評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
堀江氏、村上氏、折口氏を比較する
傘下のコムスンが起こした問題で、グッド・ウィル・グループの折口代表が批判の矢面に立っている。どのぐらい続くか分からないが、一時のライブドア堀江元社長、村上ファンドの村上代表並の「極悪人」扱いに見える。政治的な影響は、年金問題から関心が逸れて与党に有利なのか、年金の次は介護と、国民の(特に投票率の高い高齢者の)関心の高い問題で行政の不手際が続けて起こって、野党に有利に働くのか、どちらなのか分からないが、ここでは、介護でGWGが起こした問題や政治問題ではなく、ビジネスマンとしての、3人の印象を、ごく簡単に比較してみたい。
(1)基本思想、(2)ビジネスの着眼点、(3)本人の個人的な強み、(4)ビジネス上の弱点、という視点で見てみよう。
●堀江氏
(1)拝金主義。お金で自分をアピールしたい。
(2)主たる商品・手段は「株式」。良くも悪くも株式市場を徹底的に利用し、株式市場でのイメージを重視した。模倣でも何でもビジネスを形にして、株式を上場し、実質的に株式を交換する形で、ビジネスを手に入れていた。
(3)自分でもプログラム開発ができるなどシステム関係の知識・理解力があり、当初のオン・ザ・エッジ上場に至るまでの種を作ることができた。
(4)目立ちたがりで、自意識過剰だった。メディアへの露出が役に立った時期もあったが、最終的には、過剰な自意識と目立ちたい欲求がマイナスに働いた。
●村上氏
(1)拝金主義。お金で自分をアピールしたい。
(2)資産の換金価値よりも安い株式を買って、企業の本来の価値を実現させれば儲かる。ファンドでもあり、米国のW.バフェット氏のように、株を買って、企業に儲けさせる時間を使う暇はなく、常にExitが必要だったので、投資家としては、利益を信用せず、資産の価値に頼った。
(3)口が立つこと。堀江氏、日銀の福井氏など、多くの人を、口先で巧みに、利用することができた。
(4)儲けるだけでなく、説教(←要は自分の正当化だが)をしたがること。これはビジネスの儲けには、余計。長所と裏腹だが、たぶん、何らかのコンプレックスをカバーするために、常に、自己主張が必要だったのではないか。
●折口氏
(1)徹底的な拝金主義。お金以外信用しない。お金そのものが目的。
(2)バブルの頃は、流行に弱いオネーチャンとオネーチャンに弱い男どもを「ジュリアナ」で一網打尽に。その後、派遣ビジネスでは立場の弱い労働者から利益を絞り取り、介護ビジネスでは、体力・判断力の弱い老人を客として彼らの不安感につけ込んだ。ビジネスの一般的な原則として「弱者から得る儲けは大きい」。たとえば、外資系証券のビジネスでいうと、潰れた○○生命や××火災のような、バランスシートがボロボロの会社が、これを誤魔化すために使ったデリバティブは、利幅が大きい、儲かる商売だった。
(3)詳しいことはよく分からないが、単純であこぎなビジネスを徹底させる、ブレない姿勢が強みだったのだろう。
(4)敢えて言えば、「やりすぎ」及び「親しみにくくて不気味な風貌」と「ダーティーなイメージ」が弱点だが、ビジネスマンとしては堀江氏、村上氏よりも目的合理的で目立った欠点がない。嫌な感じ、ではあるけれども、儲けそうな経営者だ。
要するに、好き嫌いは別として、堀江氏、村上氏には、ビジネス上はいかにも余計な、しかしいかにも人間的な欠点があったが、折口氏にはそれがないし、ジュリアナ、派遣、介護、と見ると、ビジネスの狙いは常にストライクだ。たぶん、近年台頭してきた経営者の中では、突出して鋭いのではないか。但し、その分、人物的には、親しみにくいし、率直に言って、不気味である。
ただ、彼が、この逆境でどんな手を打つのか、また、次に(チャンスがあるかどうかは微妙だが)何を狙うのかには、大いに興味をそそられる。
みなさんは、折口氏に、どのようなイメージをお持ちになりますか? それにしても、人材派遣業の方に問題はないのだろうか。
(1)基本思想、(2)ビジネスの着眼点、(3)本人の個人的な強み、(4)ビジネス上の弱点、という視点で見てみよう。
●堀江氏
(1)拝金主義。お金で自分をアピールしたい。
(2)主たる商品・手段は「株式」。良くも悪くも株式市場を徹底的に利用し、株式市場でのイメージを重視した。模倣でも何でもビジネスを形にして、株式を上場し、実質的に株式を交換する形で、ビジネスを手に入れていた。
(3)自分でもプログラム開発ができるなどシステム関係の知識・理解力があり、当初のオン・ザ・エッジ上場に至るまでの種を作ることができた。
(4)目立ちたがりで、自意識過剰だった。メディアへの露出が役に立った時期もあったが、最終的には、過剰な自意識と目立ちたい欲求がマイナスに働いた。
●村上氏
(1)拝金主義。お金で自分をアピールしたい。
(2)資産の換金価値よりも安い株式を買って、企業の本来の価値を実現させれば儲かる。ファンドでもあり、米国のW.バフェット氏のように、株を買って、企業に儲けさせる時間を使う暇はなく、常にExitが必要だったので、投資家としては、利益を信用せず、資産の価値に頼った。
(3)口が立つこと。堀江氏、日銀の福井氏など、多くの人を、口先で巧みに、利用することができた。
(4)儲けるだけでなく、説教(←要は自分の正当化だが)をしたがること。これはビジネスの儲けには、余計。長所と裏腹だが、たぶん、何らかのコンプレックスをカバーするために、常に、自己主張が必要だったのではないか。
●折口氏
(1)徹底的な拝金主義。お金以外信用しない。お金そのものが目的。
(2)バブルの頃は、流行に弱いオネーチャンとオネーチャンに弱い男どもを「ジュリアナ」で一網打尽に。その後、派遣ビジネスでは立場の弱い労働者から利益を絞り取り、介護ビジネスでは、体力・判断力の弱い老人を客として彼らの不安感につけ込んだ。ビジネスの一般的な原則として「弱者から得る儲けは大きい」。たとえば、外資系証券のビジネスでいうと、潰れた○○生命や××火災のような、バランスシートがボロボロの会社が、これを誤魔化すために使ったデリバティブは、利幅が大きい、儲かる商売だった。
(3)詳しいことはよく分からないが、単純であこぎなビジネスを徹底させる、ブレない姿勢が強みだったのだろう。
(4)敢えて言えば、「やりすぎ」及び「親しみにくくて不気味な風貌」と「ダーティーなイメージ」が弱点だが、ビジネスマンとしては堀江氏、村上氏よりも目的合理的で目立った欠点がない。嫌な感じ、ではあるけれども、儲けそうな経営者だ。
要するに、好き嫌いは別として、堀江氏、村上氏には、ビジネス上はいかにも余計な、しかしいかにも人間的な欠点があったが、折口氏にはそれがないし、ジュリアナ、派遣、介護、と見ると、ビジネスの狙いは常にストライクだ。たぶん、近年台頭してきた経営者の中では、突出して鋭いのではないか。但し、その分、人物的には、親しみにくいし、率直に言って、不気味である。
ただ、彼が、この逆境でどんな手を打つのか、また、次に(チャンスがあるかどうかは微妙だが)何を狙うのかには、大いに興味をそそられる。
みなさんは、折口氏に、どのようなイメージをお持ちになりますか? それにしても、人材派遣業の方に問題はないのだろうか。
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株本の構成案
前のエントリーでは、取り上げるべき項目と、本のタイトルについて、多くのアイデアを頂き、まことにありがとうございました(引き続き募集中ですが)。
これから書くべき株本の、仮の構成案がまとまりました。項目を、追加したり、削除したり、順番を入れ替えたり、ということが、これから相当に起こるとは思いますが、一応、この程度の構造が出来たら、書き始めても良さそうです。仮のタイトルは「株式投資は不美人投票」にしておきますが、これは、いつ変わってもおかしくありません。また、現在の項目数は48個ですが、半端なような丁度いいような数ですが、これも増減の可能性があります。項目名は、何れも、否定ないし、批判ないし、少なくとも全面的には正しくないと指摘されるはずの、ネガティブな意味からラベリングしたものです。
さてさて、具体的には、こんな感じです。
=======================
●「株式投資は不美人投票」構成案
<まえがき>
<第一章:株式投資はどんなゲームか>
・株式投資は美人投票だ
・株式投資は博打ではない
・株式投資は情報が勝負だ
・株式投資は頭脳の勝負だ
・株式投資は金持ちが勝つゲームだ
・株式投資は売買のタイミングが勝負だ
・マクロの見通しを踏まえて投資せよ
・エコノミストの逆に張れ
・下げ相場やボックス相場ではアクティブ運用がいい
・機関投資家は運用のプロだ
<第二章:その常識こそが危うい>
・株式市場は効率的だ
・長期投資でリスクが縮小する
・売買タイミングはチャートで判断する
・β値の高い銘柄は期待リターンが高い
・ドルコスト平均法は有利な投資法だ
・インデックス運用はポートフォリオ理論の応用例だ
・行動ファイナンスは投資家が儲けるための理論だ
・インフレに勝つには株式投資だ
・バブルは後にならないと見分けられない
<第三章:その方法では儲からない>
・利食いの目標株価を決めておけ
・株式投資は損切りが大事
・機関投資家が買う株を買え
・分散投資は非効率的
・銘柄数が多すぎると管理ができない
・アナリストの情報を活用しよう
・上方修正続きの銘柄に投資しよう
・業界トップ銘柄を買え
・デイトレードでは堅実に利喰え
・明日の高成長企業に投資しよう
・身近なところから投資のヒントを探せ
・システム運用は相場観に左右されない
・ナンピン買いで平均コストを下げよ
・「100-年齢」だけ株を持て
・掲示板やブログで情報を探せ
・信頼できる証券マンを見つけよう
<第四章:銘柄評価の考え方>
・優れたビジョンを持つ経営者に投資しよう
・配当こそ株主還元だ
・株主優待を楽しもう
・不祥事を起こした会社は売り
・決算発表では増益「率」に注目しよう
・M&Aは成長戦略だ
・IRに熱心な会社の株を買え
・CSRが優れた企業に投資しよう
<第五章:天は投資家の上に投資家を作らず>
・実力は運用結果に表れる
・プロとアマには大差がある
・株式投資は女には向かない
・株式投資はシニアには向かない
・株式投資は努力すると上達する
<あとがき>
=======================
章立てを作り、項目を分類するのは、いかにも煩雑で、結構気の重い作業だったのですが、項目をノート(A4のノートの見開き2ページ)に書き取り、次に、このノートを持って、注文してから出来上がるまでに50分くらいかかる鰻屋に行って(11:35分入店でしたが、相席で最後の席に座れました)、ビールを飲みながら、章立てを考え、それに合わせて項目を分類して、鰻を食べて元気を付けて、家に帰ってからエディター(原稿は主にWZエディターで書いています)で清書する、というような手順でまとめました。
次は、この構成案のファイルをコピーしたものにテキストを書き加える形で、原稿を書くことになります。この程度項目がまとまると、ライターを使う場合なら(私の場合、ライターさんに下書きして貰った場合は、後書きにその旨が分かるように書いてあります)、2時間×4回くらい話して、原稿を作って貰って、これに徹底的に手を加える、といった手順になりますが、今回は、自分で書くことにします。
大衆受けしようなどと気を遣わずに(きっと無理なのだし)、喋るのと変わらない気分で、言いたいことを書く、というような調子で進めようと思っていますが、(1)十分なやる気が出るか、(2)書きやすい文の調子が見つかるか(私の場合、「文体」なんて大それたものは持っていないので)、(3)書いているうちに飽きないか、といったことが、次の心配です。最初の数項目で調子が出るといいのです・・・。
これから書くべき株本の、仮の構成案がまとまりました。項目を、追加したり、削除したり、順番を入れ替えたり、ということが、これから相当に起こるとは思いますが、一応、この程度の構造が出来たら、書き始めても良さそうです。仮のタイトルは「株式投資は不美人投票」にしておきますが、これは、いつ変わってもおかしくありません。また、現在の項目数は48個ですが、半端なような丁度いいような数ですが、これも増減の可能性があります。項目名は、何れも、否定ないし、批判ないし、少なくとも全面的には正しくないと指摘されるはずの、ネガティブな意味からラベリングしたものです。
