yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2016年3月ほりほりオーケストラを聴き、4月トミーとマツの劇団公演を見る

2016年04月21日 | よしなしごと

熊本地震では強い余震が続いている。テレビの報道を見るたび心が痛む。一日も早い復興と平安を祈る。

 2016年3月、一ブロック先のホールで開催された「ノース・ぶらっとコンサート~ほりほりオーケストラ」を聞いた。ほりほりオーケストラは2004年に埼玉大学管弦楽団OB・OGを中心に発足した楽団で、ぶらっと立ち寄るような気軽な生演奏を目指しているそうだ。
 プログラムは、休憩を挟んで、
1 サウンドオブミュージック メドレー(R.ロジャース)
2 リトルマーメイドより パート・オブ・ユア・ワールド(A.メンケン)
3 アナと雪の女王より レット・イット・ゴー(K.A.ロペス R.ロペス)
4 ピンクパンサーのテーマ(H.マンシーニ)
5 ピクニックのマーチ(イギリス民謡)
6 魔弾の射手より 狩人の合唱(C.M.v.ウェーバー)
7 ローエングリンより 結婚行進曲(R.ワーグナー)
8 となりのトトロ メドレー(久石譲)
9 となりのトトロ(久石譲)
10 アイネ・クライネ・ナハトムジーク 第1楽書(W.A.モーツァルト)
11 ドラゴンクエストⅢメドレー(すぎやまこういち)
12 交響曲第9番新世界より 第2楽章(A.ドヴォルザーク)
13 くるみ割り人形より 花のワルツ(P.I.チャイコフスキー)
アンコールはラデツキー行進曲(J.シュトラウス)を含む3曲と多彩な演奏だった。
 延べ30~40人が演奏してくれたが、ユニークなのはサウンドオブミュージックでは木管楽器、リトルマーメイドやアナと・・などは金管楽器、魔弾の射手はホルン四重奏、隣のとろろやアイネ・ナハト・・などは弦楽器を主体にして演奏し、楽器の種類による音色や雰囲気の違いを感じさせてくれたことである。
 「気軽に」ということで若いママやパパに連れられた乳児、幼児、園児、児童も聞いていて、司会者=指揮の問いかけに大きな声で答えていた・・ときどきむずかって泣き出す子や飽きてしまって騒ぐ子もいるから、じっくり演奏を楽しむのは難いい。まさに気楽な演奏会・・。
 曲目はよく知られているし、作曲の秘話なども聞いたことがあるが、楽器は一通りの知識はあっても、オーケストラでは同時に演奏されているから、素人ではそれぞれの音色の違いは区別がつきにくい。今回のように楽器ごとで演奏してくれると、学校教育で習っただけの木管楽器と金管楽器の違いが改めて理解できた。
 気軽に演奏を楽しみ、楽器の違いを改めて理解した演奏会だった。

 2016年4月、大宮ソニックシティで公演された「トミーとマツ 白と黒の夢の共演」を見に行った。劇団の公演を見るのは学校時代以来だから、ほとんど初めての体験といっていい。
 昨年の古希を過ぎてから新しい体験や消えかかった記憶の追体験、放って置いた体験記の掘り起こしなどを少しずつ始めていて、たまたまパンフレットに梅沢富美男の劇団が載っていたので、乗り気になった。
 大宮ソニックシティは何度かコンサートを聴きに行っていて、会場の様子は分かる。劇団公演だから、前の方の中寄りを予約した。
 第1部 明朗人情時代劇
 第2部 梅沢富美男&松崎しげる 歌謡ステージ
 第3部 華の舞い踊絵巻 バラエティショー の構成で、第1部人情時代劇では駕籠かきに扮した梅沢と松崎が客席サービスで下りてきて、私の隣あたりで口上があった。梅沢富美男は66才になるというのに声量もあり、若々しい。ところが、第3部華の舞では色白に化粧した女形で登場、これが実に艶っぽい。さすが大物である。
 第2部では梅沢富美男と松崎しげるダンディな服装で、夢芝居や愛のメモリーなどを熱唱した。松崎しげるも67才になるそうで、にもかかわらず素晴らしい声量で歌い続けた。観客は手拍子を打ったり、中にはペンライトを振ったりと、大いに盛り上がっていた。見渡すと、圧倒的に似たような年代のシルバーである。梅沢&松崎には波長が合うようだ。
 古希を過ぎ、いい経験をした。

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災害はいつでもどこでも起こりうる・・・2005年スリランカ津波被災地速報転載

