ピーナッツの唄

毎日の出来事や、スポーツ観戦、読書や映画等の感想を中心に、好奇心旺盛に書いています。

帰国残留孤児の事

2007-07-10 14:09:34 | ニュース 
安倍総理の決断で、帰国残留孤児の支援問題が決着する事になった。
残留孤児たちは、旧満州の開拓の名の元に進められた国策によって生み出された。
勿論、大部分の日本人達は家族と共に日本に帰る事が出来たが、家族と共に彼の地で亡くなった者も多かった。
しかし、日本に帰る途中に親を亡くしたり、家族と別れ離れになってしまった子どもも多数存在した様だ。その子ども達は、心ある中国の人に拾われたり、保護されて育ってきた。
一部には単に労働力として拾われて、過酷な生活を送った方も居た様だ。
長ずるに及んで日本に帰国していた家族の消息が分かったり、お互いの国の方針もあり日本人として帰国する事が出来る様になった。
そして終戦の混乱の中で旧満州に置き去りにされてから62年になる。
その間に速やかな帰国と自立への支援を国は怠ってきた。
帰国した残留孤児の皆さんは、生まれ故郷の日本に「帰ってきてよかったと心からいえる生活」にはほど遠かった。
高齢者になった多くの方は、生活保護を受けながら、私達は2度日本国に裏切られたと嘆いている。そして国に損害賠償を求めて裁判を起していたのだ。

山崎豊子さんの小説「大地の子」は、この残留孤児の物語だ。
妹と共に中国に残留せざるを得なかった主人公。日本人の子として、養父母の下で幾多の迫害を跳ね除け、遂には瀕死の床にあった妹に出会ったり、日本に残った父親と劇的な出会いを重ねる。
日本に帰国を勧める父親に、自分を拾い育ててくれた養父母に感謝しつつ、自分はこの広い「大地の子」として中国で生きる決心を語る場面が実に印象的な小説だった。
その後にNHKのドラマにもなり、多くの方の協賛を得た。
主演の「上川隆也」はこのドラマで一躍スターになった。共演の仲代達也や中国の両親役の俳優も実に奥の深い演技を見せてくれたので、このドラマを覚えておられる方も多いと思う。

小生が学んだ村立中学校にも、昭和28年頃にやはり帰国した孤児が居られた。帰国の事情は良くは分からない。
村で受け入れたのだが、本人は学校の用務員室に居宅して、日本語を学びながら働いて居た。
中学校の卒業記念写真に彼も一緒に写っているが、確か年齢は20歳位だったろう。
生きておられれば小生より少し上の、高齢者になっている筈だ。今はどうされているのだろうか?。

ようやく永年苦労をされた帰国残留孤児のみなさんに、少しだが援助の手が差し伸べられた事は一歩前進と言える。
この様になかなか目が届いているとは言へない人達が、人間らしい尊厳を持って生活できる場を提供するのも政治の大きな課題だと思う。参院選挙でも慎重な一票を投じていきたい
コメント
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