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1998 モロッコでは外周を閉じ、中庭を中心に部屋を並べる中庭式住宅が一般

2017年09月09日 | studywork

1998 「モロッコの中庭式住宅の住み方と現代化」 日本建築学会大会
                             
1 はじめに  
  アフリカの北西端に位置するモロッコは、アルジェリア、チュニジアとともにマグレブ(陽の沈む国)と呼ばれ、もともとベルベル人の暮らす土地であった。
 マグレブは、地中海をはさんでヨーロッパに相対し、かつて古代ローマ帝国の支配下にあったようにヨーロッパとの交流は決して少なくない。
 しかし、7世紀以降、アラブ・イスラムの侵攻を受けてからベルベル人のイスラム化が進み、当初はアラブ人によるイスラム国家、その後はベルベル人のイスラム国家が形成されてきた。
 近世に入りアフリカ諸国はヨーロッパの進出を受け、例えば、モロッコはフランス保護領になり、独立運動によって独立が勝ちとられるなど、不安定な時代が続いた。このため、マグレブの建築に関する調査報告は、『地中海建築』(1971年・鹿島出版会)など比較的少なく、近年の様子を知るには『地中海のイスラム空間』(1992年・丸善、主としてチュニジアを事例に都市と集落、住宅を紹介)などに限られる。

 本縞は、モロッコで3戸の住み方調査の機会を得たので、モロッコの中庭式住宅における住み方の基本と現代化の傾向について事例的に考察をすすめた結果の紹介である。調査は1997年12月に行った。モロッコはアトラス山脈を挟んで北側、地中海側と南側、サハラ砂漠側とで気候的に大別できる。調査事例のマラケッシュは地中海側、ワルザザードはサハラ砂漠側に位置する。

2 マラケッシュ・メディナの住宅事例 
 マラケッシュは11世紀、最初のベルベル・イスラム国家ムラービト朝が建設し、その後何度か首都に定められた歴史の古い都で、カサブランカ、ラバトに次ぐモロッコ第3の都市である。
 市中心部の東側に旧市街メディナがあり、その一角に調査住宅が位置する。住宅の南・東側がメディナ特有の輻輳した幅の狭い道路、北・西側は隣戸である。住宅の四面とも、6~7mの窓のほとんどない壁で囲われ、入口は南側の道路に設けられている。
 平面は10×15mほどの変形した矩形で、厚さおよそ60cmの土壁を構造体とし、外壁は赤茶色の顔料をまぜた漆喰、内壁はクリーム色の漆喰とタイルを用いた仕上げ、床は1・2・屋階ともタイル張りである。

 入口を入ると右手にマクリーラと呼ばれる祖父の部屋、左手に中庭への開口と2階にあがる階段、その奥にモロッコ式のトイレがある。
 中庭はエンムラハと呼ばれ、中央に噴水がおかれている。中庭にはゆったりとしたソファがあり、上部には開閉のできる天幕がかけられていて、使い方としては室内化されている。
 中庭の西南隅に台所クジーナがあり、ガスレンジ、流し、冷蔵庫などがおかれている。中庭の西側に位置するサルンが家族室で、壁一面にソファーが続き、テレビがおかれ、食事や団らんが行われる。中庭東側のビッツデアフも壁一面にソファーがまわり、客人との歓談の場として用いられる。

 2階への階段を上ると中庭に向かって開放された回廊になる。中庭の東南隅はマクリーラと呼ばれる祈りの部屋で、コーランの教典などが壁を埋め尽くしている。
 中庭の西側に世帯主夫婦寝室ビッツナス、東側に若夫婦と子どもの寝室ビッツナスがあり、それぞれベットとタンスなどがおかれる。西南隅には西洋式のトイレがあり、さらに階段をのぼった屋階に蒸気風呂がある。

 以上から、入口-中庭-家族室・客室、入口-2階回廊-寝室の構図が読みとれ、中庭が動線の結節点であること、1・2階で家族や客の空間と私空間を分離していること、中庭が室内化されつつあることがうかがえる。

