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つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2016年、倉敷を歩く 「アイビースクエア」に泊まり、「大原美術館」でモネ、ピカソ、棟方志功らを鑑賞する

2016年04月02日 | 旅行

 2016.3.16水~3.18金 姫路-倉敷-赤穂-岡山の旅 2 倉敷 /2016.3記

2016年3月16日、倉敷駅にはまだ明るい夕方5時半ごろ着いた。今日の宿は美観地区に建つ「倉敷アイビースクエア」である。
 倉敷アイビースクエアの前身は倉敷紡績工場で、1889年に建てられた。その工場を1973年に浦辺鎮太郎のデザインで改修し、ホテルを含む複合施設としたのが倉敷アイビースクエアである。
 夕方6時ごろチェックインする。部屋は、ツインベッドのほかにゆったりしたソファーとデスクがありやや広めだが、窓の向かいは庭を挟んで建物が建っていて、惜しいかな、風景は望めなかった。
 夕食はアイビースクエア内の「レストラン蔦」で取ることにした。
 メニューをめくっていて晩酌セットを見つけた。岡山の平喜酒造製の喜平純米生貯蔵酒がついているというので、これを頼んだ。酒はやや辛口で、濃醇、飲み応えがあった。ところが、料理は八寸、小鉢、サラダ、お造り、揚げ物、肉料理と一通りそろっているが、量が少なく物足りない。
 食後、美観地区の散策に出た。倉敷川沿いの右岸を大通りまで歩いてから左岸を戻り、夜の佇まいを眺めた。宿への小路を曲がったら、酒処「蔵びあ亭」が目の前にあった。晩酌セットが物足りなかったし、のぞいたら建物のつくりもいい。銘酒も壁一面に並んでいる。まず「酔機嫌碧天」を飲んだ。吉備路の酒だそうだ。じっくり味わう。切れ味がいい。次は「御前酒美作」、うま味があり、のどごしがいい。それぞれなみなみ一合ずつを頂き、気分良し、お愛想をして部屋に戻る。

 3月17日、倉敷でのお目当ては大原美術館である。
 1888年、地元の大地主だった大原家が出資し、倉敷紡績が設立された。初代社長が大原孝四郎で、息子の大原孫三郎が社長を継ぐ。一方、岡山県現高梁出身の児島虎次郎は早くから画才を発揮し、東京美術学校に入り頭角を表す。虎次郎を奨学生として支援したのが孫三郎で、生涯、親交を深めたそうだ。
 虎次郎のベルギー留学も孫三郎の支援による。のちに孫三郎の依頼で、虎次郎はモネ、エル・グレコ、ゴーギャン、マティス、ロダンなどの作品を収集する。
 虎次郎は47才で亡くなり、孫三郎は、虎次郎の業績を顕彰し、収集した作品を展示する大原美術館を設立する。
 古代ローマ神殿を思わせる本館から見学する。残念なことに、エル・グレコの受胎告知、モネの睡蓮を始め、いくつかの作品は貸し出し中だったが、クロード・モネ「積みわら」、パブロ・ピカソ「鳥籠」、棟方志功「華狩頌版画柵」、バーナード・リーチや河合寛次郎らの器、芹沢啓介の染め物など、見応えはあった。
 美観地区の東に鶴形山という丘があるので、美観地区全体を見ようと登った。観龍寺の境内からの眺めがいい。本堂で合掌する。
 鶴形山の散策路を進むと、阿智神社に出る。朝鮮から渡来した阿智一族の功績を称えて名づけたそうだ。本殿で拝礼する。
 阿智神社の階段を下り、もう一度、美観地区を散策する。仕上げに、倉敷川沿いのカフェに入ってコーヒーを飲みながら、倉敷の風情に浸り、倉敷見学を終えた。
 次は赤穂である。岡山駅でレンタカーを借りて走り出す。続く

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