2016年04月19日 | studywork

 依然、強い地震が続いている。一方、報道では、避難所は飽和状態で、物資が届いていないそうだ。
 地震は不可抗力かも知れないが、避難施設、救援体制は人間力でかなりサポートできるはず。阪神淡路、中越、東日本・・・の経験を活かして欲しい。
 以下は、2004年12月に起きたインド洋大津波によるスリランカで行った被災地速報の転載である。
 災害は、いつでもどこでも起こることを肝に銘じたい。

2005年7月 スリランカ津波被災地速報 
 インド洋芋大津波の翌2005年1月から国際交流宮あじ会では「救えスリランカ・カレーチャリティパーティ」を毎月開き、被災支援を始めた・・いまでも毎月続けている・・。
 被災半年後の2005年7月、被災地を訪ねるとともに、被災地で被災支援について聞き取りをした。
 主な取材地を列挙する。
Panadura 海岸住宅被害
Bentota 海岸住宅被害
Ahungalle 線路被害
Balapitiya 仮設住宅/日本
Peraliya 列車被害、仮設住宅/デンマーク
Ambalangoda 住宅被害・仮設住宅
Akuraliya 仮設住宅/自力
Galle 仮設住宅/中国・韓国、自力再建住宅
Weligama 学校被害仮設・再建/ドイツ、学校全壊被害
Palana 住宅再建/イタリー
Matara 学校被害仮設・再建/香港上海銀行、仮設住宅/日本・スリランカ、被害小学校仮設・再建/スイス
Polhena 住宅被害、監視所/韓国
Kottengoda 被害小学校仮設/再建スイス
Kudawella 被害小学校再建/日本
Dikwella 住宅地建設/スロバキア
Tangalle 住宅地建設/アメリカ
Ambalantota 被害学校建設/日本
Hambantota 仮設住宅/クエート・ポーランド、住宅地建設/スリランカ仏教会・台湾仏教会
 
 未曾有の予想しえない緊急事態に世界中からの支援が集まっていて、頼もしい限りである。
 しかし、スリランカの住民、専門家が主導的に参加した復興再建ビジョンは皆無であり、支援国・団体の考えを反映した建物が次々に建ちあがっていくのは新たな課題となろう。
 その後、国際交流・宮あじ会・カレーチャリティパーティの募金は、Mataraの小学校の親を亡くした生徒、家を流された生徒13名に毎月1000ルピー(およそ1100円)を2年間、奨学金として贈ることになった。
 子どもは将来そして国の礎である。微力ながら力になれば嬉しい。 (2005.7記)

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熊本地震災害の復興、平安を祈る・・住民による生活再建ビジョンの作成を期待したい

2016年04月17日 | studywork

 2005年 「農山漁村集落の再建を考える」 日本建築学会2005大会・中越地震総合協議会 /2005.7記

 熊本~大分では地震がおさまらず、大きな被害になっている。被災地の復興、平安を心より祈る。
 まだ現役だった2004年に新潟県中越地震が発生した。中越の山間地で土石流、地盤崩落が起き、大変な被害となった。私も現地を取材し、研究会を立ち上げ、復興、再建について議論を重ねた。
 翌年の建築学会大会・中越地震総合協議会で上記を報告した。
 自然災害後の復興、再建に共通する考えなので、再録した。

一部を抜粋する。3.住民による生活再建ビジョンの作成・・・・・生活の不安を聞いたり、心のケアができる相談員・専門家の派遣が必要である。
 一方、行政は災害や再建にかかわる情報を住民に公開するとともに、住民と将来展望について話し合わなければならない。信頼関係の構築が次のビジョンづくりへと発展する。
 スリランカにはジャイカを始め世界各地から支援の手が届いていて、被害のあった学校再建や住宅地建設が始まりつつあるが、当事者や住民の意向はほとんど反映されていないようであった。
 日本でも住民の意向が後回しなる案が少なくないと聞く。
 災害からの復旧・復興は急ぎたいが、しかしそこに子どもや孫やその子どもや孫が住み続けることを考えれば、時間をかけ、自然環境と集落の空間構造を読み取り、社会の変化に可変できる案を住民が主役になって練るべきであろう。
 同時に、住宅の再建と仕事の確保を車の両輪としてとらえた生活の再建ビジョンを考えたい。
 玄界島では幸いにも漁業は順調であった。が、中越では農地の崩壊が災いしている。
 農山漁村集落では生業の場なくして暮らしは成り立たない。どこに住むか、どこで働くか、どのように暮らすかを住民・行政・専門家が時間をかけて練りあげることを希望する。

 住民による住民の復興、再建を祈念する。

 

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スペインを行く20 トレド大聖堂の後陣の天井には明かり取りの開口があるなど、独特のつくりである

