ジャコウアゲハの食草、ウマノスズクサが今年も開花しています。いつもは金平糖のようなジャコウアゲハの幼虫がウマノスズクサの葉を食べてすくすく育っているのですが、今年はどうしたわけか一匹も幼虫を見かけません。絶滅してしまったのでしょうか。ジャコウアゲハのためにわざわざ庭にウマノスズクサを植えてあるのですが、淋しくジャコウアゲの出現を待っているところです。
ウマノスズクサの花言葉は「ユーモアのある」です。ユーモアとはひとを楽しくさせる教養のようなものです。楽しくなればひとは思わず笑うものです。だからと言って今はやりの、単に滑稽でげらげら笑うような可笑しさではなく、人間的な内面の長所を持ち上げたり、短所をやんわりとつついたりして、ひとの心を和らげるものでなかればなりません。
まだ20歳代で勤めた職場に、飲めば素っ裸になって踊る課長補佐がおりました。確かにそれを見た職場の仲間たちは打ち興じました。しかしそれは一過性なものに過ません。その人の品位を傷つけるだけのもので、単に人々に無理やり滑稽を押し付け、笑いを誘うだけのものに過ぎなかったのです。修練が足りず売り物が無い者が、てっとり早く人気を取るため、普通の人が恥ずかしくて決してやらない行為を行っただけなのです。やがてその人は職場を去り、どこかの町会議員になったと聞きました。「裸踊り」の度胸があれば世間は通るものだとの好例なのでしょうか。
頑固者が多い高齢者クラブなどの役員を務めていると、頑固者の頭をほぐす技としてユーモアが活躍する機会が増します。ユーモアは対立者同士や周囲の人達を傷つけてはならないのです。その上頑固な脳みそを和らげて誤りに気付かせ、対立する両者に利益をもたらし、「少しの譲歩」を引き出すのです。この「少しの譲歩」が重要で、自分の「少しの譲歩」を棚上げして、相手の「少しの譲歩」で自分の面目を保つことができるのです。ですから、ユーモアは次々ほとばしり出るものではなく、普段から研究を重ね、ここぞと言う時に出るものなのです。次々と出てくるのは「ダジャレ」と言うもので、ユーモアとは全く異なるものなのです。ただし「弾も数撃てば当たる」で、偶にはユーモアになることもあります。
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