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吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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霧島高千穂峰で呉音神に感応した性空上人 No491

2018-08-02 16:20:38 | 神霊界考察
前回記載した『玉名の山田日吉神社内の乙護法童子』では
乙護法神は脊振山に関係した祭神であることが分かったが
それを祭祀する経緯には性空上人が深く関与している事が分かった。
性空上人の足取りをたどると呉音神の感応の初発は
どうも霧島高千穂峰であったように思える。

霧島といえば『呉音霊を考える No402』 で記載したように
謎の天逆鉾が高千穂峰の山頂に避雷針のごとく突き刺さっている。
当時はかなり貴重だと思われる青銅鉾を
わざわざあの足元が異様に悪い山頂に持っていくなどということは
よほどの故と思われるが
たぶん性空上人もあの逆鉾を目にし何か感じるものがあったのであろう。
霧島六社権現(霧島六所権現)を開山したとされる。


※江戸時代に薩摩藩が宮崎高千穂との天孫降臨の場所争いで
その根拠とするために
天沼矛の実物(偽装)として刺したという話があるが
半分事実で半分違うようである。
この逆鉾は二つに分かれ刺さった剣の平らな柄の上に
三本の刃を載せているのだがその刃が江戸時代に作られたのは事実らしい。
あの刺さっている側の柄の顔は天狗だというが
どうみてもそのようには見えない。

さて性空上人は俗名は橘善行であり父は従四位下橘善根である。
橘島田麻呂の河童伝承に始まり橘氏には呉系の渡来人との接点があり
性空上人もその秘密を知っていたのかもしれない。
橘氏と呉系との関わりについては以下を参照にしていただきたい。
『橘 禅譲の可能性 No341』
『八代の鎮宅霊符神 No337』
『香春の呉音霊 No403』


性空上人は延喜10年(910年)生まれであるが
36歳の時に慈恵大師(元三大師)良源に師事して出家。
康保3年(966年)には播磨国書写山に入山しているので
たぶん霧島に来ていたのは950年~960年頃ということになろう。

霧島神宮の公式HPには以下のように記載されている。
「旧記によると、本宮はもと高千穂峰と御鉢「噴火口」との中間の
脊門丘に奉斎されていましたが、御山の噴火のために悉く炎上し、
村上天皇の天暦年間(950年)天台宗の僧である性空上人が
高千穂河原に再興奉還しました。」以上

性空上人は広大な山域を修験道場として霧島六社権現を構築したと思われるが
そのうちの霧島岑神社はもとは霧島中央権現宮と呼ばれ
高千穂峰中腹の瀬多尾の高地に鎮座していたそうである。
現在高千穂峰に一番近い神社は霧島東神社で天逆鉾の所有神社であるが
高千穂峰中腹の瀬多尾越とは現在の高千穂河原の古宮址に比定されている。
だとすると霧島神宮の移動先との間には錯誤がありそうだが、
それはともかくこの高千穂河原の古宮址はとんでもない聖地である。



ちなみに高千穂峰の東側4kmほどの処に御池(みいけ)があるが
この池の「護摩壇港」には洞穴があり性空上人が護摩行をしたと伝わる。

『呉の太伯を祀るという鹿児島神宮に参拝 No406』
呉系姫氏の祭祀あるいは呉太伯の祭祀は韓国宇豆峯神社と思われると記載しているが
性空上人との繋がりが現在のところ見えていない。
この韓国は江戸時代までは辛國と記載されているものもあるので
韓国を意味するという訳ではない。
もっとも印刷版の延喜式神名帳では延長5年(927)大隅国贈於郡韓国宇豆峯神社 小
という記載となっている。
平安時代の原本は国宝となっている。どう書かれているかは確認できていない。
この古い時代の祭神は謎の神霊の辛國大明神とされている。
現在は韓国宇豆峯神社とされるがゆえに新羅に降臨した五十猛神となっている。
この構図は香春と似ているが意識的錯誤といえよう。
この件については金 達寿が「日本の中の朝鮮文化第11巻」で
吉野ヶ里 霧島 鹿児島という流れで古代朝鮮人が九州に国を開いていったと
記載している上に学会では過去にそれが支持されていたこともあったので
特別に注視している。
最近はDNA鑑定でその説はほぼ絵空事とされてきている。
再度添付しておくが吉野ヶ里の墳墓でも以下のように朝鮮経由は否定されている。
吉野ヶ里遺跡の考察
江南の長江流域文明からダイレクトに技術が渡来している可能性の示唆
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejge/68/4/68_621/_pdf
金達寿に関しては国賊の上田正昭が裏で暗躍している。
今や崩壊寸前の神社庁であるがここに朝鮮系を招き入れたとも噂されている。
あるいは解放運動に朝鮮系を招き入れたとも噂されている。
津田左右吉支持の左翼が歴史を捻じ曲げ神社本庁に潜り込み
日本神霊界を侮辱しその結果勲二等瑞宝章を授与され
韓国から修交勲章崇禮章を受ける様は戦後日本の象徴ともいえる。
ただし大正期の津田左右吉の主張はなかなかの気骨があり傾聴に値する。
『建国の事情と万世一計の思想』
http://aozora.binb.jp/reader/main.html?cid=53726

『歴史の矛盾性』
http://aozora.binb.jp/reader/main.html?cid=53742


ちょうど今日本ボクシング連盟の山根明会長(旧名:文甲明)のニュースを
見たのだがこれも構図が同じでやはり戦後日本の象徴といえる。
※上記内容は独り言に近いものと捉えていただきたい。


霧島の高千穂峰での祭祀の真実にはまだ分厚い封印が掛けられているようだが
現地調査で見えてくるものがないか期待している。

さくら様からとても興味深い情報をいただいた。
それは高千穂蛇という特殊な蛇についての情報なのだが
鱗が虹色に輝く夜行性の蛇でなかなか見ることが少ない蛇である。
この蛇が呉(長江流域)から渡来した外来種なのは間違いない。



ちなみに高千穂で発見されたから高千穂蛇と呼ばれているわけではない。
1883年に豊前英彦山の座主高千穂家を継いだ高千穂宣麿が
1888年に英彦山で発見し学会に報告している。

コメント (31)
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