ピーナッツの唄

毎日の出来事や、スポーツ観戦、読書や映画等の感想を中心に、好奇心旺盛に書いています。

文化大学のこと NO1

2007-07-19 12:58:21 | 勉学
5月末から週1回千葉市文化大学に通っている。
毎週2時間の講座だが中々に中身の濃いもので楽しみに通学している。
そして3回連続の講義が1クールで、既に2クールが終了した。
そして今日から第3クールの始まりの講義があり、午後には出掛けます。

今回は第1クールの「歴史からみる藤沢周平文学」を紹介、小生なりの感想を記したい。
もともと文学と歴史学は隣あわせながら、余り対話をする事がなかった。しかし藤沢周平の作品は、江戸時代を理解する上でまたとない題材である。との観点から歴史学者であり藤沢文学の研究家高橋敏先生の講義に引き込まれた。

「天保悪党伝」講談や歌舞伎でお馴染みである、「天保六花撰」や「天衣粉上野初花」を下敷きにした小説だ。
六話からなるオムニバスの形式を取り、登場するのは6人の人物と周辺に巣食う悪党達だが、何らかの宿命を背負い、お上のご政道に反発して、一種の義侠心を持った人物たちである。
飲む打つ買うは朝飯前、金になれば平気で人を殺す悪党だが、最後まで冷酷な悪に徹しきれず弱きをたすけんがために身命さえ賭す任侠の人の善さを感じさせられる人物たちでもあるのだ。
生きんがために、ゆすり、騙りを繰返し、更には子息の任官の為の賂路の資金を用意しようと、水戸藩にゆすりを掛け破滅する河内山宗俊。そして子分を任じた片岡直次郎。
悲惨な父親の死をもたらした本庄藩に復讐をはかるが、巨大な支配体制の前に挫折する森田屋清蔵。
金子市之丞は博徒として、八州回りから逃れて、追剥に身をやつす。花魁の三千歳とくらやみの丑松も時代に翻弄させられながら、江戸の暗闇の中で生活せざるを得ない。歌舞伎の世界でもお馴染みの人物達に親密感も覚えた。
文化、文政の江戸時代の爛熟期に於ける、アウトーローたちを妖しい魅力を持って描いた作品だ。
見るものは見尽くしたとして、時代小説にのめり込んだ藤沢周平文学だが、現代を江戸時代にスリップさせる手法で描いた、脂ののりきった時代の作品のひとつの様だ。

他には市井の人を題材に「江戸の辺境に生きる」職人、商人を描く人間模様の作品の数々。
永く病気に悩まされ、業界紙の編集者から小説家に転進、そして直木賞受賞から恵まれた時代へと辿りつつ、作品の中身が徐々に明るさが増してくる過程が見えてくる様だ。
そして郷里鶴岡を題材の「義民が駆ける」は時代小説から歴史小説への変換が行なわれる。地元で永く語り継がれた歴史事項だが、何故に農民が多くの犠牲を払う危険性を冒して、幕府に三方国替えの翻意を訴えたか。
義民として称えられた農民達にも、したたかな計算が隠されていて一面的に捉えられない歴史の真実があるのだろうと、藤沢周平があとがきで述べている。同感である。

郷里山形の出身の藤沢周平の作品の魅力を再発見できる機会になりました。
コメント
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