さてさて、具体的には、こんな感じです。
=======================
●「株式投資は不美人投票」構成案
<まえがき>
<第一章:株式投資はどんなゲームか>
・株式投資は美人投票だ
・株式投資は博打ではない
・株式投資は情報が勝負だ
・株式投資は頭脳の勝負だ
・株式投資は金持ちが勝つゲームだ
・株式投資は売買のタイミングが勝負だ
・マクロの見通しを踏まえて投資せよ
・エコノミストの逆に張れ
・下げ相場やボックス相場ではアクティブ運用がいい
・機関投資家は運用のプロだ
<第二章:その常識こそが危うい>
・株式市場は効率的だ
・長期投資でリスクが縮小する
・売買タイミングはチャートで判断する
・β値の高い銘柄は期待リターンが高い
・ドルコスト平均法は有利な投資法だ
・インデックス運用はポートフォリオ理論の応用例だ
・行動ファイナンスは投資家が儲けるための理論だ
・インフレに勝つには株式投資だ
・バブルは後にならないと見分けられない
<第三章:その方法では儲からない>
・利食いの目標株価を決めておけ
・株式投資は損切りが大事
・機関投資家が買う株を買え
・分散投資は非効率的
・銘柄数が多すぎると管理ができない
・アナリストの情報を活用しよう
・上方修正続きの銘柄に投資しよう
・業界トップ銘柄を買え
・デイトレードでは堅実に利喰え
・明日の高成長企業に投資しよう
・身近なところから投資のヒントを探せ
・システム運用は相場観に左右されない
・ナンピン買いで平均コストを下げよ
・「100-年齢」だけ株を持て
・掲示板やブログで情報を探せ
・信頼できる証券マンを見つけよう
<第四章:銘柄評価の考え方>
・優れたビジョンを持つ経営者に投資しよう
・配当こそ株主還元だ
・株主優待を楽しもう
・不祥事を起こした会社は売り
・決算発表では増益「率」に注目しよう
・M&Aは成長戦略だ
・IRに熱心な会社の株を買え
・CSRが優れた企業に投資しよう
<第五章:天は投資家の上に投資家を作らず>
・実力は運用結果に表れる
・プロとアマには大差がある
・株式投資は女には向かない
・株式投資はシニアには向かない
・株式投資は努力すると上達する
<あとがき>
=======================
章立てを作り、項目を分類するのは、いかにも煩雑で、結構気の重い作業だったのですが、項目をノート(A4のノートの見開き2ページ)に書き取り、次に、このノートを持って、注文してから出来上がるまでに50分くらいかかる鰻屋に行って(11:35分入店でしたが、相席で最後の席に座れました)、ビールを飲みながら、章立てを考え、それに合わせて項目を分類して、鰻を食べて元気を付けて、家に帰ってからエディター(原稿は主にWZエディターで書いています)で清書する、というような手順でまとめました。
次は、この構成案のファイルをコピーしたものにテキストを書き加える形で、原稿を書くことになります。この程度項目がまとまると、ライターを使う場合なら(私の場合、ライターさんに下書きして貰った場合は、後書きにその旨が分かるように書いてあります)、2時間×4回くらい話して、原稿を作って貰って、これに徹底的に手を加える、といった手順になりますが、今回は、自分で書くことにします。
大衆受けしようなどと気を遣わずに(きっと無理なのだし)、喋るのと変わらない気分で、言いたいことを書く、というような調子で進めようと思っていますが、(1)十分なやる気が出るか、(2)書きやすい文の調子が見つかるか(私の場合、「文体」なんて大それたものは持っていないので)、(3)書いているうちに飽きないか、といったことが、次の心配です。最初の数項目で調子が出るといいのです・・・。
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株式投資の「嘘!」を募集します。
さあ、ゴールデン・ウィークだ!
「株式投資の本でも書こうかな」と思って、構想を練っています。
装丁は新書で、仮のタイトルは、内容に沿って決めるとすると「株式投資の常識・非常識」というくらいの感じ。実際には、「さおだけ屋・・・」ほどではなくても、もう少しインパクトのあるタイトルがいいなと、思いますが。
内容としては、株式投資についてよく言われているようなルールや原則の、間違いや、少なくとも現実に合わない場合があることを指摘しながら、全体として、①株式投資というゲームの性質、②他人と自分を共に客観的に観察することの重要性、③必勝法はないが合理的だが、精神的にやりにくい」ことをやると得をする確率が高そうなこと、などが、伝わる人には、伝わるような本にしたいと思っています(ある種の感性が欠落している人には伝わりませんが、その点は「仕方がない。でも、だから、いいのだ」と割り切って書くつもりです)。
後でカテゴリー別に何章かにまとめるとしても、株式投資の世界で「こう言われることはある」という程度の投資の原則を(なにがしか)「嘘!」として取り上げて、正しいことを説明する形で、数十項目(30個~50個)、一項目4ページから6ページくらいの四方山話を書いて、並べ合わせてみて、全体を調整する、という形で本を作るつもりです。難しい話はなるべく抜きに、気楽に、しかし陽気な辛口で、投資の世界の偉そうなバカどもを次々に笑い飛ばすような調子で書きたいと思っています。
さて、上記のような感じで書く、ということになると、先ずは、項目出しということになりますが、思いつく「嘘」(なにがしか批判が余地のあるという程度のものも含みますが)を、順序不同に並べてみます。
1)株式投資は頭脳の勝負だ
2)株式投資は情報が勝負だ
3)株式投資は博打ではない
4)実力は運用結果に表れる
5)株式投資は金持ちが勝つゲームだ
6)バブルは後になってみないと分からない
7)プロとアマには大差がある
8)IRに熱心な会社を買え
9)分散投資は非効率的だ
10)買うときには利食いの目標値段を決めよ
11)損切りが大切だ
12)長期投資でリスクは縮小する
13)エコノミストの逆を張れ
14)売買タイミングはチャートを見て考えよ
15)機関投資家が注目する株を買え
16)不祥事企業は売り
17)株式投資は売買のタイミングが勝負
18)株主優待を楽しもう
19)株式市場は「効率的」だ
20)業界の一番手銘柄を買え
21)配当こそ株主還元だ
22)デイトレードは堅実を旨としよう
23)β値の高い銘柄の期待リターンは高い
24)ドルコスト平均法は有利な投資法だ
25)CSRが優れた企業に投資しよう
26)上方修正続きの銘柄を買え
27)株式投資は努力すると上達する
28)決算発表では増益「率」が大切
29)投資銘柄数が多すぎると管理しきれない
30)M&Aは有効な成長戦略だ
31)株式投資は美人投票だ
32)アナリストの情報を効果的に利用せよ
33)明日の成長企業に投資せよ
34)株式投資は女には向かない
35)優れたビジョンを持つ経営者に投資せよ
取りあえず、この辺まで並べてみました(ちょっとくたびれました)。何れの項目についても書くことはありそうですから、書きながら他に思いつくこともあるだろうと期待して、適当にグルーピングして書き始めてもいいのでしょうが、書いてみると内容が重複する項目も幾つかありそうですし、出来不出来の問題もあるでしょうから、最低を30個と見ると、もう少し項目を挙げたいと思っています。それに、事実その通りだから仕方がないのですが、こうして眺めてみると、いかにも私が思いつきそうな項目立てで、私にとっては、今一つ新鮮味がありません。
一眠りしたり、散歩したりしながら、続きを考えるつもりですが、この株式投資ルール(格言)は「嘘くさい!」あるいは「素晴らしい!」と思われるものがあれば、ご教示下さい。加えて、インパクトのあるタイトル(書名)も募集します。
「株式投資の本でも書こうかな」と思って、構想を練っています。
装丁は新書で、仮のタイトルは、内容に沿って決めるとすると「株式投資の常識・非常識」というくらいの感じ。実際には、「さおだけ屋・・・」ほどではなくても、もう少しインパクトのあるタイトルがいいなと、思いますが。
内容としては、株式投資についてよく言われているようなルールや原則の、間違いや、少なくとも現実に合わない場合があることを指摘しながら、全体として、①株式投資というゲームの性質、②他人と自分を共に客観的に観察することの重要性、③必勝法はないが合理的だが、精神的にやりにくい」ことをやると得をする確率が高そうなこと、などが、伝わる人には、伝わるような本にしたいと思っています(ある種の感性が欠落している人には伝わりませんが、その点は「仕方がない。でも、だから、いいのだ」と割り切って書くつもりです)。
後でカテゴリー別に何章かにまとめるとしても、株式投資の世界で「こう言われることはある」という程度の投資の原則を(なにがしか)「嘘!」として取り上げて、正しいことを説明する形で、数十項目(30個~50個)、一項目4ページから6ページくらいの四方山話を書いて、並べ合わせてみて、全体を調整する、という形で本を作るつもりです。難しい話はなるべく抜きに、気楽に、しかし陽気な辛口で、投資の世界の偉そうなバカどもを次々に笑い飛ばすような調子で書きたいと思っています。
さて、上記のような感じで書く、ということになると、先ずは、項目出しということになりますが、思いつく「嘘」(なにがしか批判が余地のあるという程度のものも含みますが)を、順序不同に並べてみます。
1)株式投資は頭脳の勝負だ
2)株式投資は情報が勝負だ
3)株式投資は博打ではない
4)実力は運用結果に表れる
5)株式投資は金持ちが勝つゲームだ
6)バブルは後になってみないと分からない
7)プロとアマには大差がある
8)IRに熱心な会社を買え
9)分散投資は非効率的だ
10)買うときには利食いの目標値段を決めよ
11)損切りが大切だ
12)長期投資でリスクは縮小する
13)エコノミストの逆を張れ
14)売買タイミングはチャートを見て考えよ
15)機関投資家が注目する株を買え
16)不祥事企業は売り
17)株式投資は売買のタイミングが勝負
18)株主優待を楽しもう
19)株式市場は「効率的」だ
20)業界の一番手銘柄を買え
21)配当こそ株主還元だ
22)デイトレードは堅実を旨としよう
23)β値の高い銘柄の期待リターンは高い
24)ドルコスト平均法は有利な投資法だ
25)CSRが優れた企業に投資しよう
26)上方修正続きの銘柄を買え
27)株式投資は努力すると上達する
28)決算発表では増益「率」が大切
29)投資銘柄数が多すぎると管理しきれない
30)M&Aは有効な成長戦略だ
31)株式投資は美人投票だ
32)アナリストの情報を効果的に利用せよ
33)明日の成長企業に投資せよ
34)株式投資は女には向かない
35)優れたビジョンを持つ経営者に投資せよ
取りあえず、この辺まで並べてみました(ちょっとくたびれました)。何れの項目についても書くことはありそうですから、書きながら他に思いつくこともあるだろうと期待して、適当にグルーピングして書き始めてもいいのでしょうが、書いてみると内容が重複する項目も幾つかありそうですし、出来不出来の問題もあるでしょうから、最低を30個と見ると、もう少し項目を挙げたいと思っています。それに、事実その通りだから仕方がないのですが、こうして眺めてみると、いかにも私が思いつきそうな項目立てで、私にとっては、今一つ新鮮味がありません。
一眠りしたり、散歩したりしながら、続きを考えるつもりですが、この株式投資ルール(格言)は「嘘くさい!」あるいは「素晴らしい!」と思われるものがあれば、ご教示下さい。加えて、インパクトのあるタイトル(書名)も募集します。
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楽天・TBS問題の今後について
楽天が、TBSに対して、現在19%の保有比率のTBS株式を20%を超えて買い増す意向であること伝えたことが、さる4月19日に明らかになった。これまで、みずほ銀行が仲介に入って一服状態であった両社の問題が、1年少々前に戻った格好だ。
以下のコメントは、オープンに報道されている情報のみに基づく、私の個人的な意見と感想であり、楽天グループの見解とは些かも関係ないことを、あらかじめお断りしておく(本エントリーについては、今後、削除なり、修正なりが随時あるかも知れない)。私は本件について、楽天株式会社の三木谷社長、國重副社長とは一度も話題にしたことがないし、楽天グループ内で情報収集したこともない。ただ、私個人は、楽天証券の社員でもあり、楽天グループの利害関係者だ(楽天の一株だけの株主でもある)。意見は個人のものだが、この点ははっきりさせておく。
