鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

リハビリ組、団欒

2010年05月31日 | Weblog
2010年 5月31日(月)

午前中のグラウンドでは、本山選手や笠井選手などリハビリから復帰したばかりの選手たちがフィジカル強化のメニューを行っていました。またトレーニング後には芝生に寝転がり、みんなで談笑していました。

和やかに座り込むリハビリ復帰組である。
彼らには再開後には活躍してもらわねばならぬ。
本山は攻守の中心選手としてチームを引っ張る義務があり、笠井健太には篤人移籍後の右サイドを担うほどになって欲しい。
大道にも川島にも期待せざるを得ない。
今季の大きな目標であった、アジアへの野望は潰えた。
しかしながら、来季もチャンピオンとしてアジアに飛び出すため優勝する必要がある。
その為には、復帰した彼らの力が必要なのだ。
休んでおった分の働きを頼みたい。
チーム一丸となって、二度目の国内三冠を目指すのだ。
期待しておる。

疾れ、篤人

2010年05月31日 | Weblog
内田篤人、苦悩を乗り越えた不動の攻撃的サイドバック
5月31日 10時01分配信田中滋(ISM)
■順風満帆に見えるキャリアの裏側にあった苦悩


卓越した攻撃センスを誇る内田。体調不良も克服し、最高峰の舞台で輝きを放つための準備は万端 【Photo:Getty Images】
 2006年、清水東高から鹿島アントラーズに加入してきた内田篤人を見たパウロ・アウトゥオリ監督(当時)は、宮崎合宿の初日から「今季の右サイドバックは内田でいく」と明言したという。当時の内田はまだ17歳。クラブ史上初となる高卒ルーキーでの開幕スタメン出場を果たすといきなり活躍。右サイドから積極的にドリブル突破を仕掛けPKを獲得してみせた。イタリアから復帰したばかりの柳沢敦のハットトリックにかすんでしまったものの、非凡なものを感じさせるデビューだった。

 そして、そこからの躍進には目覚ましいものがあった。07年にはU-20ワールドカップ(W杯)代表、さらに08年には北京五輪代表(U-23)、そして日本代表。ほかの誰よりも早く階段を駆け上がり、ついに南アフリカへ日本代表のレギュラーとして乗り込むところまできた。22歳となった今まで順風満帆で来たとも言えるだろう。

 だが、実際にはそうではない。はじけるような笑顔の下に、内田だけが抱える苦悩があった。カシマスタジアムの記者席は2階席の一角にある。かなり高い位置からピッチを見下ろす形になっているのだが、手前のタッチライン際にいた内田が走るのを止めて下を向いたとき、初めは何をしているのか分からなかった。普段の生活なら見ることのある光景かもしれないが、サッカーの試合中にそうした姿を見るのは初めてだったかもしれない。だが、数秒後に何をしているのかが分かった時は衝撃だった。内田は胃の中のものをグランドに向かって吐き出していたのである。

「いつものことだよ」
 何食わぬ顔で答えた内田だったがその表情は能面のよう。昨年は1年間ずっとそういった状態に悩まされていた。原因は分からなかった。痛み止めの飲み過ぎで胃が荒れているから。疲労から。さまざまな要因が疑われたが、解決策はなかった。しかし、ひょんなことで苦しみから解放される。日本代表のチームメート、長友佑都が同じ症状に悩まされた時にガムを噛むことで嘔吐感を解消させたというアドバイスを聞いたからだ。
「ずっと付き合っていく恋人だと思ってたんだけどね」
 内田の表情も、そのころを境に本来の明るいものに変わっていった。
■とにかくうまくなりたい――サッカーへの飽くなき欲求
 なぜ、そこまでして試合に出続けるのか。その答えは少しでもサッカーがうまくなりたいという単純な欲求以外にない。その外見からは想像もつかないほどハングリーに、どん欲にサッカーを追求しているのが内田篤人と言えるだろう。

 昨年、内田が次のようにつぶやいたことがあった。
「みんなどんどんうまくなっていく。おれだけ取り残されちゃうよ」
 その意味はこうだ。鹿島はここ数年、リーグ戦とAFCチャンピオンズリーグ(ACL)を戦い続けてきたため、日程は過密となり日々の練習はコンディション調整ばかり。1時間くらいで終えることも多く、それを内田は嘆いていたのである。
「おれ、まだ21歳だよ」
 もっとサッカーがしたい、もっとサッカーがうまくなりたい。その欲求は大きくなるばかり。そのため、ミッドウィークに試合がなく1週間練習を積むことができたときは、「良い練習ができた」と満足げに語ることもしばしば。チームメートの岩政大樹は「あいつにとっては久々でしょうからね」と弟分の忙しさを気遣うほどだった。

