以前記載した『菊池市の神来貴船神社参拝記 No484』で
神来貴船神社を創建した菊池則隆公が他にも
呉系姫氏祭祀の神社を創建して無いかを調査して
その一つに護此君神社=呉姫君神社を見つけたことを記載した。
その後の調査で熊本県荒尾市の菊池則隆公創設の「四山神社」を参拝した際に
呉系の御神霊の降臨を感じたので報告しておきたい。
実はここでは確実性のある伝承的なものは発見できていない。
しかし四山神社で有名な『福銭五円玉』は『呉縁』であるし
虚空蔵菩薩の降臨伝説は呉太伯を金星太白としたために
金星太白の虚空蔵菩薩が祀られる結果となったと思われる。
実はこの神社の前は何回か車で通っているのだが
以前鳥居の四山神社の文字を白山神社と見間違えていたことがある。
決して見間違うようなあいまいな文字ではないのだが
白山神社に見えたことが気になっていた神社である。
いろいろと調べていて菊池氏の栄枯盛衰が呉音霊の祭祀、
あるいは祭祀による実際の呉音霊の到来と逗留と帰還とに
深く係わることが分かってきた。
地方の一豪族が日本史に名を残すまでに影響力を持てたのには
呉音霊の威が振われた事が大きいようである。
ところで菊池武時は護良親王の命により、
一族を率い博多の北条探題邸に決死の覚悟で討ち入っているのだが
討ち入りに先立ち長男の武重を袖ヶ浦に呼び、
再起を図ることを命じて故郷菊池に帰している。
これは「袖ヶ浦の別れ」と呼ばれる。
そして打ち入った菊池武時らは全員討ち死にしている。
この件で「菊池武時は後醍醐天皇に一命を賭した忠臣第一の人」と
賞賛した楠正成も二年後には決死の湊川の戦いに赴いて戦死する。
その時に前例に倣いやはり子供の正行を引き返させている。
これが有名な「桜井の別れ」であるが、
日本人の決死の覚悟に表れる美学はこうやって熟成されていく。
ちなみに武時の「袖ヶ浦の別れ」での句は
「故郷に今宵ばかりの命とも知らでや人の我を待つらん」と
家族を思いやっている。そして辞世の句は
「もののふの上矢のかぶら一筋に思ふ心は神ぞ知るらむ」と潔い。
楠兄弟の湊川の戦いでの辞世の句は
楠木正李 「七生までただ同じ人間に生まれて、朝敵を滅ぼさばや」
楠木正成 「罪業深き悪念なれども、われもかように思ふなり。
いざさらば同じく生を替へてこの本懐を達せん」
日本人の潜在意識に残る「散る桜 残る桜も 散る桜」という句は
仏教の諸行無常の響きがあるが皆決して死に急いでいる訳ではない。
「七生報国」は日本の国防意識において強い防波堤ともなったが
実は菊池氏が奉斎した過去の呉音霊の演出である可能性が高い。
呉音神祭祀での日本の国防祈願の在り方を考えるときに
武に走りすぎることだけは控えるように祈願していきたい。
追記
今週は護比君神社にも参拝してきたのだが
地震の被害がかなりあって復旧も進んでいない状態だった。
鳥居も狛犬も倒れたままの状態で無残としかいいようがない。
扁額(神額)
同日(8/19)のことだが阿蘇の霜宮神社では御神体を火焚き屋に遷座して
乙女が火を焚き始める「乙女入り」の儀式があった。
筆者が儀式後に撮った写真なのだが面白いオーブもどきの写真が写っている。
五色オーブ
オーブはダストと光の加減で映り込む光学現象なのだが
確かに神社仏閣での映り込みが多い気もする。
今回のように虹色五色というのは初めてである。
霜宮神社の神事は鬼八の霊を慰撫するものなのだが
この鬼八は貴船神社の仏国童子 牛鬼 舌家の家紋の菱印に八の字と
妙にかぶっているように思える。
鬼八の調査で訪れたのだがもう少し調べてからこの件は報告したい。
