(営業最終日・営業時刻終了後のシーン 天王寺・居酒屋「明治屋」) 2010/10/28 22:15撮影(トイカメラモードにて)
■2010/10/28(木) 曇 少々寒し
日本に数ある居酒屋の中で、三本の指に入るという酒通の中では、知らない人はまずいない、
天王寺「明治屋」の最終日の最終時刻(22:00迄)を15分過ぎた店内の写真を
トイカメラモードでおさめさせてもらった。(写真)
今朝10/29の日経新聞・朝刊の「窓」のコーナーにも写真入りでここの記事が掲載されていた。
昭和13年から実に72年という歴史に幕
カウンター、酒の置かれた棚、牛の置物、黒光りした椅子に一斗樽まで、全てが歴史を刻んだ
シーンの中に溶け込んでいる。
この最後の瞬間を味わおうと私も天王寺付近の他の店で時間を潰すこと約3時間、21時20分に
この店に入った。お店には、関東から駆け付けた客もいて、私以上にこの最後の風景を写真に
収めていた人も目についた。
まるでブルートレインのさよなら運行の夜に近いものがある。
頼んだお酒は、「神亀」(しんかめ) とこの店自慢メニューのひとつ「湯豆腐」
埼玉が誇るというか、関東の中でも銘酒中の銘酒を注文した。 何とも言えないのど越しの良さ。
大阪で、いや関西で「神亀」が飲めるというのもこの店ならでは。
阿倍野再開発で、天王寺の交差点付近は、様変わりしようとしている。この店は、最後まで
立ち退きに反対し、日経新聞にもその記事が載ったことがある。 最後の一店。
もちろん私も立ち退きに大反対の一人。
しかし、ブルートレインが消えていくことを余儀なくされたように 本日2010年10月28日
木曜日午後10時をもって72年にわたる歴史に幕が降ろされ、私はその場面を見届けた
数少ない一人となった。
この写真を見て「おやっ?」と思った人もいるのではなかろうか。
そう、カレンダーの日付が29日になってるじゃないかと。
午後10時を5分ほど過ぎて、4代目の英子さんが、
これは28日の日めくりをおもむろに破り、29日の日付を出したもの。
2010年10月29日 その日からこの店先に暖簾(のれん)は、
かからないが、 きっと営業後に行う長年の習慣なのだろう。
二丁目での72年にわたる営業は、今夜で最後。 来春、一丁目新ビルのテナントとして復活。
この店をそのまま持っていくと言われていた。
「黒光りする椅子もカウンターも壁にかかる大きな丸時計も牛の置物もこのまま全て
持って行ってください。」と先日お願いした。
特にこの1週間だけで3度おじゃました。金曜日はI君と 火曜日はYさんと。
そして最終日木曜の今日は一人で。 実に20年にわたり年約15回、累計ざっと300回になろうか。
この店には無言ながら色々なことを教えてもらった気がする。 特にお酒の美味しさを。
もしこの店を知らなければ、今、こうして日本酒を愛する私は存在していないはずだ。
72年の最後の夜、最後に飲んだ酒は残り少なくなった「八海山」
幾つもの海山超えて72年 次の春からも、引き続き日本酒党たちの気持ちを酔わせてほしい。
「酔虎満つ 最後の夜の 名残り酒」
(寅)
■2010/10/28(木) 曇 少々寒し
日本に数ある居酒屋の中で、三本の指に入るという酒通の中では、知らない人はまずいない、
天王寺「明治屋」の最終日の最終時刻(22:00迄)を15分過ぎた店内の写真を
トイカメラモードでおさめさせてもらった。(写真)
今朝10/29の日経新聞・朝刊の「窓」のコーナーにも写真入りでここの記事が掲載されていた。
昭和13年から実に72年という歴史に幕
カウンター、酒の置かれた棚、牛の置物、黒光りした椅子に一斗樽まで、全てが歴史を刻んだ
シーンの中に溶け込んでいる。
この最後の瞬間を味わおうと私も天王寺付近の他の店で時間を潰すこと約3時間、21時20分に
この店に入った。お店には、関東から駆け付けた客もいて、私以上にこの最後の風景を写真に
収めていた人も目についた。
まるでブルートレインのさよなら運行の夜に近いものがある。
頼んだお酒は、「神亀」(しんかめ) とこの店自慢メニューのひとつ「湯豆腐」
埼玉が誇るというか、関東の中でも銘酒中の銘酒を注文した。 何とも言えないのど越しの良さ。
大阪で、いや関西で「神亀」が飲めるというのもこの店ならでは。
阿倍野再開発で、天王寺の交差点付近は、様変わりしようとしている。この店は、最後まで
立ち退きに反対し、日経新聞にもその記事が載ったことがある。 最後の一店。
もちろん私も立ち退きに大反対の一人。
しかし、ブルートレインが消えていくことを余儀なくされたように 本日2010年10月28日
木曜日午後10時をもって72年にわたる歴史に幕が降ろされ、私はその場面を見届けた
数少ない一人となった。
この写真を見て「おやっ?」と思った人もいるのではなかろうか。
そう、カレンダーの日付が29日になってるじゃないかと。
午後10時を5分ほど過ぎて、4代目の英子さんが、
これは28日の日めくりをおもむろに破り、29日の日付を出したもの。
2010年10月29日 その日からこの店先に暖簾(のれん)は、
かからないが、 きっと営業後に行う長年の習慣なのだろう。
二丁目での72年にわたる営業は、今夜で最後。 来春、一丁目新ビルのテナントとして復活。
この店をそのまま持っていくと言われていた。
「黒光りする椅子もカウンターも壁にかかる大きな丸時計も牛の置物もこのまま全て
持って行ってください。」と先日お願いした。
特にこの1週間だけで3度おじゃました。金曜日はI君と 火曜日はYさんと。
そして最終日木曜の今日は一人で。 実に20年にわたり年約15回、累計ざっと300回になろうか。
この店には無言ながら色々なことを教えてもらった気がする。 特にお酒の美味しさを。
もしこの店を知らなければ、今、こうして日本酒を愛する私は存在していないはずだ。
72年の最後の夜、最後に飲んだ酒は残り少なくなった「八海山」
幾つもの海山超えて72年 次の春からも、引き続き日本酒党たちの気持ちを酔わせてほしい。
「酔虎満つ 最後の夜の 名残り酒」
(寅)