吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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日本人の地域信仰は宗教か No297

2011-10-01 02:15:26 | 神霊界考察
前回の『空知太神社』にて政教分離について述べたが
実際のところ日本人の地域信仰行事は
本当に宗教なのかという問題がある。
おおよそ宗教が何かという定義が無い中で
議論がされるのはある意味で陳腐である。
まあいろんな捉え方はあると思うが
ある観念体系に基づく教義、儀礼、施設、組織などを
備えた社会集団であるとする。
仮にそう定義したところで
例えば地域の神社の祭りに参加する人間に
どれだけの教義と理解について認識があるのかは
千差万別でありいったい何を備えると宗教的なのかは
実は明確とはいえないのが実態である。
鳥居があれば宗教施設というなら
立ちションやゴミ捨て防止の鳥居は宗教施設なのだろうか?
あるいは神道を信じるという私が
バチカンで祈るとバチカンはその瞬間は
神道の宗教施設といえるのであろうか?
あるいはその瞬間は私がバチカンの信者なのであろうか?
空知太神社が宗教施設といえるのは
鳥居があり天照大神が祭られ人々が信仰して参拝するからという
外形的認識によるものと仮定する時に
では祭神が不明な数多くの神社はどう判断するのか?
鳥居が無い神社はどう判断するのかという素朴な疑問が噴出する。
あるいは信仰者を基準にするなら
クリスマスを祝い正月に神社に参拝することを
どう解釈するというのか。
あるいは寄付賽銭を基本にするならと考えていっても
イタリアのトレビの泉で賽銭を投げる行為は
どういう宗教行為なのか論理的に説明出来るというのか?
どれをとっても地域信仰や祭りは宗教と断定するに足りないことが分る。
結局のところ宗教とは施設などの外形ではなく
施設の場合はその管理者が存在してその管理者が持つ教義によって
定義するしか他に方法が無いのだ。
団体の場合は共通する教義、儀礼を説明できる人がいない場合は
オウムの念仏と同じ模倣であり外形が宗教に似ているだけであって
宗教とはいえないということになる。
 


さて話がとぶが「珍日本三大奇祭」とも言われる『キリスト祭り』←クリック)
どういう宗教であると定義出来るか教えていただきたい。
まずこれは宗教なのか盆踊りなのかが判明しない。
神主が出向けば神道宗教といえるほど簡単なものでもあるまい。


今回の政教分離訴訟でなんであんな小さい鳥居と公民館の祠が
ターゲットとされねばならなかったのか?
この空知太神社がある砂川市は人口2万人弱の街である。
まさにそこに悪意がある。
日本国憲法は1946年(昭和21年)11月3日公布で
今年で65年近くになるが
この間で憲法違反とされた違憲判決は20件程度しかない。
この判決の趣旨に従えば
公有財産内において宗教的概観を持つものは
全てが違法ということに拡大解釈される恐れがある。
宮内庁管轄の天皇陵には鳥居と参拝スペースが備えられているが
照らし合わせれば当然に違法である。

宗教施設の概念を確立していく責務があったのに
そこが抜けてしまった。
現実的にいって本当の宗教施設であれば
どうとでも管理する人や団体が対応すればいいのだが
小さな祠はそうでないから
結局消えてしまうことになることがとても大きな問題なのだ。
そして大きな声ではいえないが
もうその問題はある結果として噴出している。
敬虔な心と地域の拠り所を失った時に地域はどうなっていくのか
気づく人は気づきつつある。



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