神来貴船神社を創建した菊池則隆公が他にも
呉系姫氏祭祀の神社を創建して無いかを調査して
その一つに護此君神社=呉姫君神社を見つけたことを記載した。
その後の調査で熊本県荒尾市の菊池則隆公創設の「四山神社」を参拝した際に
呉系の御神霊の降臨を感じたので報告しておきたい。
実はここでは確実性のある伝承的なものは発見できていない。
しかし四山神社で有名な『福銭五円玉』は『呉縁』であるし
虚空蔵菩薩の降臨伝説は呉太伯を金星太白としたために
金星太白の虚空蔵菩薩が祀られる結果となったと思われる。
実はこの神社の前は何回か車で通っているのだが
以前鳥居の四山神社の文字を白山神社と見間違えていたことがある。
決して見間違うようなあいまいな文字ではないのだが
白山神社に見えたことが気になっていた神社である。
いろいろと調べていて菊池氏の栄枯盛衰が呉音霊の祭祀、
あるいは祭祀による実際の呉音霊の到来と逗留と帰還とに
深く係わることが分かってきた。
地方の一豪族が日本史に名を残すまでに影響力を持てたのには
呉音霊の威が振われた事が大きいようである。
ところで菊池武時は護良親王の命により、
一族を率い博多の北条探題邸に決死の覚悟で討ち入っているのだが
討ち入りに先立ち長男の武重を袖ヶ浦に呼び、
再起を図ることを命じて故郷菊池に帰している。
これは「袖ヶ浦の別れ」と呼ばれる。
そして打ち入った菊池武時らは全員討ち死にしている。
この件で「菊池武時は後醍醐天皇に一命を賭した忠臣第一の人」と
賞賛した楠正成も二年後には決死の湊川の戦いに赴いて戦死する。
その時に前例に倣いやはり子供の正行を引き返させている。
これが有名な「桜井の別れ」であるが、
日本人の決死の覚悟に表れる美学はこうやって熟成されていく。
ちなみに武時の「袖ヶ浦の別れ」での句は
「故郷に今宵ばかりの命とも知らでや人の我を待つらん」と
家族を思いやっている。そして辞世の句は
「もののふの上矢のかぶら一筋に思ふ心は神ぞ知るらむ」と潔い。
楠兄弟の湊川の戦いでの辞世の句は
楠木正李 「七生までただ同じ人間に生まれて、朝敵を滅ぼさばや」
楠木正成 「罪業深き悪念なれども、われもかように思ふなり。
いざさらば同じく生を替へてこの本懐を達せん」
日本人の潜在意識に残る「散る桜 残る桜も 散る桜」という句は
仏教の諸行無常の響きがあるが皆決して死に急いでいる訳ではない。
「七生報国」は日本の国防意識において強い防波堤ともなったが
実は菊池氏が奉斎した過去の呉音霊の演出である可能性が高い。
呉音神祭祀での日本の国防祈願の在り方を考えるときに
武に走りすぎることだけは控えるように祈願していきたい。
追記
今週は護比君神社にも参拝してきたのだが
地震の被害がかなりあって復旧も進んでいない状態だった。
鳥居も狛犬も倒れたままの状態で無残としかいいようがない。
扁額(神額)
同日(8/19)のことだが阿蘇の霜宮神社では御神体を火焚き屋に遷座して
乙女が火を焚き始める「乙女入り」の儀式があった。
筆者が儀式後に撮った写真なのだが面白いオーブもどきの写真が写っている。
五色オーブ
オーブはダストと光の加減で映り込む光学現象なのだが
確かに神社仏閣での映り込みが多い気もする。
今回のように虹色五色というのは初めてである。
霜宮神社の神事は鬼八の霊を慰撫するものなのだが
この鬼八は貴船神社の仏国童子 牛鬼 舌家の家紋の菱印に八の字と
妙にかぶっているように思える。
鬼八の調査で訪れたのだがもう少し調べてからこの件は報告したい。