2016年04月15日 | 旅行

スペインを行く20 2015年ツアー5日目 コロ トランスパレンテ マサパン サント・トメ教会 「オルガス伯の埋葬」 サン・マルティン橋 /2016.4記

 トレド大聖堂では、主祭壇に向かい合う形で聖歌隊席コロが聖堂のほぼ中央に配置されている。
 ここは聖職者が祈祷する場所で共唱祈祷席とも呼ばれ、三方には聖職者が座る木製のイスが並んでいる。
 15世紀にゴシック様式でつくられていて、600年?も使われてきたせいか素材のクルミの木が風格を帯びた色合いになっていた。
 イスの背にはレコンキスタ最期となるグラナダ奪回(1492年)の54のエピソードが浮き彫りになっているそうだが、古色蒼然のためどんなシーンかははっきり分からなかった。
 上部は16世紀にルネサンス様式でつくられた雪花石膏アラバスターの浮き彫りで、聖書に登場する人物がさまざまなポーズで見下ろしている。
 中央の一段高い彫刻はイエス・キリストの変容だそうだ。
 その上に、V字型にパイプが伸び出している。パイプオルガンだそうだ。水平にパイプが伸び出したオルガンはスペイン特有らしい。

 主祭壇の後をぐるりと回る周歩廊ヒロラに向かった。
 周歩廊は2列になっていて、後陣には礼拝室が設けられている。
 主祭壇の背面に当たるところには、聖母像を始めとした精巧な彫刻を飾ったトランスパレンテ祭壇が設けられている。
 周歩廊が広く、後陣が礼拝室のため光が入らないので、トランスパレンテ祭壇に光が射し込むよう、天井に明かり取りがつくられている。
 トランスパレンテは明かり取りといった意味で、周歩廊の祭壇を明るくするため天井に明かり取りトランスパレンテを設けるのもスペイン教会建築の特徴のようだ。

 スペインの教会堂は、聖堂の中ほどにコロが配置されたり、パイプを水平に伸ばしたパイプオルガンだったり、後陣の天井にトランスパレンテ明かり取りの開口を設けたり、つくりが独特である。

 このあと、サント・トメ教会でエル・グレコの傑作「オルガス伯の埋葬」を見た。
 ランチは、トレド名物うずら肉赤ワイン煮だった。

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スペインを行く19 トレド大聖堂は中ほどに聖歌隊席を配置する独特の様式、祭壇画は金箔で絢爛

2016年04月14日 | 旅行

スペインを行く19 2015年ツアー5日目 出窓 時計の門 市庁舎 トレド大聖堂 免罪の門 獅子の門 主祭壇 祭壇画 /2016.3記

 2015年10月24日、トレドの見学。道は細く曲がりくねっていて、両側には4~5階の建物が覆い被さるように軒を連ねている。
 細い曲がりくねった道のつくり方は、モロッコやチュニジアのメディナの道を思い出させる。
 建物の上階には木製の出窓がせり出している。こうした出窓もメディナによく見られた。ガイドのVさんによれば、イスラム時代、戒律により既婚の女性は出かけられないので、外の様子を見るために出窓が設けられ、レコンキスタ後もそのまま出窓が温存されたそうだ。
 よく見ていると、2層の出窓があちらこちらにあった。上層が下層よりもせり出している。
 2層の出窓はモロッコ、チュニジアでは見なかったから、これはイスラムの影響を発展させたトレド人の発明かも知れない。

 トレド大聖堂を見る。奥行き120m、間口59m、高さ30m、塔の高さは92mの規模を誇る。
 この大きさはサン・ピエトロ大聖堂(ヴァチカン)、聖ポール大聖堂(ロンドン)、セビリア大聖堂(奥行き120m、間口83m、塔96m)に次ぐ規模だそうだ。
 フェルナンド3世により1226年に着工された。しかし、完成はイサベル1世治下の1493年になった。
 手本は12世紀末に着工されたフランス・ゴシック様式のサン・テチェンヌ大聖堂(フランス・ブルージュ)で、トレド大聖堂もフランス・ゴシック様式でデザインされた。
 しかし、完成まで270年もかかっていて、フランス・ゴシック様式を基調としながらもスペイン・ゴシック様式、スペイン特有のムデハル様式、ルネサンス様式なども取り入れられた。
 免罪の門、獅子の門を眺めたあと、堂内に入る。
 平面は中ほどに聖歌隊席コロを配置していて、独特である。
 主祭壇には高さが30mに及ぶ祭壇画が飾られている。
 祭壇画は木彫で、イエスの生涯が5段、20場面で表されている。
 しかし、イエスの生涯よりも、金箔がふんだんに使われ、イエスや登場人物が極彩色で表現されていて、絢爛豪華さに圧倒された。これほどの金箔は、おそらく植民地から手に入れたのであろう。続く

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