2007 ソウル・清渓川 Seoul,Cheonggyecheon
2007年6月、全羅北道淳昌郡で日韓研究会が開かれた。前日、ソウルの河川整備として国際的に知られている清渓川を見学した。
李氏朝鮮時代のソウルは、景福宮を中心として形づくられていた。朝鮮では風水が生活に根づいており、景福宮の北には北岳山、南には漢河が流れる背山臨水の地であり、そのあいだに町が広がる。
清渓川は町の中ほどを流れ、漢河に合流する川で、かつてはソウルの人々の憩いの場になっていた。豊かな流れは、川沿いの緑とともに涼しさをつくりだし、癒し効果を生みだしていた。
しかし、ソウルの発展とともに清渓川に流れ込む生活排水が増え、再三、浚渫が行われた。現地資料やwikipedia、web上の情報によれば、1950-60年代に始まる韓国の高度経済成長と都市開発で相当に水質が悪化したうえ、周辺がスラム化し、さらにソウル市の発展で交通渋滞が深刻になったことなどが重なったため、ソウル市は清渓川を暗渠化するとともにスラムを強制的に撤去し、ここに清渓高架道路を通してしまった。
憩いの川を失ってから、清渓川を惜しむ声が年々高まり、ついに2003年7月、ソウル市長の英断で、清渓川復元工事が着手された。翌々2005年9月、総工事費3867億ウォン≒500億円をかけ、長さ5.84kmの清渓川が生態河川として再生された。
再生された清渓川の起点は、景福宮の南、光化門近くの太平路に面して設けられた光化門広場になる。地下鉄・光化門駅を目印にすればよい。広場の噴水から勢いよく清水が湧きだし、3.5mほどの落差を流れ落ちて、川が始まる。川幅は3-6mで、その両脇に遊歩道があり、全幅は15mほどになる。光化門広場近くは川の景観も人工的な造形が強調されているが、下るに従い、自然の流れが強調されていく。
韓国も梅雨入りし、当日は初夏を思わせる暑さだったが、川面を冷風が流れるのでしのぐことができた。川の恩恵は少なくない。遊歩道には大勢の市民が散策を楽しんでいた。橋の下は日陰になっていることもあって、足を水につけたり、水の中を歩いたり、清水の流れを心ゆくまで楽しんでいた。清渓川の復元を断行した市長、市民にエールを送りたい。
清渓川は、漢河に合流する5.46kmを、清渓川広場から歴史ゾーン、文化ゾーン、自然ゾーン、和合ゾーン、ソウルスプゾーンにエリア分けし、それぞれのテーマにあわせたコンセプトで流れやデザイン、催し物が工夫されているそうだ。私は2kmほどしか歩いていないので言及はできないが、パンフレットを見ると、ファッション広場、リズム壁泉、トンネル噴水、旧清渓高架道路柱脚を残した存置橋脚、ボドゥル湿地など、市民と川が共生するさまざまな趣向がうかがえる。
残念なことは、川面が地上面から3.5m以上も下がっているため、地上からはのぞき込まないと川を感じることができない。逆の言い方をすれば、川沿いの遊歩道を歩いているときは、地上の喧噪をまったく忘れることができる。逆の視点ではいいかもしれないが、地上から川沿いに誘い込むきっかけの工夫が欲しい。光化門広場の噴水の水の一部を地上の道路沿いに分水し、ところどころで川に落とし込むなどの工夫はどうだろうか。加えて、私が歩いた範囲では、人工的な感じが強く感じられた。大きい樹木を植栽して木陰をつくり、土の部分やよどみなどを増やし、もっともっと、自然を前面に打ち出して欲しかった。気になることもあるが、自然回帰の英断は、極めて高く評価できる。
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