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2018.4 京の台所・錦市場、錦天満宮を見てから、リノベーションの店でクラフトビール、英勲・神蔵を味わう

2018年09月15日 | 旅行

2018.4 京都を歩く 2日目 ⑪錦小路 錦天満宮 クラフトビール 益す屋酒店

 16:40分ごろ桂離宮を出て、桂川を眺めながらバス通りまで歩く。バス停近くに、中村軒といういかにも老舗といった感じの和菓子店があった。
 2階建てだが、2階が低く虫籠窓が設けてあるから厨子2階という古い形式である。むくりの付いた瓦葺き屋根には煙り出し用の越し屋根が乗っていて、伝統的な町家造りのたたずまいである。
 かつて桂離宮を訪れた客人のお茶請け用和菓子を作っていたのかも知れない。私はあんこに目がない。あんこ餅に気を引かれたが、夕食が近い。ぐっとこらえていると、桂駅行きのバスが来た。すでに18000歩ほど歩いていたから、飛び乗った。

 桂駅から阪急京都線特急に乗り、河原町駅で降りる。四条通を西に少し歩き、北に折れて錦市場を目指す。
 平安時代、具足小路と呼ばれた通りが、言葉がなまって糞小路と呼ばれ始めたので、錦小路に改称されたそうだ。具足は甲冑などの武具を指すから、このあたりで武具がつくられていたのだろうか。仏具も具足と呼ばれる。近くに寺町という地名があるから、仏具の方が当たっているかも知れない。それにしても、具足がなまったとはいえ糞は品がない。
 改名された錦小路の東の突き当たりの錦天満宮から高倉通までが、京の台所として知られる錦市場である。このあたりは地下水が豊富で、平安時代に御所に卸す魚屋などが集まりだし、その後、市場に発展したそうだ。
 江戸時代の著名な画家の一人、伊藤若冲(1716-1800)は錦市場に店を構える青物問屋枡源の生まれである。
 若冲の絵に、動植綵絵に代表されるように色彩豊かな細かい描写の動物、植物が登場する。市場で鶏、魚、野菜に親しんでいたためであろうか。凡人はいくら動植物に慣れ親しんでいても、若冲のような細密な絵は描けない。生まれながらの天分が環境に呼応して昇華されたということであろう。

 錦市場の入口には若冲の絵が模写されていた(写真)。入口から突き当たりの錦天満宮までおよそ390mで、そのあいだに130ほどの店が軒を連ねているそうだ。一軒あたりの間口は、単純計算で片側が65店になるから、390/65=6m≒3間ほどになる。道幅は狭いところで3mほど、広いところで5mぐらいだが、けっこう商品棚がせり出している。そこに観光客が押し寄せているからたいへんな混雑である。

 市場はおおよそ朝9時~夕5時だそうで京の台所を担う店は閉まり始めていたが、観光客相手の店は賑わっていた。どちらかというと外国人観光客が圧倒していて、商品などの表示にも中国語、ハングル文字、英語が併記されている。開いている店の多くは買い食いで、外国人のグループが串刺しなどを興味津々に食べながら歩いていく。食べ終わった串などを散らかしていく人も多い。若冲のゆかりの店も分からなかった。京の台所は期待外れだった。
突き当たりまで歩くと、錦天満宮が鎮座している(写真)。菅原道真(845-903)は祖父、父とともに平安時代の貴族で優れた学者だった。
 道真の生家は諸説あるが、代々平安貴族だったから御所の近くだったのではないだろうか。
 道真は901年に太宰府に左遷され、没後、天変地異が相次ぎ、道真を祭神とする天満宮が各地で建立された。御所近く?の生家にも天満宮が建てられたが、1587年、豊臣秀吉(1537-1598)による都市計画で錦小路の現在地に移され、以来、錦天満宮と呼ばれてきた。
 境内は狭いが、唐破風の向拝が長く伸び出している。錦小路・錦市場の真っ正面に位置し、提灯をくぐると堂々たる唐破風が迫ってくる。
 道真が優れた学者だったため各地の天満宮、別名天神様は学問の神としても崇められ、錦天満宮も受験生らしい若者も多かった。錦市場を歩いていると錦天満宮が見えるし、唐破風が目を引くから、外国人観光客にも次々に参拝していた。
 話を戻して、錦天満宮が見えるあたりに、鳥居が立っている(写真、web転載)。1907年に建てられコンクリート造だが、見上げると両方の柱をつなぐ貫と呼ばれる横木、一番上の笠木、島木と呼ばれる横木が両方の建物の中に食い込んでいた。
 参道と両側の建物の境界があいまいだったため、所有地が重なりあってしまったのではないだろうか。珍しい景観として話題になっているようだ。地震のとき、耐震性を高めてくれるかも知れない。土地の所有権は譲れないだろうから、このまま共存共栄がよさそうだ。
 境内には「錦の泉」と呼ばれる井戸水、天満宮=天神様につきものの牛のブロンズ像、獅子がカラクリ仕掛けで舞うおみくじなどが所狭しと並んでいる。外国人の子どもたちがカラクリ獅子舞を真剣に眺めていた。カラクリ仕掛けは日本の伝統文化の一つである。俊敏な動作に大人も引きつけられる。しばらく眺めて、天満宮をあとにした。

 錦市場にはカウンターのイス席や立ち飲みの店はあるが、ゆっくり味わう店は少ない。左右の小路をのぞきながら歩いていて、富小路通に築100年の町屋をリノベーションしたダイニングバーを見つけた。外観は2階建ての町屋の風情を残している(写真)。かなりの大店だったようである。
 ベビーカーを押した若いカップルも入っていった。若い人に人気のようだ。メニューにはクラフトビールが紹介されていた。6時前なので、食前に軽く飲もうと入った。
 なかは明るく広々としたモダンな空間にリノベーションされている。古さを引き継ぎながら新しくしていくのは生き生き感じる。奥のビールの醸造風景を見ながら、クラフトビールを楽しめるつくりで、スタッフも客も若い。3種飲み比べのビールとチーズを頼んだ。新しい味のビールに挑戦しているようだ。
 私が選んだ一つは496で、「一番人気、エールのような芳醇さとラガーのようなキレ、IPAのような濃密なホップ感、究極のバランスを目指した」と書かれていた。
 馴染みのあるビールにとどまらず、究極を目指し創意工夫を加える。それが素晴らしい。もっともエール、ホップ、IPAが見分けられるほど私の舌は敏感ではないが、実際においしかったし、新たな挑戦も味わいをよくした。錦市場も革新がないと置き去りにされる。
 若いスタッフに、お酒のおすすめの店を聞いた。即座に、益す屋酒店を紹介してくれ、地図を書いてくれた。ビールに自信があるから酒店を紹介できるのであろう。ここでも共存共栄を感じた。

 益す屋酒店は御幸町通にあった。通り庭のような路地に入口がある(写真)。この店もリノベーションのようで、なかは広々としていた。6時半過ぎで、仕事帰りらしい人で盛り上がっていた。スタッフも若いし、客層も若者~青年~中年が占めていた。
 奥のカウンター席で、まずお勧めの英勲をいただいた。次にお勧めの神蔵もいただいた。いずれも京の酒で、スタッフが勧めるように味わい深かった。料理もお勧めを聞いたらヒラマサの刺身、なめろうがいいというので頼み、あといくつか追加した。お酒とヒラマサ、なめろうは絶妙に合う。店構えも料理もスタッフも創意工夫が実れば賑わうようである。
 いい気分でホテルに戻った。今日は22000歩ほど、1階大浴場で足をよくもみほぐし、ぐっすりと休んだ。(2018.9) 

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