ボクシングの客席でいえば、いわば楽天側のリングサイド席のような場所から見ていることもあり、楽天の立場からこの問題を見ることが多いのだが、実は、「今の時期に、楽天は、TBSを20%を少し超えて買ってみるといいのではないか」と、私は、個人的に思っていた。
理由は、三つある。
(1)TBSの買収防衛策は、まだ株主総会を通っていないので、20%を超えるタイミングは、株主総会前がいい。
(2)議決権の凍結が解除されたので、株主総会で株主提案を行うと共に、他の株主の意向を問うことができる。
(3)楽天として、1000億円以上の投資をTBS株に対して持っているのに、楽天本体の業績にTBSの業績が反映しない状態は、株主にとって分かりにくい。20%を超えて、持ち分法適用会社として、連結することにメリットがある(TBSは目下業績好調である)。
楽天がTBS株を買うことが、買収防衛策の発動を正当化するような敵対行為であるとは、私には、どう考えても思えないし、裁判所もそうは思うまい。
結果的にあまり進んではいないが、業務提携を模索してきた関係であり、通知した上で、株式を買い増すことになる。また、20%の株式保有に対して、社外取締役2名の派遣を求める、というのも、大株主としては、普通のことだ。少なくとも、ここまでの段階で、TBSの株価が上がりこそすれ、TBSの企業価値は毀損されていない(そもそも大株主が企業価値の毀損を望む筈もない)。防衛策が株主総会を通っていないことでもあり、これを発動することは、法的にも認められないのではなかろうか(法律の専門的な問題は分かりませんが)。
また、企業買収問題で意見や行動が「正論」であるか否かは、少数の一般株主の立場で判断すると分かることが多いが、「我が社の株を買ってはいけない」というTBSの経営者の言い分は、TBSの一般株主にとっては、迷惑な話だし、株式を上場していることの趣旨に沿わないのではないかと思う。
株主総会で、TBSの株主が、どのような判断を下すのかは、興味深い。TBS経営陣は、6割以上の友好的安定株主を確保していると言っているようだが、TBSの株主には、機関投資家や外国人株主も多く、彼らは、株価が上がりにくくなる筈の買収防衛策を嫌うのではなかろうか。
尚、大株主であるABCマートの動向は良く分からない。少なくとも、楽天と連携しているという噂は聞かない。むしろ、TBSに恩を売りたい立場なのではないかと推測するが、私は、確たる情報を何も持っていない。
問題は、楽天がTBSの株式を20%を少々超えて持つところまではありだとして、その後にどうするか、また、どうなるか、ということだ。結論としては、現時点では分からない、と言わざるを得ないが、可能性としては、何でもありだろう。
まず、ごくごく常識的に考えて、1000億円を超えるTBS株への株式投資は、目下、かなりの評価益が出ているが、楽天にとってリスクの上でも、資金の固定という意味でも小さくない。20%を超える保有を、TBSの経営陣とその他の株主多数が嫌った場合、楽天の保有株を何らかの形で誰かが引き取るようなアレンジが決まる可能性はあるだろう。たとえば、今回もみずほ(今度は証券?)かどうかは分からないが、何らかの仲介者が、TBSの株式を持ってくれる先を(多分複数に分けて)探して、紹介する、という形が考えられる(簡単にできるなら、どうして、これまでにそうなっていなかったのか、という問題はあるが)。
楽天の保有株は、値を下げずに市場で売り抜けるには些か多すぎる。売り始めると、直ぐに楽天が売っていることが判明するだろうし、もちろんルール上、情報開示が必要だ。その場合に、TBS株は大きく値崩れするだろうから、楽天が十分な儲けを確保して、市場で売却することは難しいと思う。
楽天は、投資会社ではないし、TBS株だけに大きな投資を集中することは、合理的でもない。しかし、20%を超えて株式を保有して、業績にTBSの利益を(持ち分に応じてだが)反映させながらであれば、長期的に保有することは可能だろう。
とはいえ、高値でTBS株の引き取り手が現れるなら、楽天の財務的には、持ち株を売ってスッキリする、という選択肢はありだろうし、凡人なら、そう考える。
さて、楽天とTBSの問題を眺めている、投資銀行家がいるとすれば、どう考えるだろうか。上記のような、「凡庸な解決」に終わったのでは、ちょっと退屈である。非常識で儲かる、刺激的なディールはないか?
TBSと楽天の時価総額が目下逆転していることもあり、楽天の資金力では、TBSを過半数までは買えない、というのが、世間の声だが、果たして本当か。実は、過去一年の休戦期間中に、TBSの企業価値が大きく増えている可能性があり、仕掛けを考える上では、この点がポイントになるかも知れない。昨今の世界的な不動産ブームで、TBSが保有する赤坂の土地の価値は、相当に上がっているはずだし、まだ上昇基調と見る投資家も少なくないだろう。
単純に考えて、TBSの保有資産を担保としたレバレッジド・バイアウトは、一年前よりもやりやすくなっているはずだ。ただ、楽天が単独で借り入れ主体になるのは、やはり、相当に負担が大きいようには思える。
しかし、たとえば、ゴールドマン・サックスのような資金力のある投資銀行がお金を出すことに決めたならどうか。或いは、日本の不動産や株式(特に資産株)に投資したいと思っている投資ファンドは多いはずで、投資銀行が、ファンドを幾つか巻き込むことができれば、現在のTBSの時価総額(約8千億円)くらいの資金を調達することは十分可能だろう。もちろん、放送局の場合、外資による保有規制があるので、簡単にというわけには、行かないかも知れないが、和製のファンドもあるし、借り入れと組み合わせることも可能だ。
また、買収後に、TBSの保有不動産を証券化して売却し、これで借り入れを返済するといった仕組みも可能ではないだろうか(これは、サッポロホールディングスのような会社に対しても同様だろう)。
リスクが大きく、大掛かりなスキームなので、簡単には実現しまいが、全く不可能というわけでは無さそうだ。
仮に、こうした形になると、TBSの企業価値、或いは放送局としてのTBSはどうなるのだろうか。「企業価値」という言葉は、ファイナンス用語(負債の価値も含む)と一般の使い方が混線して曖昧な意味になってしまっているが、現在の株主にとっての「株主価値」は、かなり大きく膨らむことになるだろう。
本業は、どうか。不動産切り離し後のTBSは、たぶん、コンテンツ制作にビジネスを集中させることになるのだろうが、これも悪いことではあるまい。
もっとも、こうした買収の仕組みが可能なら、投資銀行家は、TBS側に、MBOを提案するという選択肢もある。何れにせよ、彼らは、なるべく他人にリスクを取らせながら、手数料と投資収益が上がればいいのだ。
但し、地上波の放送局ビジネスの価値がこれからどうなるのかについては、私には、よく分からない。規制業種としての寡占の利潤と、相対的ブランド価値の上で、今がピークであるような気がしないでもないし、まだまだ可能性があるのかも知れない。
今後どのように推移するにせよ、どのような経営をして、何に賭けるか、を決めるのは、その時々の株主であるべきだ、というのが、株式会社の(特に上場会社の)大原則だろう。
案外、20%を超えたところで、また膠着状態に入るのかも知れないが、今後の推移に注目したい。
以下のコメントは、オープンに報道されている情報のみに基づく、私の個人的な意見と感想であり、楽天グループの見解とは些かも関係ないことを、あらかじめお断りしておく(本エントリーについては、今後、削除なり、修正なりが随時あるかも知れない)。私は本件について、楽天株式会社の三木谷社長、國重副社長とは一度も話題にしたことがないし、楽天グループ内で情報収集したこともない。ただ、私個人は、楽天証券の社員でもあり、楽天グループの利害関係者だ(楽天の一株だけの株主でもある)。意見は個人のものだが、この点ははっきりさせておく。
ボクシングの客席でいえば、いわば楽天側のリングサイド席のような場所から見ていることもあり、楽天の立場からこの問題を見ることが多いのだが、実は、「今の時期に、楽天は、TBSを20%を少し超えて買ってみるといいのではないか」と、私は、個人的に思っていた。
理由は、三つある。
(1)TBSの買収防衛策は、まだ株主総会を通っていないので、20%を超えるタイミングは、株主総会前がいい。
(2)議決権の凍結が解除されたので、株主総会で株主提案を行うと共に、他の株主の意向を問うことができる。
(3)楽天として、1000億円以上の投資をTBS株に対して持っているのに、楽天本体の業績にTBSの業績が反映しない状態は、株主にとって分かりにくい。20%を超えて、持ち分法適用会社として、連結することにメリットがある(TBSは目下業績好調である)。
楽天がTBS株を買うことが、買収防衛策の発動を正当化するような敵対行為であるとは、私には、どう考えても思えないし、裁判所もそうは思うまい。
結果的にあまり進んではいないが、業務提携を模索してきた関係であり、通知した上で、株式を買い増すことになる。また、20%の株式保有に対して、社外取締役2名の派遣を求める、というのも、大株主としては、普通のことだ。少なくとも、ここまでの段階で、TBSの株価が上がりこそすれ、TBSの企業価値は毀損されていない(そもそも大株主が企業価値の毀損を望む筈もない)。防衛策が株主総会を通っていないことでもあり、これを発動することは、法的にも認められないのではなかろうか(法律の専門的な問題は分かりませんが)。
また、企業買収問題で意見や行動が「正論」であるか否かは、少数の一般株主の立場で判断すると分かることが多いが、「我が社の株を買ってはいけない」というTBSの経営者の言い分は、TBSの一般株主にとっては、迷惑な話だし、株式を上場していることの趣旨に沿わないのではないかと思う。
株主総会で、TBSの株主が、どのような判断を下すのかは、興味深い。TBS経営陣は、6割以上の友好的安定株主を確保していると言っているようだが、TBSの株主には、機関投資家や外国人株主も多く、彼らは、株価が上がりにくくなる筈の買収防衛策を嫌うのではなかろうか。
尚、大株主であるABCマートの動向は良く分からない。少なくとも、楽天と連携しているという噂は聞かない。むしろ、TBSに恩を売りたい立場なのではないかと推測するが、私は、確たる情報を何も持っていない。
問題は、楽天がTBSの株式を20%を少々超えて持つところまではありだとして、その後にどうするか、また、どうなるか、ということだ。結論としては、現時点では分からない、と言わざるを得ないが、可能性としては、何でもありだろう。
まず、ごくごく常識的に考えて、1000億円を超えるTBS株への株式投資は、目下、かなりの評価益が出ているが、楽天にとってリスクの上でも、資金の固定という意味でも小さくない。20%を超える保有を、TBSの経営陣とその他の株主多数が嫌った場合、楽天の保有株を何らかの形で誰かが引き取るようなアレンジが決まる可能性はあるだろう。たとえば、今回もみずほ(今度は証券?)かどうかは分からないが、何らかの仲介者が、TBSの株式を持ってくれる先を(多分複数に分けて)探して、紹介する、という形が考えられる(簡単にできるなら、どうして、これまでにそうなっていなかったのか、という問題はあるが)。
楽天の保有株は、値を下げずに市場で売り抜けるには些か多すぎる。売り始めると、直ぐに楽天が売っていることが判明するだろうし、もちろんルール上、情報開示が必要だ。その場合に、TBS株は大きく値崩れするだろうから、楽天が十分な儲けを確保して、市場で売却することは難しいと思う。
楽天は、投資会社ではないし、TBS株だけに大きな投資を集中することは、合理的でもない。しかし、20%を超えて株式を保有して、業績にTBSの利益を(持ち分に応じてだが)反映させながらであれば、長期的に保有することは可能だろう。
とはいえ、高値でTBS株の引き取り手が現れるなら、楽天の財務的には、持ち株を売ってスッキリする、という選択肢はありだろうし、凡人なら、そう考える。
さて、楽天とTBSの問題を眺めている、投資銀行家がいるとすれば、どう考えるだろうか。上記のような、「凡庸な解決」に終わったのでは、ちょっと退屈である。非常識で儲かる、刺激的なディールはないか?
