅立つまで、公園で姿を見せてくれることでしょう。


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讃美歌21 81番 「主の食卓を囲み」

2014-11-05 13:03:20 | 讃美歌
讃美歌21 81番 「主の食卓を囲み」   作詞・作曲 新垣壬敏(あらがき つぐとし) 

美竹教会では毎月、第一主日礼拝には聖餐式があり、主の体をあらわすパンと主の血潮をあらわす
葡萄酒(ジュース?)を皆で味わい、主の食卓に招かれている平安を感謝します。
聖餐式で歌った讃美歌です。 
「マラナタ」とはアラマイ語で、主よ来てくださいと言う意味だそうです。

  1 主の食卓を囲み、いのちのパンをいただき、
    救いのさかずきを飲み、主にあってわれらはひとつ。
 (くりかえし)
     マラナ・タ、マラナ・タ、主のみ国がきますように。
     マラナ・タ、マラナ・タ、主のみ国がきますように。

  2 主の十字架をおもい、主の復活をたたえ、
    主のみ国を待ち望み、主にあってわれらは生きる。
   
  3 主の呼びかけにこたえ、主のみことぱに従い、
    愛のいぶきに満たされ、主にあってわれらは歩む。

作詞・作曲は、カトリックの信徒:新垣壬敏(あらかきつぐとし)さん(1938~)で、
現代日本の代表的な作曲家のお一人です。オペラ「26人の殉教」(田中澄江脚本)は
代表作として広く知られています。
新垣さんは、フィリピンで漁業組合長の仕事をしていた父とスペイン系フィリピン人の
母との間に生まれ、カトリックの信仰の中で育ちました。
戦争末期には6ヶ月も山の中で逃げ回り、1946年に沖縄に帰国しました。
敗戦後の混乱期であり、18歳になってピアノを沖縄の駐留米軍の中にいた
コーニー・ブラウン女史(ボストン音楽大学教授)から教わりました。
1964年に、パスポートを取得(沖縄が本土復帰以前)して、国立音楽大学で学びました。
カトリック教会では、第二ヴァチカン公会議(1962~66年)が開かれ、ミサが、
ラテン語から自国語に変わることになり、新垣さんにとって大きな転機となりました。
新垣さんの音楽は、母が歌ってくれた子守歌のスペインの響き、フィリピンの音楽、
琉球の旋律、幼少時代から身についたグレゴリオ聖歌などが影響されているようです。

マナラ・タは、1983年、カトリックの司祭が叙階されるときの贈る歌として生まれた讃美歌です。
カトリックだけではなく、超教派的に歌われ『讃美歌21』や『新生讃美歌』、『古今聖歌集』等に採用され、
フィリピンの『バンブー・ヒムナル』にも英訳され歌われています。

新垣さんは「ごらんよ空の鳥」や「マラナタ」、「キリストはぶどうの木」をはじめ、『典礼聖歌集』や
新しい『カトリック典礼聖歌集』の中の数々の聖歌の作曲をされています。
白百合女子大学教授で、長年、東京カトリック神学院でも神学生の典礼指導にあたっておられます。
イエズス・マリアの聖心会ともかかわりが深く、「指なき合掌」という福者ダミアン神父の歌も作曲なさり、
『カトリック典礼聖歌集』に入っています。    (以上、ネットのあちらこちらのサイトからの引用です。)

ココをクリックすると讃美歌21 81番のメロディを聴くことができます。



公園の池に鴨たちが渡ってきています。
<オナガガモ(♂)>です。

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渋谷の地にあって美竹教会が周囲の方々にとって燈台のようになったら嬉しいことです。
悩む人、重荷を負う方々が一人でも教会の扉を開けて神さまの御言葉に出会いますように!
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讃美歌79番「ほめたたえよ造り主を」

2014-10-30 21:36:13 | 讃美歌
讃美歌79番「ほめたたえよ造り主を」  先週の礼拝で歌いました。 

 1)ほめたたえよ、造り主を
   清き御前(みまえ)に ひれ伏し
   献(ささ)げまつれ、身をも魂(たま)をも
   類(たぐい)なき御名(みな)を あがめて

 2)くすしきかな、神の力
   荒ぶる波を 静めて
   危うきより 御民(みたみ)を守り
   この世の悩みに 勝たしむ

 3)恵みの神、栄えの主を
   もろ声あげて たたえよ
   強き手もて 導き給う
   主にのみ御栄え 尽きざれ

  We praise Thee, O God, our Redeemer
  by Julia Bulkley (Cady) Cory, 1904

  KREMSER
  Old Netherlands Melody

作詞したジュリアは1882年にニューヨークで生まれました。
彼女はニューヨークの著名な建築家 J.Cleveland Cady の娘でした。
彼女の父は、日曜学校の superintendent(教育長?)であり、聖歌の作曲家でもありました。
その父の影響もあってか、ジュリアは小さなころから讃美歌を書き始めました。
彼女は Brick Presbyterian Church の会員でしたが、1911年に Robert Haskell Cory と結婚し
その後はずっとニュージャージ州の Presbyterian Church in Englewood の会員でした。
彼女は生涯、ニューヨーク市の聖歌協会の会員でした。 
1963年 Englewood で亡くなりました。 3人の息子を育て15人の孫がいました。

