( 生田 悦子 )
■2018/7/17(火)
先週13日博多・櫛田神社で集団山見せを見て、14日は小倉で夜を楽しみ
15日に再び山笠の博多に寄ってから関西に戻ってきた。
そして今日17日午前、目にしたYahooニュースで
女優の「生田悦子」さんが、虚血性心不全で
15日に亡くなったことを知った。享年71歳
「えっ!? 確か2~3ケ月前に徹子の部屋に出てたけどな・・・」
なぜか平日、代休をとっていた。たまたまTVをつけたら
白髪姿の生田悦子が出たので、久々のTV出演に
驚いたことを強く憶えている。
福岡市・西新出身の女優「生田悦子」は、小さいときにTV画面で見て
こんな女性(ヒト)をたぶん美人というのではないだろうかと
子供ながらに美人だなと感じたお姉さんだった。
欽ちゃんのよせなべトリオとして出演した時は、35歳。
なんでこんなお笑い番組に出てるんだろう?
と違和感を憶えなくもなかったが、
TVに出て姿が見れることが
嬉しかったことを思い出す。
そして何よりも強く印象に残っているのが、司会者は誰だったか忘れたが
「私は脱がない。そんな女優が一人くらいいたって
いいじゃないですか」
この潔い言葉に感銘を受けた。たぶん生田悦子は40代だったと思う。
何だか 背筋がピンとしてるような心持ちに粋(いき)を感じた。
ただ、こういう女優は、使いづらい女優として
出番を減らしていったに違いない・・・
という想像も難くない。
もしこんな女性が女将(おかみ)で、カウンターごしに
日本酒を注いでくれたりすると最高この上なく
たぶん空席のできない超人気の酒房
・・・な~んて幻の想像も湧いてくる
ともかくも亡くなる直前まで普段通りの生活をされていたとか。
くしくも亡くなった7月15日は、博多山笠の
フィナーレ「追い山」の日
追い山(フィナーレ)に合わせ、福岡出身の女優が一人旅立ったと言えなくもない。
デビュー出演作は、「命果てる日まで」
命果てる日まで、駆け抜けた潔い人生だったような気がする。
昭和の星がまた一つ・・・ ご冥福をお祈り致します。
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(寅)