鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

山形・中島、ピッチを駆ける「ミスター・タフネス」

2013年06月06日 | Weblog
【NON STOP J2】-J2のススメ- 中島裕希(山形):ピッチを駆ける「ミスター・タフネス」(13.06.05)


J1は中断期間でも、2013年6月もJ2は止まりません。J1クラブのサポーターも、ピッチが恋しくなったらぜひJ2へ!
【NON STOP J2】-J2のススメ- では、過去にJ1でプレーした経験を持ち、現在J2へと活躍の場を移した選手の今を、J's GOAL担当ライターがご紹介します!

その走りは、たとえるなら獲物を狙っているヒョウやチーターを思わせる。初速から爆発的なスピードは出ているが、伸びのあるストライドはスムーズでしなやか。すべてのパワーが骨や筋肉を介し効率よく推進力に変換されていく。自分の体は自分で手入れをし、トレーナーのマッサージをほとんど受けることがないという。ゴールを奪える試合も奪えない試合もあるが、どの試合も確実にチャンスメークし、1シーズンをタフに走り続け大きな怪我もない。チームへの貢献度は計り知れない。

富山第一高校から、柳沢敦と同じルートをたどり鹿島の一員となったのは03年。しかし、名実ともにチームの主力として存在感を発揮したのは06年から6シーズンプレーした仙台時代だった。それだけに昨年、「みちのくダービー」を戦う最大のライバルチームから、しかもそこで痛い目にも遭わされている中島を期限付きで迎えることに、少なからぬ山形サポーターは100パーセント「ウェルカム」の気持ちを持てず、しばらくは「お手並み拝見」と距離を置いていたように思う。

しかし、そうしたことはおかまいなしに、中島は山形の中に飛び込んでいった。1月の新加入選手会見のときから「山形をJ1へ上げるために」という言葉を発し、その思いが偽りのないものであることを毎試合の全力プレーで証明し続けた。昨シーズンはチーム最多の9ゴール。フォワードとして得点以外の部分でも、チャンスメークすること、そしてその手段として走り抜くことでサポーターの心をつかんできた。フィールドプレーヤーとしては出場試合数41は石川竜也、秋葉勝と並んで最多、出場時間も石川に次いで2番目の多さだった。

完全移籍を果たした今シーズンも、ここまでチーム唯一の全試合先発出場中。今シーズンはゴールシーンにもそのスピードが存分に生かされている。第6節・横浜FC戦では、一見コントロールミスかと思われるほど遠くに持ち出すファーストタッチ。一発で相手を置き去りにしてゴールを奪ったプレーは、本人曰く「狙いどおり」。第16節・京都戦では約50メートルの高速ドリブルから、シュートシーンでは逆にじっとキーパーの動きを確認してタイミングを計る冷静さを見せた。

自らの決定力について聞かれたとき、中島はこう答えている。「入るときもあれば、入らないときもある。上をめざして、高いところをめざしてやっていかなければいけないので、ゴール前は大胆に、でも落ち着いてやっていきたい」。走り続けることで何かを起こせる。その信念こそが、タフにプレーできる原動力となっている。

以上

2013.06.05 Reported by 佐藤円


J1からJ2に活躍の場を移した選手として紹介される山形の中島である。
「獲物を狙っているヒョウやチーターを思わせる」と評されておる。
それだけ中島のスピードに驚かされたのであろう。
トップスピードから点で合わせるプレイは中島の真骨頂である。
是非とも良いボールを彼に供給して欲しい。
良い連携から生まれる中島のゴールを期待しておる。

黒崎、大宮のコーチ就任

2013年06月06日 | Weblog
黒崎 久志インストラクター トップチームコーチ就任のお知らせ
このたび大宮アルディージャでは、新たにトップチームコーチとして、大宮アルディージャ地域プロデュース部インストラクターの黒崎 久志氏と契約いたしましたのでお知らせいたします。
なお、同コーチのプロフィールは下記のとおりです。

黒崎 久志(くろさき ひさし)

■生年月日:
1968年5月8日(45歳)

■出身地:
栃木県

■選手歴:
宇都宮学園高等学校(現:文星芸大付高) -本田技研工業サッカー部(現:Honda FC) - 鹿島アントラーズ - 京都パープルサンガ - ヴィッセル神戸 - アルビレックス新潟 - 大宮アルディージャ

■代表歴:
日本代表 国際Aマッチ 25試合 4得点

■資格:
日本サッカー協会公認S級指導者ライセンス

■指導歴:
2004年 鹿島アントラーズジュニアユース:コーチ
2004年 U-15日本代表(ブラジル遠征):コーチ
2004年 - 2005年 日本サッカー協会:ナショナルトレセンコーチ
2005年 - 2006年 鹿島アントラーズユース:コーチ
2007年 - 2008年 アルビレックス新潟:コーチ
2009年 アルビレックス新潟:ヘッドコーチ
2010年 - 2012年5月 アルビレックス新潟:監督
2013年 – 2013年6月 大宮アルディージャ地域プロデュース部インストラクター

■コメント:
今のチームの更なるレベルアップのサポートが出来るように全力で頑張りますので、大宮アルディージャのファン・サポーターのみなさん、応援よろしくおねがいいたします。