TBSと楽天の時価総額が目下逆転していることもあり、楽天の資金力では、TBSを過半数までは買えない、というのが、世間の声だが、果たして本当か。実は、過去一年の休戦期間中に、TBSの企業価値が大きく増えている可能性があり、仕掛けを考える上では、この点がポイントになるかも知れない。昨今の世界的な不動産ブームで、TBSが保有する赤坂の土地の価値は、相当に上がっているはずだし、まだ上昇基調と見る投資家も少なくないだろう。
単純に考えて、TBSの保有資産を担保としたレバレッジド・バイアウトは、一年前よりもやりやすくなっているはずだ。ただ、楽天が単独で借り入れ主体になるのは、やはり、相当に負担が大きいようには思える。
しかし、たとえば、ゴールドマン・サックスのような資金力のある投資銀行がお金を出すことに決めたならどうか。或いは、日本の不動産や株式(特に資産株)に投資したいと思っている投資ファンドは多いはずで、投資銀行が、ファンドを幾つか巻き込むことができれば、現在のTBSの時価総額(約8千億円)くらいの資金を調達することは十分可能だろう。もちろん、放送局の場合、外資による保有規制があるので、簡単にというわけには、行かないかも知れないが、和製のファンドもあるし、借り入れと組み合わせることも可能だ。
また、買収後に、TBSの保有不動産を証券化して売却し、これで借り入れを返済するといった仕組みも可能ではないだろうか(これは、サッポロホールディングスのような会社に対しても同様だろう)。
リスクが大きく、大掛かりなスキームなので、簡単には実現しまいが、全く不可能というわけでは無さそうだ。
仮に、こうした形になると、TBSの企業価値、或いは放送局としてのTBSはどうなるのだろうか。「企業価値」という言葉は、ファイナンス用語(負債の価値も含む)と一般の使い方が混線して曖昧な意味になってしまっているが、現在の株主にとっての「株主価値」は、かなり大きく膨らむことになるだろう。
本業は、どうか。不動産切り離し後のTBSは、たぶん、コンテンツ制作にビジネスを集中させることになるのだろうが、これも悪いことではあるまい。
もっとも、こうした買収の仕組みが可能なら、投資銀行家は、TBS側に、MBOを提案するという選択肢もある。何れにせよ、彼らは、なるべく他人にリスクを取らせながら、手数料と投資収益が上がればいいのだ。
但し、地上波の放送局ビジネスの価値がこれからどうなるのかについては、私には、よく分からない。規制業種としての寡占の利潤と、相対的ブランド価値の上で、今がピークであるような気がしないでもないし、まだまだ可能性があるのかも知れない。
今後どのように推移するにせよ、どのような経営をして、何に賭けるか、を決めるのは、その時々の株主であるべきだ、というのが、株式会社の(特に上場会社の)大原則だろう。
案外、20%を超えたところで、また膠着状態に入るのかも知れないが、今後の推移に注目したい。
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日興コーディアルグループ上場維持の決定に思うこと
東証は、大方の予想に反して、日興コーディアルグループの株式の上場を維持することを決め、同銘柄を、管理ポストから元に戻した。この問題については、他の媒体に改めて書くことがあるかも知れないのだが、今の時点で、幾つか気付いた点を述べておく。
東証は、「組織的な不正であったことの確証が持てない」という理由で上場維持の決定を説明している。また、有価証券報告書の訂正額が、上場廃止に当たるほどではない、とも述べている。
(1)しかし、先ず、金融庁の指摘をすんなり認め、課徴金5億円を支払った時点で、日興コーディアルグループは十分クロと判断してもいいのではなかろうか。どのみち確証に辿り着きようのない調査で、余計な時間を費やさなくとも、日興コーディアルグループに一度だけ弁明の機会を与えて、これでシロと立証できなければ、即刻、「整理ポスト」(上場廃止銘柄をしばらく取引する場所)で良かったはずだ。
上場は、証券取引所が、広く一般の投資家に対して、データを信用して、取引しても大丈夫ですよ、という判断を提供し、取引の場を与えることだ。「グレーであって、クロとまでは言えないから、上場維持」ではなくて、「グレーであって、シロとの確信が持てないから、一般投資家の売買対象にはできないので、上場廃止」というのが正しい論理である。
東証は、捜査機関ではないし、会社の中まで踏み込む気などないのだから、東証が独自の調査で、上場会社をクロと認定することは、所詮難しい。ライブドアのように、経営者が代わって「悪うございました」と認めない限り、確信を持って上場廃止にすることは出来ないだろう。
しかも、上記のように、上場ということの意味を考えると、東証にクロの立証責任があるのではなく、日興コーディアルグループにシロの立証責任がある、と考えることが、妥当だろう。
そもそも、日興コーディアルグループが、今上場申請したとして、この会社の上場を認めたかどうか、と考えると、妥当な結論は明らかだろう。
(2)決算修正額もライブドアの数倍あるし、日興の方が、時価総額は大きいし、市場との関わりの深い証券会社でもある。社会的影響は比べものにならないくらい日興の方が大きいし、粉飾の罪は重いと考えるのが妥当だろう。しかも、マザーズなどというそもそもが鉄火場から外されたライブドアと、東証一部に堂々と残る日興コーディアルグループという両者のコントラストは異様でさえある。
(3)日興コーディアルグループについては、なぜ旧経営陣の刑事責任について、検察が動かないのか、不思議だ。たとえば、前社長の有村氏の場合、ご本人にとっては端金(はしたがね)だったかも知れないが、実質的に損得ゼロの子会社と孫会社のやりとりを利益だけ計上することで、彼の報酬が数千万円増えている。会社が作った特別委員会による調査でも、少なくとも、彼は、このスキームの全貌を知りうる立場にあった訳で、グループの経済実体として実質的に儲かっていないディールから、報酬を取ったのだから、粉飾決算の責任以外に、背任が成立する可能性もあるのではなかろうか。
もちろん、彼らにも人権はあり、刑事責任の有無については慎重に判断する必要があるが、社会的な影響の大きさと証券会社の重要性に鑑みて、この問題に検察のメスが入らないことについては、違和感を憶える。
もちろん、これらの他にも、ジャーナリストの町田徹氏が指摘するような、ベルシステム24の株式を買収した後の会計処理に不適切な部分があるのではないか、という問題など、多くの問題が未解明で残っている。これだけ、不透明な会社が、証券市場を担っていていいのだろうか。
(4)2月28日に「日興、上場廃止へ」と一面トップに記事を載せた日経は、今日の朝刊で、「本紙『日興、上場廃止へ』の報道の経緯」という説明記事を載せている。
東証幹部の「財務責任者が不正会計に関与しているなら十分組織的」という談話、別の東証幹部の「多くの法律家の意見をとったが、全部が上場廃止だった」という談話、「行政当局筋」が「廃止の方向は覆らない」と述べたことなどから、「以上のような取材をもとに本紙は上場廃止について十分な根拠を得たため」報道に至ったと述べている。
しかし、はっきり言うが、「十分な根拠を得た」というのは、嘘だ(現実が証明している)。これで、上場廃止は将来も動かない既成事実だというのは、日経の判断であり、東証の機関決定など動かぬ証拠による事実ではない。
日経に限らず、日本のメディアには、取材して自分達が根拠を得たと思えば、それを「事実」として報じていい、という大いなる勘違いがあるが、事実として報じていいのは、東証幹部の談話、行政当局(金融庁?)の目下の判断、法律専門家の意見、ということの筈であって、ここで明かせるような根拠も示さずに、「上場廃止へ」ともう動かぬ事実のように報じることは、報道としても本来は半人前だし、「驕り」と言ってもいいのではなかろうか。
1月の「日銀利上げへ」という朝日新聞の同じような誤報があったばかりでもあるが、新聞には、せめて、「事実」と「観測(予想)」のちがいが分かるように書くことを求めたいし、取材ソースとの問題もあろうが、記事の根拠をもう少しきちんと書きたい、という気持ちを持って欲しい。
今さら、自分がヤバくなってから、「東証幹部」だの「当局筋」だのとソースを明かすのは、卑怯で見苦しいのではないか。
「誤報でした」と正直に謝って、今後の記事の書き方について、方針を述べる方が、新聞に対する信頼度ははるかに改善するに違いない。
(5)何紙かが既に報じているが、シティの価格1350円によるTOBは、上場維持で成立しにくくなった。たぶん、シティに逃げ込みたいと思っている新旧経営陣にとっても、シティにとっても、今回の決定は痛し痒しで、「見物」はまだ続く。
(6)家に帰ってみると、3月13日の「東京新聞」の11面には、4人の論者のコメントが顔写真入りの表になって掲載されており、私のコメントも掲載されていた。
表は上場維持決定に対する○×△の形だったが、他のお三方は、お一人が「世論に負けて上場廃止すれば、かえって不透明になる。正しい判断だ」で○、お二人が「信頼を損なう行為があったが、上場廃止なら見せしめとも受け取れる。難しい判断だ」、「意外感はあるが、刑事事件になっていないなど上場廃止の検討には微妙な点があった」で△、私は「与えた社会的影響の大きさなどからすると、かなり違和感がある判断だ」と述べて、「どちらかといえば」という注釈付きで×、と表には掲載されている。
12日の夕方に上場維持の決定を知り、東証が一体何を言っているのか分からなかったので、スッキリとコメント出来なかったし、「どちらかといえば」という冴えない注釈を付けてもらった。だが、△のお二人のコメントには、「常識的には×だろう・・・」という認識が滲んでおり、私は、一応、正直率直にモノを言った、という印象になっているので、内容的には満足でないが、これはその時の私の答え方が不十分だったのであり、取り上げられ方は良かったと思っている。(東京新聞さん、ありがとう!)