1902年ジュリアはこの讃美歌を J.Archer Gibson の要望により書きました。
Gibsonはジュリアの家族が通っていた Brick Presbyterian Church のオルガにストで、
KREMSER のための新しい歌を求めていたのです。
この讃美歌はその年の Thanksgiving Day に初めて公表され、1910年の“Hymns of the Living Chruch”に載りました。
KRESMERというのはオランダの古い曲です。 (以上、ネットからの引用です。)

ココをクリックすると讃美歌79番(英語版)を聴くことができます。


<ホシハジロ(♀)>の羽を広げた後ろ姿です。
残念、顔が見えません。(^^;)


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讃美歌361番 「主にありてぞ」

2014-10-21 18:06:27 | 讃美歌
讃美歌361番 「主にありてぞ」  先週の礼拝で歌いました。

  1 主にありてぞ われは生くる、
    われ主に、主われに ありてやすし。

  2 主にありてぞ われ死なばや、
    主にある死こそは いのちなれば。

  3 生くるうれし、死ぬるもよし、
    主にあるわが身の さちはひとし。

  4 われ主に、主は われにありて、
    天こそとこよの わが家となれ。


原作者Henry Harbaugh(1817-67)はペンシルバニア州に生まれ、小青年時代を農夫、大工、学校教師として過ごし、
1840年マーサーズバーグのカレッジに入学。 3年後、マーサーズバーグ神学校に通い説教者としての資格を取った。
その後、ドイツ改革派の聖職者となり各地の教会で牧した後、1863年頃、マーサーズバーグ神学校の教授となり
死にいたるまで在職した。

彼は又、雑誌“Guardian”と“Mercersburg Review”の主筆として、いわゆる「マーサーズバーグ神学」の普及に努めた。

この歌は信者とキリストとの合一を主題としたもので、1850年に作られ“Hymns of the Church、1869”に掲載された。
作者の神学的傾向を反映している。

曲名“Trentham”はイングランド中部 Staffordshire 州にある村の名前で、作曲者 Robert Jackson(1842-1914)の生まれ故郷である。
ジャクソンは、ロンドンの王室音楽学校に入学し優秀な成績ゆえに銀メダルを獲って卒業した。
卒業後しばらくロンドンの聖マルコ教会のオルガニストを勤めたが、1869年父の死により、郷里オルダム(ランカシャー地域)に帰り、
父の後を継いで、同市の聖ペテロ教会のオルガニスト兼聖歌隊長となった。
永眠まで45年間この地位にとどまったが、父も同じ地位に47年間あり、父子が継続して合計92年間も一つの教会のオルガニスト
兼聖歌隊長を務めたということは、例が少ない。
ジャクスンは、オルダム音楽協会の指揮者をも兼ね、又オルガンの教師もして、多くの門弟を世に送った。
作曲としては、アンセム、合唱曲、讃美歌、歌曲等多数が残っている。

ここに収録したTrenthamは,1894年に作曲され、ジャクスン自身の“Sacred Leaflets、1888”において公表された曲である。
英国ではあまり普及しなかったが、米国においては、この曲を色々の歌詞に配して用いている。

↑ ネットからの引用です。



<エナガ>という野鳥です。
初夏に巣立った雛が10羽くらいずら~っと並んだ
「エナガのおしくらまんじゅう」はそれはそれは可愛いものです。
いつか写真に撮ってアップしたいものです。


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讃美歌355番 「主を仰ぎみれば」

2014-10-14 20:36:55 | 讃美歌
先日の礼拝で歌いました。 讃美歌355番 「主を仰ぎみれば」

 1)主を仰ぎ見れば 古きわれは
   現世(うつしよ)と共に 速く去りゆき
   われならぬわれの あらわれきて
   見ずや天地ぞ あらたまれる

 2)うつくしの都 エルサレムは
   今こそくだりて われに来つれ
   主ともに在(いま))せば つきぬさちは
   きよき河のごと 湧きてながる

 3)うるわし慕わし とこ世の国
   うららに恵みの 日かげ照れば
   生命の木の実は みのり繁く
   もはや死の影も なやみもなし

 4)つゆだに功の あらぬ身をも
   潔めてみくにの 世嗣(よつぎ)となし
   黄金のみとのに 住ませたもう
   わが主の愛こそ かぎりなけれ

作詞者宮川勇(1889-1945)は長野県に生まれ、明治学院神学部卒業後、東北、九州、関西、北海道の教会を牧し、
終戦の年、清水において永眠した。
幼児から文学と絵画とを好み、和歌、俳句、新体詩等を作り、入信後、讃美歌を作り始めその数は数百に上った。
この歌は彼が九州佐伯の教会を牧していた頃、祈祷と瞑想のうちに黙示碌21、22章を読んで、俄然心機一転し、
無限の喜びと平和とに満たされ、その経験を表現したものであるという。
昭和6年版『讃美歌』編集の時、懸賞募集に当選して一般に公表された。
作者の代表作と目され、土家初枝の旋律によって広く歌われている。

作曲者土屋初枝(旧姓:遠藤1909-)は、静岡女子師範学校を卒業後、教職につき音楽などを教えた。
この曲は、昭和5年に旋律が作られ翌昭和6年版『讃美歌』に発表された。  (以上、ネットからの引用です。)

讃美歌355番のメロディはここをクリックすると聴かれます。



<オナガ>の幼鳥です。
手乗りになりそうなほど近くに来ました。 (^-^)


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