3 ワルザザード郊外の民家事例 
 ワルザザードはアトラス山脈の南、標高1100mに位置する町で、18世紀初頭、軍事的に作られた。対象とする民家はワルザザード郊外のクサールと呼ばれるベルベル人集落にある。
 雨は少なく、10数年前までは共同井戸が唯一の水源であったそうである。道路はかたちも幅も不規則で、あたかも自由に民家を建て、残りを道路として使っているようにみえる。対象の民家は南側の家畜場とともに1区画をなしており、四方は道路で、窓のない3~4mの土壁・土塀で囲われている。土壁は厚さ60cmほどで、外は土のまま、中庭側は赤茶系、寝室などは白色系の漆喰仕上げである。
 正面入口は北側にあり、入ると14×10mほどの前庭になる。住宅の入口は前庭の南側で、中庭東側には塀で区画された家畜場がおかれ、山羊が10数頭飼育されている。住宅入口を入ると北側に中庭への扉、西側に屋上に出る階段、東側に倉庫となる。中庭はおよそ10×10mで、中庭に面して西側に寝室ビッツナスが二つ、南側に家族室
と裏入口、倉庫、西側に客用のビッツデアフ、台所とモロッコ式トイレが並ぶ。中庭には魔除けのためのオリーブが植えられている以外はそのまま開け放たれている。
 寝室は、南西隅が親夫婦用でベットとタンスなど、その
北側が息子夫婦用で、マットとタンスなどが置かれ、いずれも質素である。台所は最近引かれた水道とコンロだけで、冷蔵庫は客室にある。
 家畜場や前庭があるものの、入口-中庭-各部屋の構図であり、中庭が結節点となっていることが分かるが、中庭の室内化や私室と家族室・客室の区分はみられない。

4 ワルザザード郊外の新築住宅 
  
上述した民家では裏入口を出たところに新築住宅を建て、家族の一部が移り住んでいる。この住宅も外周を高さ3~4mの外壁・塀で囲っているが、ブロックを用いているうえ、住宅部分には外周であっても窓や出入り口を設けており、上述の民家とは外観が大きく異なっている。
 敷地の入口は南側にあり、入ると西に大きく広がった前庭になる。住宅には中庭がなく、住宅入口を入ると西側にサルンとビッツデアフをかねた広間、東側に廊下があり、廊下を挟んで南側にいずれも壁に沿ってソファのおかれた部屋が二つ、北側には入口側からモロッコ式トイレとシャワー、台所、夫婦と子どもの寝室が並ぶ。
 前述の民家とあわせ7人家族で、うち、若夫婦と子どもが新築住宅を主として使うとのことだが、実際には両方を一体として暮らしているようにみえる。この住宅には中庭がないが、こちらの方が明るく使いやすいとのことであった。

 平面構成を整理すると、入口-広間+廊下、廊下-各部屋の構図になる。中庭の動線的な機能を廊下に、室内化された中庭に家族室と接客室の機能をかねあわせ広間におきかえたと考えれば、住み方が不連続に発展したのではないといえそうである。

5 おわりに  
  事例調査から結論を導くことは避けなければならないが、モロッコの中庭式住宅は、外周を閉じる壁とその内側に井桁状に配置される壁によって平面の構造が確定し、外周壁と井桁壁のあいだに部屋が配列されていて、生活は内側に残された中庭を介して結びつき、中庭によって採光通風を確保する住み方を基本にしていると考えられる。
 メディナのような高密集居では、集密条件によって外周壁と井桁壁との構成が変形するが、2階に平面が重ねられて空間量が確保される。現代化の特徴として中庭の室内化をあげることができるが、これから広間への志向と室内化を裏付ける採光通風の人工化がうかがえる。
 さらに、新築住宅から、広間の重視と採光通風を外周壁によって確保しようとする志向をうかがうことができる。この志向が普及すると、中庭は室内化された広間に変わり、中庭を介した家族の結びつきを基本とする住み方が変質する可能性があると考えられる。

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