(7)一部で報道されているように、この決定に、政治的圧力があったのか、というようなことについては、私は、直接取材している訳ではないので、よく分からない。そうであっても、なくても、上場維持という決定は不適切だったと思う。
東証は、「組織的な不正であったことの確証が持てない」という理由で上場維持の決定を説明している。また、有価証券報告書の訂正額が、上場廃止に当たるほどではない、とも述べている。
(1)しかし、先ず、金融庁の指摘をすんなり認め、課徴金5億円を支払った時点で、日興コーディアルグループは十分クロと判断してもいいのではなかろうか。どのみち確証に辿り着きようのない調査で、余計な時間を費やさなくとも、日興コーディアルグループに一度だけ弁明の機会を与えて、これでシロと立証できなければ、即刻、「整理ポスト」(上場廃止銘柄をしばらく取引する場所)で良かったはずだ。
上場は、証券取引所が、広く一般の投資家に対して、データを信用して、取引しても大丈夫ですよ、という判断を提供し、取引の場を与えることだ。「グレーであって、クロとまでは言えないから、上場維持」ではなくて、「グレーであって、シロとの確信が持てないから、一般投資家の売買対象にはできないので、上場廃止」というのが正しい論理である。
東証は、捜査機関ではないし、会社の中まで踏み込む気などないのだから、東証が独自の調査で、上場会社をクロと認定することは、所詮難しい。ライブドアのように、経営者が代わって「悪うございました」と認めない限り、確信を持って上場廃止にすることは出来ないだろう。
しかも、上記のように、上場ということの意味を考えると、東証にクロの立証責任があるのではなく、日興コーディアルグループにシロの立証責任がある、と考えることが、妥当だろう。
そもそも、日興コーディアルグループが、今上場申請したとして、この会社の上場を認めたかどうか、と考えると、妥当な結論は明らかだろう。
(2)決算修正額もライブドアの数倍あるし、日興の方が、時価総額は大きいし、市場との関わりの深い証券会社でもある。社会的影響は比べものにならないくらい日興の方が大きいし、粉飾の罪は重いと考えるのが妥当だろう。しかも、マザーズなどというそもそもが鉄火場から外されたライブドアと、東証一部に堂々と残る日興コーディアルグループという両者のコントラストは異様でさえある。
(3)日興コーディアルグループについては、なぜ旧経営陣の刑事責任について、検察が動かないのか、不思議だ。たとえば、前社長の有村氏の場合、ご本人にとっては端金(はしたがね)だったかも知れないが、実質的に損得ゼロの子会社と孫会社のやりとりを利益だけ計上することで、彼の報酬が数千万円増えている。会社が作った特別委員会による調査でも、少なくとも、彼は、このスキームの全貌を知りうる立場にあった訳で、グループの経済実体として実質的に儲かっていないディールから、報酬を取ったのだから、粉飾決算の責任以外に、背任が成立する可能性もあるのではなかろうか。
もちろん、彼らにも人権はあり、刑事責任の有無については慎重に判断する必要があるが、社会的な影響の大きさと証券会社の重要性に鑑みて、この問題に検察のメスが入らないことについては、違和感を憶える。
もちろん、これらの他にも、ジャーナリストの町田徹氏が指摘するような、ベルシステム24の株式を買収した後の会計処理に不適切な部分があるのではないか、という問題など、多くの問題が未解明で残っている。これだけ、不透明な会社が、証券市場を担っていていいのだろうか。
(4)2月28日に「日興、上場廃止へ」と一面トップに記事を載せた日経は、今日の朝刊で、「本紙『日興、上場廃止へ』の報道の経緯」という説明記事を載せている。
東証幹部の「財務責任者が不正会計に関与しているなら十分組織的」という談話、別の東証幹部の「多くの法律家の意見をとったが、全部が上場廃止だった」という談話、「行政当局筋」が「廃止の方向は覆らない」と述べたことなどから、「以上のような取材をもとに本紙は上場廃止について十分な根拠を得たため」報道に至ったと述べている。
しかし、はっきり言うが、「十分な根拠を得た」というのは、嘘だ(現実が証明している)。これで、上場廃止は将来も動かない既成事実だというのは、日経の判断であり、東証の機関決定など動かぬ証拠による事実ではない。
日経に限らず、日本のメディアには、取材して自分達が根拠を得たと思えば、それを「事実」として報じていい、という大いなる勘違いがあるが、事実として報じていいのは、東証幹部の談話、行政当局(金融庁?)の目下の判断、法律専門家の意見、ということの筈であって、ここで明かせるような根拠も示さずに、「上場廃止へ」ともう動かぬ事実のように報じることは、報道としても本来は半人前だし、「驕り」と言ってもいいのではなかろうか。
1月の「日銀利上げへ」という朝日新聞の同じような誤報があったばかりでもあるが、新聞には、せめて、「事実」と「観測(予想)」のちがいが分かるように書くことを求めたいし、取材ソースとの問題もあろうが、記事の根拠をもう少しきちんと書きたい、という気持ちを持って欲しい。
今さら、自分がヤバくなってから、「東証幹部」だの「当局筋」だのとソースを明かすのは、卑怯で見苦しいのではないか。
「誤報でした」と正直に謝って、今後の記事の書き方について、方針を述べる方が、新聞に対する信頼度ははるかに改善するに違いない。
(5)何紙かが既に報じているが、シティの価格1350円によるTOBは、上場維持で成立しにくくなった。たぶん、シティに逃げ込みたいと思っている新旧経営陣にとっても、シティにとっても、今回の決定は痛し痒しで、「見物」はまだ続く。
(6)家に帰ってみると、3月13日の「東京新聞」の11面には、4人の論者のコメントが顔写真入りの表になって掲載されており、私のコメントも掲載されていた。
表は上場維持決定に対する○×△の形だったが、他のお三方は、お一人が「世論に負けて上場廃止すれば、かえって不透明になる。正しい判断だ」で○、お二人が「信頼を損なう行為があったが、上場廃止なら見せしめとも受け取れる。難しい判断だ」、「意外感はあるが、刑事事件になっていないなど上場廃止の検討には微妙な点があった」で△、私は「与えた社会的影響の大きさなどからすると、かなり違和感がある判断だ」と述べて、「どちらかといえば」という注釈付きで×、と表には掲載されている。
12日の夕方に上場維持の決定を知り、東証が一体何を言っているのか分からなかったので、スッキリとコメント出来なかったし、「どちらかといえば」という冴えない注釈を付けてもらった。だが、△のお二人のコメントには、「常識的には×だろう・・・」という認識が滲んでおり、私は、一応、正直率直にモノを言った、という印象になっているので、内容的には満足でないが、これはその時の私の答え方が不十分だったのであり、取り上げられ方は良かったと思っている。(東京新聞さん、ありがとう!)
(7)一部で報道されているように、この決定に、政治的圧力があったのか、というようなことについては、私は、直接取材している訳ではないので、よく分からない。そうであっても、なくても、上場維持という決定は不適切だったと思う。
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「世界同時株安」についてのメモ
株価は今日(3月5日)も大きく下げています。今回の「世界同時株安」について、私は、商売柄、原稿を書いたり、コメントしたり、ということが複数あります。同じ事は、なるべく書きたくはありませんが、あちらこちらに話が散らかっているので、現時点までに思いついたことを幾つかメモしておきます。
(1)今日配信のJMMにも書きましたが、日銀は(岩田副総裁を除く8人の政策委員は)、動きが急であることにドキドキしつつも、この株価暴落に満足でしょう。インフレ率がほぼゼロ、失業率が4%、GDPは均すと約2%くらい、という時に、利上げを急ぐ理由は、「円キャリー取引拡大を抑制すると共に資産価格を抑える」といった目的以外にはあり得ません。資産価格は、株価で見る限り、「安くはないが正常の範囲」でしたし、物価がマイナスになってデフレ期待が再台頭するリスクを冒してまで、利上げすることは不適切だった、というのが、2月の利上げに対する私の評価です。金融政策は、物価・景気・資産価格それぞれに影響するのは事実なので、資産市場にも目配りすることがあっていいとは思いますが、今回は、「物価」の方を重視すべきだったのではないでしょうか。(詳しくは、今日配信のJMMをご一読下さい)
(2)同時株安の発生に当たっては、上海は「気づき」のきっかけであって、米・日に対する(特に米に対する)それまでの異常な楽観の修正が起こったことが大きかったと思います。「上海市場で円キャリー取引の巻き戻しが起こった」というような乱暴な解説もありましたが、上海は地元の個人投資家中心の市場ですし、この説明には無理があったと思います。
(3)コメントといえば、拙宅に配達される新聞6紙をチェックしたところ、28日の夕刊と翌日の朝刊、4紙にコメントしているさるエコノミスト(日系証券です)は、4紙全てでバラバラなコメントをしていました。あまりに面白いので、「週刊ダイヤモンド」のコラムに書きました(再来週初発売の号に掲載の順番)。よく分かっていないのに、職業上コメントしてしまったのでしょうが、「ああならないように、気をつけねば」と思ったことでありました。もっとも、投資家は、彼のコメントも、私のコメントも、信じてはダメです。
(4)「投げ」の連鎖もあって、日本の株価は大きく下げていますが、基本的に、「世界の」という言葉は付きますが、株式市場内部で起こっていることにすぎません。東証一部は、PERでざっと20倍、つまり益利回りが5%なら、成長率を2%として、年率7%程度の「期待リターン」を持てる株価水準であり、これは、1.6%台の長期金利に対して、5%以上の余裕があります。「高すぎる株価の下でのショック」ということではないので、普通の投資家は、持ち株を売る必要はないでしょうし、むしろ、買いたかった株が値下がりしていれば買うチャンスを提供してくれたと考えていい可能性が大きいと思います(責任は持ちませんが)。
(5)「円キャリーの巻き戻し」が起きるのであれば、これは、アンインフォメーショナル(情報に基づくのではない)「売り」ですから、理屈上は、益々買いのチャンスです。まだ本格的には起こっていない感じですが、楽しみにしましょう(!)。但し、円高の影響は考える必要があるので、自動車・電気・精密といったこれまで元気だった輸出企業はイマイチかも知れません。
(6)この暴落は予想できたか?と言われると、「いつとは分からないが、なんとなく、そんな心配はあった」という気がしていました。23日金曜日の「とくダネ!」で、1万8千円に乗せた株価についてコメントを求められて、「波乱の可能性も」とフリップに書いて、ネガティブな材料を並べたコメントをしましたが、勿論、翌週にこんなに下がると思っていたわけではありません。尚、「とくダネ!」はなかなか懐の深い番組で、コメントには、「私も含めて、こういうことにコメントする専門家の予想なんて当たりません」と「一番言いたいこと」を付け加えることができました。ただ、日銀の利上げに対して、このネガティブな可能性を敢えて無視するように株価が上がったことや、方々の雑誌から株式投資入門特集の取材依頼があったので、何やら気配が浮ついている、という嫌な感じはありました。
(新聞社系の某誌からは、「株価はまだまだ強いという前提で、株式投資のガイダンスを」という依頼がありましたが、そんな前提を決めつけて話を聞きに来るのは失礼だし、その前提でいい加減なコメンテーターと一緒に(4人並べる予定だったそうです)載るのは商売上もマイナスだろうと判断して、この取材は断りました。)
