アイ・ラブ みどり

逆境にもめげず、けなげに生きるみどり達がいとおしくてなりません。

マレー農村の子供達

2006年06月23日 | みどりのアート
私がマレーシアへ初めて派遣されたのは1971年のことでした。その頃マレーシアは、食糧輸入に費やされる貴重な外貨支出が経済発展の障害となっていました。乾期に潅漑することによる水稲二期作化は、中進国を目指すマレーシア5カ年計画の重要な柱の一つなのでした。
1970年に灌漑施設が整備され、水稲二期作が始まるや、病虫害の多発、水田地盤の軟弱化など深刻な問題が発生し、稲作王国を自認する日本が技術協力に乗り出します。病虫害には農薬を中心とする防除技術、軟弱地盤には基盤整備や農業機械の改良で臨みました。しかし日本の技術には余りに経費がかかりすぎ、開発途上国には適用不可能であることが分かり、日本の技術協力は挫折しました。
そんな中で石狩平野で泥炭地盤改良に従事していた私が派遣されることになったのです。現地で私は乾期の重要性を認識しました。乾期は、病気の宿主の昆虫のライフサイクルを遮断し、地盤強度を回復し、乾土効果で土壌肥沃度を向上させていたのです。私は、乾期を取り戻して水稲二期作を実現することを目標に、技術体型を組み直しすることにしました。
水稲の生育期間を130日とすれば、二期作下でも3ヶ月もの時間的余裕があります。このうち1ヶ月を水田乾燥期間に当てることにより、問題は解決しました。乾期は水稲栽培上、病虫害・地盤強度・土壌肥沃度などをリセットする重要な期間だったのです。
その経験を元に絵を描いてみました。厳しい乾期の風景です。土はからからに乾いています。バナナの木も乾燥に耐え、緑を失い、やっと生きている状態です。マレー半島の中央山地で雨を落とした大気が流れ下り、空は靄がかかったようにすっきり晴れることはありません。
そんな気候を利用して、マレー農民は稲を栽培し、慎ましやかに平和に暮らしていたのです。自然と共に生活する姿を裸の子供達に映しました。モデルは現地で私の圃場調査を助けてくれた青年の妹弟達です。画面左は収穫した籾とそれを蓄えるネズミ返し付き柱で支えられた籾倉です。右は高床式の住宅です。雨季には洪水から家財を守り、乾期には心地よい風を通します。大きな陶器製甕にはスコールを貯めます。甕の表面からの蒸発で水温は下がります。
自然と人が一体となって共生しているかつてのマレー農村の心象風景を描きました。
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