今年より大宮の地域プロデュース部インストラクターを努めておった黒崎がトップチームのコーチに就任したとのこと。
これは恐ろしい敵が立ちはだかってくる。
昨季途中まで新潟を率いておった際には、一度も勝利を得られずに終えた。
それほどの指揮官が大宮のブレーンとなれば、更なる力を得ることとなろう。
大宮との今季の戦いは、先制しながらも逆転負けと悔しい思いをしておる。
次なるホームの試合では、必ずや勝利を掴みたいところ。
黒崎の頭脳が加わった大宮との対戦は、8月3日。
真夏の過密日程の最中である。
熱い戦いを繰り広げようではないか。
楽しみにしてスタジアムに向かいたい。

Jリーグ、シンガポールリーグとパートナーシップ

2013年06月06日 | Weblog
シンガポールリーグとのパートナーシップ協定締結について
2013年6月6日(木)

 公益社団法人 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)は2013年6月5日(水)、シンガポールリーグ(Sリーグ)を運営しているシンガポールサッカー協会とのパートナーシップ協定を締結いたしました。
 Jリーグにとって、海外のプロリーグとのパートナーシップ協定締結は、タイ、ベトナム、ミャンマー、カンボジアに続いて5件目となります。
 JリーグとSリーグは、今回の提携をきっかけとして、両国のフットボール発展のためにコミュニケーション、マーケティング、大会運営、アカデミー、選手の移籍等の様々な分野で協力し、プロリーグの組織、マネジメントの質向上と効率化を目指してまいります。

【公益社団法人 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)・シンガポールリーグ(Sリーグ)とのパートナーシップ協定 概要】
調印日 2013年6月5日(水)
場所 Jalan Besar Stadium内 シンガポールサッカー協会オフィス(シンガポール)
登壇者 シンガポールサッカー協会 会長 Mr. Zainudin Nordin
Jリーグチェアマン 大東 和美
パートナーシップ
協定内容
プロフットボールの運営、マネジメントレベル向上に必要な情報の交換
プロフットボールリーグの運営、またクラブのマネジメントに必要な経験の共有、ならびにカンファレンスの開催
コーチ、審判、選手、メディカル、大会運営、マーケティング分野等における分析、研修・トレーニングプログラム等に関する経験の共有
シンガポールおよびJクラブ間でのフレンドリーマッチの開催
ユース年代における大会、フレンドリーマッチ、トレーニングの実施
両国選手が相手国リーグでプレーするための紹介および環境の整備
商業権利開拓にむけたサポート(相手国スポンサーの紹介)
Jリーグのシンガポール国内での放映拡大のサポート、また日本国内でのシンガポールリーグ知名度向上のサポート
シンガポールクラブ、Jクラブ間でのパートナーシップ促進
Jクラブによるシンガポール国内での社会貢献活動の実施
八百長対策に関する協力


5月に報じられたようにシンガポールと協定を結んだJリーグである。
先日、シンガポールに先んじてカンボジアと協定を結んでおり、着実にアジアとの連携を深めておる。
アジアサッカー界の中心に日本のJリーグがあることは非常に重要と言えよう。
アジアを牽引し、世界に引けをとらない素晴らしい共栄圏を作るのだ。
その為にも我が鹿島がJリーグにて結果を出していかねばならぬ。
鹿島が最高峰のプレイで日本サッカーを引き上げていくことになろう。
気合を入れなおしたい。

大野、諦めない心

2013年06月06日 | Weblog
元J1鹿島・大野さん、夢の大切さ語る ひたちなか・田彦小
「スポーツ笑顔の教室」


【写真説明】ボールゲームに取り組む大野俊三さんと子どもたち=ひたちなか市田彦

東日本大震災の被災地の子どもたちを勇気づけようと、スポーツ界が立ち上げた「スポーツこころのプロジェクト」が今週、県内各地で実施されており、ひたちなか市田彦の市立田彦小(小川正一校長)では5日、サッカーの鹿島アントラーズに所属していた元Jリーグ選手、大野俊三さんが「夢先生」として教壇に立った。

同プロジェクトは「スポーツ笑顔の教室」と題して行われ、日本スポーツ振興センターの支援の下、日本体育協会や日本サッカー協会など4団体によって取り組まれている。

同校は5年生を対象に実施。体育館でボールを使ってチームワークを養うゲームを楽しんだ後、教室で大野さんが小学生時代の夢を語った。

小学3年生でサッカーを始めた大野さんは、練習を重ねても技術が上達しないように感じ、小学5年の時にサッカーをやめてしまった。「毎日早く帰ってくる自分に母が『俊三、それでいいの?』と一言。小学6年でサッカーに戻ったが、くじけそうになると、今でもこの時のことを思い出す」と話した。

その上で、大野さんは「諦めないで続けたからこそ、サッカー選手になるという夢をかなえられた」と子どもたちに訴えかけた。


スポーツこころのプロジェクトにて田彦小学校の教壇に立った大野俊三である。
自らの小学校時代の挫折を語り、子どもたちに立ち直ることの重要さを訴えた。
「諦めない心」それは重要と言えよう。
くじけることは誰にでもある。
そこで終わりにせず、前向きに行動することこそ肝要なのである。
大野の言葉を授かった子どもたちは幸せである。
未来を作っていく彼等が強い心で生きていくことを祈っておる。