(1)今日配信のJMMにも書きましたが、日銀は(岩田副総裁を除く8人の政策委員は)、動きが急であることにドキドキしつつも、この株価暴落に満足でしょう。インフレ率がほぼゼロ、失業率が4%、GDPは均すと約2%くらい、という時に、利上げを急ぐ理由は、「円キャリー取引拡大を抑制すると共に資産価格を抑える」といった目的以外にはあり得ません。資産価格は、株価で見る限り、「安くはないが正常の範囲」でしたし、物価がマイナスになってデフレ期待が再台頭するリスクを冒してまで、利上げすることは不適切だった、というのが、2月の利上げに対する私の評価です。金融政策は、物価・景気・資産価格それぞれに影響するのは事実なので、資産市場にも目配りすることがあっていいとは思いますが、今回は、「物価」の方を重視すべきだったのではないでしょうか。(詳しくは、今日配信のJMMをご一読下さい)
(2)同時株安の発生に当たっては、上海は「気づき」のきっかけであって、米・日に対する(特に米に対する)それまでの異常な楽観の修正が起こったことが大きかったと思います。「上海市場で円キャリー取引の巻き戻しが起こった」というような乱暴な解説もありましたが、上海は地元の個人投資家中心の市場ですし、この説明には無理があったと思います。
(3)コメントといえば、拙宅に配達される新聞6紙をチェックしたところ、28日の夕刊と翌日の朝刊、4紙にコメントしているさるエコノミスト(日系証券です)は、4紙全てでバラバラなコメントをしていました。あまりに面白いので、「週刊ダイヤモンド」のコラムに書きました(再来週初発売の号に掲載の順番)。よく分かっていないのに、職業上コメントしてしまったのでしょうが、「ああならないように、気をつけねば」と思ったことでありました。もっとも、投資家は、彼のコメントも、私のコメントも、信じてはダメです。
(4)「投げ」の連鎖もあって、日本の株価は大きく下げていますが、基本的に、「世界の」という言葉は付きますが、株式市場内部で起こっていることにすぎません。東証一部は、PERでざっと20倍、つまり益利回りが5%なら、成長率を2%として、年率7%程度の「期待リターン」を持てる株価水準であり、これは、1.6%台の長期金利に対して、5%以上の余裕があります。「高すぎる株価の下でのショック」ということではないので、普通の投資家は、持ち株を売る必要はないでしょうし、むしろ、買いたかった株が値下がりしていれば買うチャンスを提供してくれたと考えていい可能性が大きいと思います(責任は持ちませんが)。
(5)「円キャリーの巻き戻し」が起きるのであれば、これは、アンインフォメーショナル(情報に基づくのではない)「売り」ですから、理屈上は、益々買いのチャンスです。まだ本格的には起こっていない感じですが、楽しみにしましょう(!)。但し、円高の影響は考える必要があるので、自動車・電気・精密といったこれまで元気だった輸出企業はイマイチかも知れません。
(6)この暴落は予想できたか?と言われると、「いつとは分からないが、なんとなく、そんな心配はあった」という気がしていました。23日金曜日の「とくダネ!」で、1万8千円に乗せた株価についてコメントを求められて、「波乱の可能性も」とフリップに書いて、ネガティブな材料を並べたコメントをしましたが、勿論、翌週にこんなに下がると思っていたわけではありません。尚、「とくダネ!」はなかなか懐の深い番組で、コメントには、「私も含めて、こういうことにコメントする専門家の予想なんて当たりません」と「一番言いたいこと」を付け加えることができました。ただ、日銀の利上げに対して、このネガティブな可能性を敢えて無視するように株価が上がったことや、方々の雑誌から株式投資入門特集の取材依頼があったので、何やら気配が浮ついている、という嫌な感じはありました。
(新聞社系の某誌からは、「株価はまだまだ強いという前提で、株式投資のガイダンスを」という依頼がありましたが、そんな前提を決めつけて話を聞きに来るのは失礼だし、その前提でいい加減なコメンテーターと一緒に(4人並べる予定だったそうです)載るのは商売上もマイナスだろうと判断して、この取材は断りました。)
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持ち家か、賃貸か
家は買うのがいいか、賃貸がいいか、について取り上げる約束であった。
基本的には、家の値段が十分に安いか、或いは安くないか、による、としか、言いようがない。先日、朝日新聞の取材に答えた時にも、基本的な意見はそういうことだった。問題は、家の値段をどう判断するかだが、賃貸物件として考えた時に十分に客が付くし、自分が払ってもいい家賃の見込み収入から、税金も含めて諸経費を引いて、実質利回りを計算して、せいぜい8%までで、それ以下の利回りになるようなら、価格が高い、というのが私の感覚だ。
マンションのセールスマンがよく言うような、「持ち家は、お金を払ううちに自分のものになるけれども、賃貸はいくらお金を払っても自分のものにならない」という、自分のものに「なる・ならない」という二分法にごまかされるのは、賢くない。(バブルの頃は、ファンドマネジャーでも、この点が分からない人が、結構居たのだが・・・)
株式に投資する場合の、機関投資家の期待リターンは計画ベースでだいたい7-8%(長期金利プラス5-6%のリスク・プレミアム)である。これは、分散投資された、年率の標準偏差で見て、15%-20%くらいのリスクを前提とし、換金の流動性にはほぼ問題はない、という前提での期待リターンだ。
不動産全体の価格の変動性の統計は手頃なものが存在しないが、過去十数年のデータを、東京中央三区のオフィス価格のボラティリティーで見て、株式よりも少し低いくらいの数値だったと思う。ただし、自宅不動産の場合は、何町の何丁目、何番地という特定の物件であり、分散投資できないので、実質的なリスクは小さくないと見なければならないし、売ろうとしたときのコスト、つまり流動性の問題もあるので、資金の効率として、8%くらいには回っていて欲しい、というのが私の「感じ」である。
自宅として自分が住む場合は特別かどうかだが、これは、自分が店子だと考えるといい。当面、確実に住んでくれるお客さんがいるというのは強みだが、後述のように、後から事情が変わると、これは、自分にとっての重荷になる。
加えて、住宅ローンの利用にも問題がある。マンションのようなものの場合、家の価格にはざっと3割程度の利益部分が乗っていると見ていいと思うが、この他に、ローン金利のスプレッド部分(その時の金利情勢に見合った金利が問題なのではなく、銀行の儲けとなるスプレッド部分の現在価値が、自分にとっての「損」だ)が問題であり、条件にもよるが、全額ローンで考えると、購入金額の2割くらいになるのではなかろうか(固定金利ローンのスプレッドが2%あるとして、徐々に元本が減るとしても、20-35年のローンのスプレッドは大きい。また、保証料や生命保険料のような出費もある)。
また、資産運用の一環として、キャッシュで買えるならいいが、ローンを負ってまで自宅を買った状態は、負債を持ってバランスシートを膨らませて、しかも、資産の大半を「ある住宅」という一資産に投資した、何とも危うい財務状態となる。家に株式並みのリスクがある、ということを考えると、株式投資で言えば、超長期の信用取引をしている状態に近い。株なら心配で、家なら安心、というのは、後者の価格変動を毎日見るわけではないから、というだけのことであって、経済的には錯覚だ。
一方、賃貸住宅の家賃にも、大家の利益分が乗っているし、大まかな市場原理が働いているとすれば、賃貸で住むか、家を買うかによって、時々の相場による得失はあるとしても、大きな損得は、いい加減のバランスに落ち着くと考えることは出来る。従って、ローンを負わなければ家を買えないような、分不相応な家計は別として、資産の中の一部が不動産になるような家計が、持ち家を買うことは、大筋としては構わないだろう。
但し、「時々の相場による得失」を考えると、たとえば、首都圏のマンションは、どう見ても供給過剰ではなかったかと思えるし、今後の人口動態を考えると、不動産価格に対して強気になれない。個人的には、将来、都心のマンション価格が下がった時に、お金があれば(あって欲しいが!)、買えばいいかも知れないと思っている。
また、朝日新聞のインタビューで私が強調したのは、買うか・借りるか、で損得無しと考えるとした場合、賃貸の方が、ライフスタイルや、働き方・働く場所の変化に対応しやすいということだ。主に、生活の自由度の拡大と、変化への対応、という意味で、賃貸暮らしに優れた面がある、というのが、私の意見のポイントだった。
「場所」ということだけ考えても、たとえば、通勤時間が一時間余計に時間が掛かるということは、仮に時給が5千円の人であれば、一日に1万円の損であり、月間の損失は20万円以上に及ぶ(通勤電車がお好きでも、この半分くらいは損をしていると考える方がいいだろうと思う。もっと厳密に生産性を考えると、時給の倍くらいの損をしていると考えないと、ビジネスマンとしては物足りない)。
他方、賃貸の物件には、家族の事情に合った間取りの、程良いものがなかなか無いとか、家を住みやすく改造する事が難しいといった、不自由はある。自分は市役所にでも勤めていて、転勤も転職も心配や意志がなく、子供の学校も近所で問題ない、といった超安定的な家族の場合、価格にもよるが、持ち家に対していくらか積極的になってもいいだろう(私には、幾らか退屈な人生に思えるが、この点の好みは、人それぞれだ)。
しかし、若い頃と、家族が増えてからでは、住みたい場所や、住みたい家の構造も違うだろう。多くの人が私ほど転職しないとしても、転勤もあれば、転職もあろうし、家族の事情によって、住んで便利な場所は変化する事が多い。この点で、心配なのは、働く独身女性のマンション購入だ。後から、家族構成が変わることもあるだろうに、ローンでマンションなど買って大丈夫か、と思う。
価格を筆頭とする物件の個別事情にもよるし、個人の事情にもよるが、日本の場合、これまでの持ち家推進の国策もあって、高い価格で、分不相応に、家を持ってしまい、その結果、財務的にも、人生設計上も、負担になっている人が多いのではないだろうか。
些か刺激的な言い方になるが、家を買うぐらいしか、自分で決められる大きな意志決定が無いのかも知れないが、「人生、もっと面白いことはないの?」と言ってやりたくなるような、持ち家の奴隷が少なくない。もっと身軽に生きる方が、よさそうなものに思えるのだが。
(注:上記は、ある読者のリクエストにお応えして、私の「一般論としての意見」を述べたもので、個々の方の人生や住宅にケチを付けることを目的として書いたものではありません。念のため、感情的になりませんように、とご注意申し上げて置きます)
基本的には、家の値段が十分に安いか、或いは安くないか、による、としか、言いようがない。先日、朝日新聞の取材に答えた時にも、基本的な意見はそういうことだった。問題は、家の値段をどう判断するかだが、賃貸物件として考えた時に十分に客が付くし、自分が払ってもいい家賃の見込み収入から、税金も含めて諸経費を引いて、実質利回りを計算して、せいぜい8%までで、それ以下の利回りになるようなら、価格が高い、というのが私の感覚だ。
マンションのセールスマンがよく言うような、「持ち家は、お金を払ううちに自分のものになるけれども、賃貸はいくらお金を払っても自分のものにならない」という、自分のものに「なる・ならない」という二分法にごまかされるのは、賢くない。(バブルの頃は、ファンドマネジャーでも、この点が分からない人が、結構居たのだが・・・)
株式に投資する場合の、機関投資家の期待リターンは計画ベースでだいたい7-8%(長期金利プラス5-6%のリスク・プレミアム)である。これは、分散投資された、年率の標準偏差で見て、15%-20%くらいのリスクを前提とし、換金の流動性にはほぼ問題はない、という前提での期待リターンだ。