 ただ、そうした状況が何年も積み重ねれば海外移籍の話題が出るのも当然だろう。昨年、鹿島は3連覇を達成し、どうやれば勝てるのかということを、かなりのところまで突き詰めることに成功してきた。しかし、それは内田の満足感を満たすものではなかったのかもしれない。今年もACLを戦った鹿島だが、予選リーグのペルシプラ・ジャヤプラ戦で、そうした思いが顔を出す場面があった。
 この試合、内田の対面にいた13番の選手が積極的にドリブル突破を仕掛けてきた。しかし、これを余裕で対応。1対1の勝負はすべて内田の勝利だった。
「とりあえず飛び込まなければ大丈夫だと思って。後半は、監督からも『お前はそこにいろ』って言われたし」

 相手との力量差を考えれば、スペースさえ与えなければピンチを生む可能性はほとんどない。さらに点差は3-1でリードしている状況。このまま試合を終わらせれば勝ち点3は転がり込んでくる試合だった。
 ただ、内田の気持ちはそこにとどまることを良しとしていなかった。
「チームが勝つことが一番いいことだし、前に行かないでそこにいることが勝つことにつながるとは思う。でも、それだけで良いのか悪いのか分からない」
■高まる鼓動、ついに世界最高峰のピッチへ
 そうした気持ちを抱えている中で、日本代表に行けば海外で活躍する多くの先輩から刺激的な話を聞くことができる。もっとうまくなりたいという気持ちが抑えられなくなったのも必然かもしれない。そして、目の前に待ちかまえるのは南アフリカW杯だ。世界を舞台にした戦いを前に、内田の気持ちは踊る。

「サッカーに興味もない人も見るのがW杯」
 日本代表に選出された時、内田はそう定義づけた。自分も日韓W杯でベッカムの姿に魅せられた経験を持つだけに、W杯が持つ力の大きさは十分に理解している。自身もそのルックスからさまざまな媒体で取り上げられているが、あえて求められる役割をこなしている部分も強い。内田なりにサッカーが興味のない人にもサッカーを好きになってもらうためにアイコン的な役割もこなしてきた。だからこそ内田は多くの人に呼び掛ける。
「W杯という大きい大会を盛り上げていただきたいと思います。僕たちは結果で表現したいというか、結果を出したいと思います。ぜひ、青いユニホームを着て、一緒に戦ってほしいと思います」

 代表監督にまつわる解任論が沸き起こったときも、内田は「岡田さんは良い監督。ピッチに立っているのは選手なんだから、負けた責任は選手にある」と強い口調で言った。監督だけに責任が押しつけられている状況を憂い、自分たちが監督のサッカーを表現できていないことに責任も感じていたのである。
 海外の選手を相手にするには体が弱いと指摘する声もある。Jリーグの試合でも外国人選手をぶつけられることが何度かあった。しかし、鹿島と対戦するチームが、毎回毎回、内田のサイドに屈強な選手を置いてくるのなら、それを攻略法として認めることもできるだろう。しかし、1度やったことを2度3度繰り返してくるチームはない。同じ過ちは繰り返さない、そうした気持ちの強さが内田の中には秘められている。

 代表発表を受けた後、記念撮影のためにカメラマンから絵馬を渡された内田。そこには大きく「ベスト4」という目標が記されていた。
「3連覇して、監督や先輩からゲームの勝ち方や厳しさ、我慢するところは我慢する、そういうものを教わってきました。Jリーグでやってきた4年、5年。鹿島で学んだことを出し切りたいと思います」

<了>
内田篤人
Atsuto UCHIDA [鹿島アントラーズ] DF
1988年3月27日生 176cm/62kg
・前所属チーム:清水東高
・Jリーグ初出場:2006/03/05 2006Jリーグ ディビジョン1 第1節 鹿島(vs広島@広島ビ)
・Jリーグ初得点:2006/03/21 2006Jリーグ ディビジョン1 第4節 鹿島(vs甲府@カシマ)


田中氏のコラムである。
鹿島入団後の篤人について語っておる。
確かに2006年に入団してきた篤人は衝撃であった。
縦へ突破する思い切りの良さが気持ちよく、公式戦で即PKをゲットしたのが記憶に蘇る。
そして、初ゴール。
2006年イヤーDVDでは「18歳の~」とナレーションが入っておるが、当時は17歳であった。
尾崎豊の「17歳の地図」に掛けて「セブンティーンズ・ゴール」と称したものである。
その篤人は各年代の代表経てフル代表に定着し、鹿島は三連覇を成し遂げ、アジアにチャレンジする。
その余波を受けて過密日程に悩まされることとなるのだ。
観ている我等が心配であった。
ガムで乗り越え、元気に走る篤人に安心したことも最近のことである。
その篤人は、南アフリカの地を踏み、ドイツへと旅立っていく。
快く送り出すのが我等の役目であろう。
鹿島で育んだ精神を世界で、ドイツで試して欲しい。
どこへ行っても、鹿島の篤人であった経験が支えてくれるであろう。
疾れ、風のように。
楽しみにしておる。