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台湾の三峡老街は通り抜けのできる亭仔脚(アーケード)を個性的なファサードでデザイン

2017年04月03日 | 旅行

1994 台湾・三峡の亭仔脚
             
 台湾と中国大陸はかなり近い。福建省あたりとは、直線距離にして170kmほどしかない。かつては東シナ海を自由に動き回り海運で富を築く者もいたし、福建省を始めとする中国南部から台湾に移り住んだ人も大勢いた。彼らには海上交通圏が一つの世界だったから、明とか琉球、台湾、日本などの政権や国境をほとんど意識しなかったはずだ。台湾を本拠に明と戦った鄭成功を近松門左衛門が国性爺合戦として取り上げていることは、海を駆けめぐっていた当時の人々の世界観を推察する手がかりになろう。
 台湾に移り住んだ中国南部の人たちは、自分たちの住み方や街づくりを台湾に持ちこんだ。その一つに亭仔脚と呼ばれるアーケードをもった連続住宅がある。亭仔脚のある街並みは東南アジアに広く見られるが、これも福建省あたりの人々が広く東南アジアに進出し、居を構えた結果である。人々は移住しても自分たちの建築形式をなかなか捨て切れない。あるいは未知の国であるからこそ、自分たちの世界観を強固に建築化し安住を願うのかも知れない。
 台北から車で1時間ほどの三峡に連続住宅の一つがあり、三峡老街と呼ばれている。老街とは文字通り古い街並みのことで、三峡に街並みが形成されたのはいまから200年ほど前のことである。三峡は川の合流点で、舟運を利用して商売が盛んになり、大いに栄えた。そのときに短冊形の街並みがつくられた。
 短冊型の宅地は、建物の間口がわずか4-5mほどしかなく、南北方向の中山路を中心に東側と西側の両方に、界壁を共有しながら連続していく。奥行きは、短いものでも20m、長いものでは80mにもなる。間口4-5m、奥行き20-80mの間取りが想像できるだろうか。一つの住居の両端の壁は隣戸と共有だから、採光や通風は建物の前面、および後方、そして中庭に頼るしかなく、居住性の面では決していいとはいえない。しかし、言い換えれば、居住性の欠点よりも短冊型敷地の連続住居が選択されたということである。街をつくる意志が働くとき、居住性の欠点をこえてこうした特殊な集住の構成が優先されることがあるが、これはその典型である。
 その連続住居の前面、中山路に面して、各住居は亭仔脚と呼ばれるアーケードを設けている(写真)。幅は3mほどで、街並みの端から端まですべての住居が亭仔脚を設けているので、雨のときは傘をささずに通り抜けることができる。まさに、雨の多い商店街には欠かせない装置である。
 日本でも、雪国に雁木と呼ばれる前面を通路に開放したアーケードがあるが、発想は一致する。しかも、雁木と同じく亭仔脚はそれぞれの住居の私有地の開放である。私的な経済に立てば、私有地は自己の商い空間に活用した方が利潤が上がるはずである。にもかかわらず、三峡老街では私有地をおよそ3mほど供出しあって、通り抜けられるアーケードにしたのである。
 1軒でも亭仔脚を拒んでしまっては通り抜けアーケードの魅力は壊れてしまう。全員が3mほどの亭仔脚を供出することでアーケードが完成し、街並み全体として雨の日でも通り抜けられる魅力がつくられたのである。ここにも街をつくる意志の結集を読み取ることができる。

 その一方で、亭仔脚を含め、それぞれの住居は私的財産であるから、それぞれの事情や個性が反映される。そのため、つくり方が微妙に異なる。足下も1軒ずつ仕上げが違っているし、高さも不揃いである。ぼんやりしているとつまずきかねない。せっかく3mの私有地を供出するのだから、せめて高さをそろえてくれれば歩きやすいのにと思うが、台湾人はそこまでは協調しないようだ。
 しかし、個性の主張も亭仔脚のファサードに関しては見事に成功している。ファサード(次頁写真)は、亭仔脚を支える柱の足下=柱脚、柱=柱子、柱頭、梁形、そして梁上の立ち上がり=女児牆で構成されるが、その構成要素に個性が反映され、豊かな変化をみせているのである。
 たとえば、柱子は円形、方形、方形の角を凹ませた亜字型、半円形に縦の凹みをつけた半円帯凹型の4種が多く、それを煉瓦積みまたは石積みとする。これで8種の組み合わせになる。梁形は石造の門形と煉瓦造のアーチ形に大別でき、柱との組み合わせは16種になる。柱頭は、煉瓦造の場合はシンプルだが、石造の場合は3種のオーダーが見られる。柱脚も3種に大別できる。女児牆は水平の小壁になっているもの、そこに文字や図柄が飾られているもの、立ち上がりがペディメント風に三角形の小壁か半円の小壁になっているもの、そこに文字や図案があるものと、実に多彩である。図案には獅子や高麗人参までみられ、思わず見とれてしまう。異文化を臆することなく造形化してしまう、台湾人の意気込みを感じる。

 しかし、老朽化や資産活用のための建て替えの動きがあるようだ。台湾の歴史文化を証言し、台湾人の空間思想を示唆する街並みだけに保全が期待される。

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