不動産全体の価格の変動性の統計は手頃なものが存在しないが、過去十数年のデータを、東京中央三区のオフィス価格のボラティリティーで見て、株式よりも少し低いくらいの数値だったと思う。ただし、自宅不動産の場合は、何町の何丁目、何番地という特定の物件であり、分散投資できないので、実質的なリスクは小さくないと見なければならないし、売ろうとしたときのコスト、つまり流動性の問題もあるので、資金の効率として、8%くらいには回っていて欲しい、というのが私の「感じ」である。
自宅として自分が住む場合は特別かどうかだが、これは、自分が店子だと考えるといい。当面、確実に住んでくれるお客さんがいるというのは強みだが、後述のように、後から事情が変わると、これは、自分にとっての重荷になる。
加えて、住宅ローンの利用にも問題がある。マンションのようなものの場合、家の価格にはざっと3割程度の利益部分が乗っていると見ていいと思うが、この他に、ローン金利のスプレッド部分(その時の金利情勢に見合った金利が問題なのではなく、銀行の儲けとなるスプレッド部分の現在価値が、自分にとっての「損」だ)が問題であり、条件にもよるが、全額ローンで考えると、購入金額の2割くらいになるのではなかろうか(固定金利ローンのスプレッドが2%あるとして、徐々に元本が減るとしても、20-35年のローンのスプレッドは大きい。また、保証料や生命保険料のような出費もある)。
また、資産運用の一環として、キャッシュで買えるならいいが、ローンを負ってまで自宅を買った状態は、負債を持ってバランスシートを膨らませて、しかも、資産の大半を「ある住宅」という一資産に投資した、何とも危うい財務状態となる。家に株式並みのリスクがある、ということを考えると、株式投資で言えば、超長期の信用取引をしている状態に近い。株なら心配で、家なら安心、というのは、後者の価格変動を毎日見るわけではないから、というだけのことであって、経済的には錯覚だ。
一方、賃貸住宅の家賃にも、大家の利益分が乗っているし、大まかな市場原理が働いているとすれば、賃貸で住むか、家を買うかによって、時々の相場による得失はあるとしても、大きな損得は、いい加減のバランスに落ち着くと考えることは出来る。従って、ローンを負わなければ家を買えないような、分不相応な家計は別として、資産の中の一部が不動産になるような家計が、持ち家を買うことは、大筋としては構わないだろう。
但し、「時々の相場による得失」を考えると、たとえば、首都圏のマンションは、どう見ても供給過剰ではなかったかと思えるし、今後の人口動態を考えると、不動産価格に対して強気になれない。個人的には、将来、都心のマンション価格が下がった時に、お金があれば(あって欲しいが!)、買えばいいかも知れないと思っている。
また、朝日新聞のインタビューで私が強調したのは、買うか・借りるか、で損得無しと考えるとした場合、賃貸の方が、ライフスタイルや、働き方・働く場所の変化に対応しやすいということだ。主に、生活の自由度の拡大と、変化への対応、という意味で、賃貸暮らしに優れた面がある、というのが、私の意見のポイントだった。
「場所」ということだけ考えても、たとえば、通勤時間が一時間余計に時間が掛かるということは、仮に時給が5千円の人であれば、一日に1万円の損であり、月間の損失は20万円以上に及ぶ(通勤電車がお好きでも、この半分くらいは損をしていると考える方がいいだろうと思う。もっと厳密に生産性を考えると、時給の倍くらいの損をしていると考えないと、ビジネスマンとしては物足りない)。
他方、賃貸の物件には、家族の事情に合った間取りの、程良いものがなかなか無いとか、家を住みやすく改造する事が難しいといった、不自由はある。自分は市役所にでも勤めていて、転勤も転職も心配や意志がなく、子供の学校も近所で問題ない、といった超安定的な家族の場合、価格にもよるが、持ち家に対していくらか積極的になってもいいだろう(私には、幾らか退屈な人生に思えるが、この点の好みは、人それぞれだ)。
しかし、若い頃と、家族が増えてからでは、住みたい場所や、住みたい家の構造も違うだろう。多くの人が私ほど転職しないとしても、転勤もあれば、転職もあろうし、家族の事情によって、住んで便利な場所は変化する事が多い。この点で、心配なのは、働く独身女性のマンション購入だ。後から、家族構成が変わることもあるだろうに、ローンでマンションなど買って大丈夫か、と思う。
価格を筆頭とする物件の個別事情にもよるし、個人の事情にもよるが、日本の場合、これまでの持ち家推進の国策もあって、高い価格で、分不相応に、家を持ってしまい、その結果、財務的にも、人生設計上も、負担になっている人が多いのではないだろうか。
些か刺激的な言い方になるが、家を買うぐらいしか、自分で決められる大きな意志決定が無いのかも知れないが、「人生、もっと面白いことはないの?」と言ってやりたくなるような、持ち家の奴隷が少なくない。もっと身軽に生きる方が、よさそうなものに思えるのだが。
(注:上記は、ある読者のリクエストにお応えして、私の「一般論としての意見」を述べたもので、個々の方の人生や住宅にケチを付けることを目的として書いたものではありません。念のため、感情的になりませんように、とご注意申し上げて置きます)
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日本のIT企業は法人営業に弱点がある
ある有名IT企業(取りあえず楽天グループの会社ではないと申し上げておきましょう)の経営の内情に詳しい友人に、食事をしながら、面白い話を聞いた。法人営業が、IT企業の大きな弱点になっているというのだ。
広告モデルで収益を得ているIT企業の場合、大きな広告を取るためには、たとえば三菱グループの企業のような、古い大企業とも契約をまとめる必要がある。大きな案件であれば、たとえば、○○重工とか○○電機、あるいは○○○自動車といった会社の広報担当の執行役員あるいは部長クラスを訪問して、話をまとめてくるのが普通だろう。
ところが、このような場合、件の友人のよく知るIT企業では、彼の言葉を借りると、以下のような仕儀となる。
「だいたいさあ、こっちから訪ねていく奴の年が若過ぎて相手の役員クラスと釣り合わないし、話が合わない。それに、こんな髪(自分の頭の上に手で三角を作って)をした奴が、カラダにぴたぴたの服着て行って、しかも、アポの時間に遅れていたりするんだな。」
「それに、相手の関心に合わせた、気の利いた世間話も出来ないから、役員の前で、いきなりカタログ拡げて、商品説明を始めからしたりするんだ。話し始めると、携帯の着メロが鳴ったりするしさ。これじゃあ、まとまるものも、まとまらないよ」
「結局、経営者からしてアンちゃんだし、企業経験があっても、たとえばR社みたいな社員の若い会社しか経験がないから、大企業や金融機関を担当する”法人営業担当者”がどんなものなのかが分かっていない。目標と、根性と、ノリだけで、何とかなると思われては困るんだけど、分かんないんだねぇ・・・」
彼の言葉を補足すると、大企業の役員は時間に遅れるような相手は論外だし、細かな商品の内容はあらかじめ相手の部下に根回しが済んでいなければならないし、学園祭に資本金とノルマをくっつけたようなR式経営が通用する相手と、通用しない相手は、やはり、ある。
日本のIT企業の場合は、Googleのように技術的なアドバンテージを参入障壁として持っている訳ではなく、割合成功している会社でも、「日本のIT企業」=「アメリカのITビジネスの真似」×「ど根性営業」というパターンが多いだけに、「営業」のあり方を見直すことは必要かも知れない。
たとえば金融機関勤めで法人営業担当のゼネラリストで(マーケットも、金融工学も、英語も、法律も、何にもゼネラリーに詳しくない)これまで転職市場ではパッとしなかったような人材が、案外、こうしたところで生きるのかも知れない(彼/彼女がIT企業になじめるか、という問題はあるが)。
尚、上記は、一般論であって、若くてトンガリ・ヘアーでも魔法のように年上の顧客を落とす有能なセールスマンはいらっしゃるだろうから、読者がこれに該当する場合は、気を悪くされないで下さい。
広告モデルで収益を得ているIT企業の場合、大きな広告を取るためには、たとえば三菱グループの企業のような、古い大企業とも契約をまとめる必要がある。大きな案件であれば、たとえば、○○重工とか○○電機、あるいは○○○自動車といった会社の広報担当の執行役員あるいは部長クラスを訪問して、話をまとめてくるのが普通だろう。
ところが、このような場合、件の友人のよく知るIT企業では、彼の言葉を借りると、以下のような仕儀となる。
「だいたいさあ、こっちから訪ねていく奴の年が若過ぎて相手の役員クラスと釣り合わないし、話が合わない。それに、こんな髪(自分の頭の上に手で三角を作って)をした奴が、カラダにぴたぴたの服着て行って、しかも、アポの時間に遅れていたりするんだな。」
「それに、相手の関心に合わせた、気の利いた世間話も出来ないから、役員の前で、いきなりカタログ拡げて、商品説明を始めからしたりするんだ。話し始めると、携帯の着メロが鳴ったりするしさ。これじゃあ、まとまるものも、まとまらないよ」
「結局、経営者からしてアンちゃんだし、企業経験があっても、たとえばR社みたいな社員の若い会社しか経験がないから、大企業や金融機関を担当する”法人営業担当者”がどんなものなのかが分かっていない。目標と、根性と、ノリだけで、何とかなると思われては困るんだけど、分かんないんだねぇ・・・」
彼の言葉を補足すると、大企業の役員は時間に遅れるような相手は論外だし、細かな商品の内容はあらかじめ相手の部下に根回しが済んでいなければならないし、学園祭に資本金とノルマをくっつけたようなR式経営が通用する相手と、通用しない相手は、やはり、ある。
日本のIT企業の場合は、Googleのように技術的なアドバンテージを参入障壁として持っている訳ではなく、割合成功している会社でも、「日本のIT企業」=「アメリカのITビジネスの真似」×「ど根性営業」というパターンが多いだけに、「営業」のあり方を見直すことは必要かも知れない。
たとえば金融機関勤めで法人営業担当のゼネラリストで(マーケットも、金融工学も、英語も、法律も、何にもゼネラリーに詳しくない)これまで転職市場ではパッとしなかったような人材が、案外、こうしたところで生きるのかも知れない(彼/彼女がIT企業になじめるか、という問題はあるが)。
尚、上記は、一般論であって、若くてトンガリ・ヘアーでも魔法のように年上の顧客を落とす有能なセールスマンはいらっしゃるだろうから、読者がこれに該当する場合は、気を悪くされないで下さい。
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株価が高過ぎる場合のエージェンシー問題
先日、ある大学の大学院で、かつての同僚と一緒にファイナンスの授業をした。ライブドア、村上ファンド問題が題材で、事実の経緯と、法的な問題点などについては彼が話をしてくれたので、私は、ライブドアとニッポン放送の問題についてコメントした。これまでに何回か取り上げた問題だが、ファイナンスの授業の観点から、まとめてみる。
授業の題材として取り上げるとすると、ライブドアとニッポン放送、フジテレビの問題の面白い点は、決着の評価と、そもそもライブドアがニッポン放送を買った動機だ。
周知のように攻防戦の決着は、(1)フジテレビがライブドアが保有する日本放送株をほぼライブドアの取得価格で引き取り、(2)フジテレビがライブドアに出資する(時価で12.75%)、というものだった(形だけに終わった「提携」は無視しよう)。これに加えて、ライブドアは、(3)リーマンブラザーズ証券にMSCBを引き受けさせて、リーマンは百数十億円儲けた、とされている。
この決着について、ライブドアの宮内元取締役は「フジテレビをカツアゲしてやった」と言ったそうだが、果たしてライブドアは幾ら儲かったのか?
