2018.3 名古屋城・岐阜城・犬山城&明治村を歩く③ 名古屋城本丸御殿
本丸御殿は慶長20年1615年に完成した。1614年夏の陣に続く冬の陣で西軍を制覇した年であり、格式とともに絢爛さがデザインされ、国宝に指定されていたが1945年の空襲で焼失した。
たぶん国宝指定の際に、文献、資料、実測図、模写図が整理、保管されたのではないだろうか、実測図などをもとに2009年から復元工事が始まり、第1期分、第2期分が順次公開されてきた。第3期分も内装工事を残し、本体工事は終了している。
表二之門の枡形を抜けると、玄関・表書院が正面に現れる。屋根は厚さ3mmほどの杉板を重ねた柿葺きコケラブキで、優美な曲線を見せている。
見学者入口は右奥の中之口部屋になる。
大廊下をぐるりと回って、まず玄関一之間、二之間を見る。玄関は本丸御殿の正式な入口、控えの間であり、虎が描かれていることから虎の間とも呼ばれた。
一之間は18畳、二之間は28畳あり、一之間には床も設けられていて、襖、壁、障子に竹林、滝を背景に勇猛な虎、豹が描かれている。天井は白木の竿縁天井である。天井の造作を見比べると、格式の違いが分かりやすい。
大廊下を戻り、表書院を見る。正規の謁見が行われる場所で、三之間39畳、二之間24畳半、一之間24畳半、上段之間15畳、納戸之間24畳が並ぶ。
上段之間の床は一段高くなり(写真、手前が一之間、奥が上段之間)、正面奥に床が設けられ、縁側に張り出した付け書院が備えられる。
天井は一之間~三之間が白木を用いた格天井、上段之間が白木の折り上げ格天井で、襖、壁、障子には松、桜、梅の木、雉子、麝香猫などの花鳥画が描かれ、華やかな雰囲気を醸し出している。
奥に進むと対面所になる。ここは藩主と身内などの対面や宴席に使われたところで、次之間18畳、上段之間18畳、納戸一之間24畳、納戸二之間24畳が並んでいる。
上段之間の床は次之間より一段高くし、奥に床を構え、縁側に張り出して付け書院を設けるつくりは表書院に共通するが、天井は二重折り上げ黒漆塗りの格天井で表書院より格式が高くなっている。
上段之間の襖、壁、障子には洛中・洛外の年中行事や庶民の生活が描かれていて、内々の対面、宴席にふさわしい和やかな雰囲気をつくっている。
次之間の絵は和歌山の風俗画らしい。初代藩主となる家康の九男・義直の正室・春姫は和歌山出身のため、故郷を描いたとされる。
各部屋の襖の引き手金具、長押ナゲシの釘隠し金具はそれぞれ模様が違い、細工も入念だった。部屋のつくりの違い、障壁画と合わせ、見どころが多い。
上洛殿はまだ内装工事が終わっていないので、見学は対面所までである。
納戸之間の北側の縁側を進み、料理を配膳する下御膳所シモゴゼンショをのぞき、中之口部屋に戻る。外の陽気はよくても、素足だと足先が冷えてきた。案内係に礼を言い、外に出た。続く
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