実は、ファイナンスの理屈的には、この決着で、ライブドアは儲かっていない。(1)は損得ゼロだし、(2)は<この時点のライブドアの株価が正しいとすれば>時価発行増資をフジテレビが引き受けただけのなのでこれも損得無しであり、そうすると、(3)リーマンがほぼ確実に大儲けできるように発行したMSCBのディールの分だけ(厳密には発行時点の期待値で評価すべきだが、大雑把には、リーマンが儲けた分ということになる)ライブドアの株主は損をしたことになる(これは、大株主であった堀江貴文氏も一緒だ)。
しかし、「ライブドアの株価が本来評価されるべき実体よりも相当に高かった」という仮定を置くと、この決着は、「わたあめの様に過大評価されていた」ライブドアが時価総額の一部を、もともと「より実体価値のあるニッポン放送株(フジテレビ株というあんこが入った鯛焼きのようなものだった)」に入れ替えようとしたところ、もっと実体価値の確かなキャッシュに変わった(ざっと1400億円)のだから、大成功なのだ、ということができる。(この点には、賢い学生さんは、授業中に気がついた)また、こうした意図がライブドア側にも多少はあったことは、大鹿靖明氏の「ヒルズ黙示録」にライブドアの熊谷取締役のコメントからも窺える。
ところで、株価が、企業の実体よりも相当に高く評価されてしまった場合に、経営者はどう行動したらいいだろうか。
証券取引の神様の前では、実質的に「我が社の株価は、実体の約○倍です」と告白することが望ましいのかも知れないが、すると、その時点の株主は大いに怒るだろうし、株主構成によっては経営者のクビが飛ぶだろう。それに、経営者自身も株価が下がるのは良い気持ちではあるまい。通常の経営者にとっては、高すぎる株価が「当然の株価」であるがごとく振る舞う以外の選択は難しいかも知れない。
高すぎる株価を経営者の立場で利用するためには、株式でファイナンス(=資金調達)することが考えられる。これは、高すぎる株価で、発行株の一部がキャッシュになるのだから、倒産リスクが低下して、また投資に使えるお金も(同時に、社長が無駄遣いするお金も)増えるので、なかなか心地のよい話だが、単にキャッシュを蓄える、というのでは、ファイナンスの名目が立たない。
一般論としては、ここで、大風呂敷を広げた投資計画(=資金需要)をでっち上げることが考えられるが、そうそう素晴らしい事業計画のアイデアが湧くものでもないとすれば、手軽なのはM&Aだ。利益を生む事業を買収すると、見かけ上も、収益を膨らませることができて、成長したようにも見える。
「大風呂敷経営」でも「M&A」でも、その会社にとって最適な事業計画とはずれていくし、ひいては、資源の最適な利用からもかけ離れて、やがて、化けの皮がはがれて、会社の株式価値が正しく評価されるようになると、株主も大損する。
経済学的には、これは、エージェント(代理人)である経営者と、プリンシパル(委託者)である株主との利害関係が異なると同時に、両者の持っている情報に非対称性があることによって、生じた損失であり「エージェンシー・コスト」だ、ということになる。
学生さん(といっても社会人だが)の理解の上では、「株主価値を最大化するような合理的な経営者」といった「建前」の先入観が理解の邪魔をするようだが、正しくは「自分の経済的利益を最大化するような合理的な経営者」を考えないと、分析として、正しい前提条件にはならない。
エージェンシー問題の概念を定式化したのは、マイケル・ジェンセンで、そのジェンセン(現在もハーバードの教授のようだ)が最近取り上げている問題でもあるが、株価が高すぎる場合、こうしたエージェンシー問題は、益々エスカレートする可能性が大きく、経営者の暴走を止めることが難しく、エージェンシー・コスト(最適な状態からの損失で測る)は莫大なものになる可能性がある。具体的にはエンロンやワールドコムのケースは、そういうことであったと言えるだろう。
上記は、雇われ経営者をモデル化した場合だが、経営者が大きな持ち株を持っていたり、オーナー経営者であったりした場合でも、問題は起こる。
一つにはライブドアのケースのように、「わたあめを、鯛焼きに」変えるようなM&A(それ自体に建設的、創造的な意味のない、単なる事業ポートフォリオの入れ替え)に走る可能性があるし、或いは、ミスプライスをさらに拡大させて、自分の持ち株を売り抜けようとするかも知れない。
また、ポートフォリオの一銘柄として会社に投資しているはずの一般株主と、自分の資産の大半を自社株が占める経営者の利害関係は異なる可能性がある。典型的には、前者は、ハイ・リスクなプロジェクトへの投資を好むだろうが、大株主経営者は安定した資産や事業ポートフォリオを望む可能性がある(社会的な地位の問題もあるし、株式を高く売り抜けることが難しい場合には、特に、そうなりそうだ)。
株式投資をする上では、取りあえず、(1)M&Aによる利益と本業の成長を分けて評価し、(2)M&Aによる利益は少なくとも単純に利益成長にカウントして評価しないことが大事だし、(3)M&Aに積極的な会社や大風呂敷経営に見える会社の場合事業ポートフォリオの入れ替えや現在の株価での株式売却に意図がないかを疑う、つまり、経営者(=自社の情報を持っている人ではある)が、実は、「自社の株価を高すぎると思っているのではないか」ということに注意をすべきだ、ということになる。
また、社会・経済の仕組みとして、株価が高すぎる場合のエージェンシー問題に対応できる仕掛けを考える事は容易ではない。一つには、経営者の評価尺度をある程度株価から引き離すことが重要だろうし(たとえば、ある種のEVAのようなものを尺度にする)、もう一つには、経営者個人が、将来にわたって企業の長期的な評価を気にしなければならないような仕組みを導入する(たとえば将来の利益にリンクした年金を払う)、ということだろうが、これらと、一般にモノ言う株主が望むような、株主から経営者へのプレッシャー(これ自体にも大切な面はある)とを両立させることは容易ではなさそうだ。
尚、ライブドアのケースについては、事実の経緯を追うと、フジテレビが出資した後、ライブドアの株価が二倍以上に上昇し、事後的に見ると(たとえば2005年の年末で見ると)、そもそもライブドアの株価は、割高ではなかった、とも言えた、という問題がある。
さらに、同社が摘発された時点では、外資系の大手運用会社2社がそれぞれ6%程度ライブドアの株を持っていた、という、投資家の株価評価能力を考える上で脱力するような事実があったことも、ファイナンスの授業の題材に使える話だ。
授業の題材として取り上げるとすると、ライブドアとニッポン放送、フジテレビの問題の面白い点は、決着の評価と、そもそもライブドアがニッポン放送を買った動機だ。
周知のように攻防戦の決着は、(1)フジテレビがライブドアが保有する日本放送株をほぼライブドアの取得価格で引き取り、(2)フジテレビがライブドアに出資する(時価で12.75%)、というものだった(形だけに終わった「提携」は無視しよう)。これに加えて、ライブドアは、(3)リーマンブラザーズ証券にMSCBを引き受けさせて、リーマンは百数十億円儲けた、とされている。
この決着について、ライブドアの宮内元取締役は「フジテレビをカツアゲしてやった」と言ったそうだが、果たしてライブドアは幾ら儲かったのか?
実は、ファイナンスの理屈的には、この決着で、ライブドアは儲かっていない。(1)は損得ゼロだし、(2)は<この時点のライブドアの株価が正しいとすれば>時価発行増資をフジテレビが引き受けただけのなのでこれも損得無しであり、そうすると、(3)リーマンがほぼ確実に大儲けできるように発行したMSCBのディールの分だけ(厳密には発行時点の期待値で評価すべきだが、大雑把には、リーマンが儲けた分ということになる)ライブドアの株主は損をしたことになる(これは、大株主であった堀江貴文氏も一緒だ)。
しかし、「ライブドアの株価が本来評価されるべき実体よりも相当に高かった」という仮定を置くと、この決着は、「わたあめの様に過大評価されていた」ライブドアが時価総額の一部を、もともと「より実体価値のあるニッポン放送株(フジテレビ株というあんこが入った鯛焼きのようなものだった)」に入れ替えようとしたところ、もっと実体価値の確かなキャッシュに変わった(ざっと1400億円)のだから、大成功なのだ、ということができる。(この点には、賢い学生さんは、授業中に気がついた)また、こうした意図がライブドア側にも多少はあったことは、大鹿靖明氏の「ヒルズ黙示録」にライブドアの熊谷取締役のコメントからも窺える。
ところで、株価が、企業の実体よりも相当に高く評価されてしまった場合に、経営者はどう行動したらいいだろうか。
証券取引の神様の前では、実質的に「我が社の株価は、実体の約○倍です」と告白することが望ましいのかも知れないが、すると、その時点の株主は大いに怒るだろうし、株主構成によっては経営者のクビが飛ぶだろう。それに、経営者自身も株価が下がるのは良い気持ちではあるまい。通常の経営者にとっては、高すぎる株価が「当然の株価」であるがごとく振る舞う以外の選択は難しいかも知れない。
高すぎる株価を経営者の立場で利用するためには、株式でファイナンス(=資金調達)することが考えられる。これは、高すぎる株価で、発行株の一部がキャッシュになるのだから、倒産リスクが低下して、また投資に使えるお金も(同時に、社長が無駄遣いするお金も)増えるので、なかなか心地のよい話だが、単にキャッシュを蓄える、というのでは、ファイナンスの名目が立たない。
一般論としては、ここで、大風呂敷を広げた投資計画(=資金需要)をでっち上げることが考えられるが、そうそう素晴らしい事業計画のアイデアが湧くものでもないとすれば、手軽なのはM&Aだ。利益を生む事業を買収すると、見かけ上も、収益を膨らませることができて、成長したようにも見える。
「大風呂敷経営」でも「M&A」でも、その会社にとって最適な事業計画とはずれていくし、ひいては、資源の最適な利用からもかけ離れて、やがて、化けの皮がはがれて、会社の株式価値が正しく評価されるようになると、株主も大損する。
経済学的には、これは、エージェント(代理人)である経営者と、プリンシパル(委託者)である株主との利害関係が異なると同時に、両者の持っている情報に非対称性があることによって、生じた損失であり「エージェンシー・コスト」だ、ということになる。
学生さん(といっても社会人だが)の理解の上では、「株主価値を最大化するような合理的な経営者」といった「建前」の先入観が理解の邪魔をするようだが、正しくは「自分の経済的利益を最大化するような合理的な経営者」を考えないと、分析として、正しい前提条件にはならない。
エージェンシー問題の概念を定式化したのは、マイケル・ジェンセンで、そのジェンセン(現在もハーバードの教授のようだ)が最近取り上げている問題でもあるが、株価が高すぎる場合、こうしたエージェンシー問題は、益々エスカレートする可能性が大きく、経営者の暴走を止めることが難しく、エージェンシー・コスト(最適な状態からの損失で測る)は莫大なものになる可能性がある。具体的にはエンロンやワールドコムのケースは、そういうことであったと言えるだろう。
上記は、雇われ経営者をモデル化した場合だが、経営者が大きな持ち株を持っていたり、オーナー経営者であったりした場合でも、問題は起こる。
一つにはライブドアのケースのように、「わたあめを、鯛焼きに」変えるようなM&A(それ自体に建設的、創造的な意味のない、単なる事業ポートフォリオの入れ替え)に走る可能性があるし、或いは、ミスプライスをさらに拡大させて、自分の持ち株を売り抜けようとするかも知れない。
また、ポートフォリオの一銘柄として会社に投資しているはずの一般株主と、自分の資産の大半を自社株が占める経営者の利害関係は異なる可能性がある。典型的には、前者は、ハイ・リスクなプロジェクトへの投資を好むだろうが、大株主経営者は安定した資産や事業ポートフォリオを望む可能性がある(社会的な地位の問題もあるし、株式を高く売り抜けることが難しい場合には、特に、そうなりそうだ)。
株式投資をする上では、取りあえず、(1)M&Aによる利益と本業の成長を分けて評価し、(2)M&Aによる利益は少なくとも単純に利益成長にカウントして評価しないことが大事だし、(3)M&Aに積極的な会社や大風呂敷経営に見える会社の場合事業ポートフォリオの入れ替えや現在の株価での株式売却に意図がないかを疑う、つまり、経営者(=自社の情報を持っている人ではある)が、実は、「自社の株価を高すぎると思っているのではないか」ということに注意をすべきだ、ということになる。
また、社会・経済の仕組みとして、株価が高すぎる場合のエージェンシー問題に対応できる仕掛けを考える事は容易ではない。一つには、経営者の評価尺度をある程度株価から引き離すことが重要だろうし(たとえば、ある種のEVAのようなものを尺度にする)、もう一つには、経営者個人が、将来にわたって企業の長期的な評価を気にしなければならないような仕組みを導入する(たとえば将来の利益にリンクした年金を払う)、ということだろうが、これらと、一般にモノ言う株主が望むような、株主から経営者へのプレッシャー(これ自体にも大切な面はある)とを両立させることは容易ではなさそうだ。
尚、ライブドアのケースについては、事実の経緯を追うと、フジテレビが出資した後、ライブドアの株価が二倍以上に上昇し、事後的に見ると(たとえば2005年の年末で見ると)、そもそもライブドアの株価は、割高ではなかった、とも言えた、という問題がある。
さらに、同社が摘発された時点では、外資系の大手運用会社2社がそれぞれ6%程度ライブドアの株を持っていた、という、投資家の株価評価能力を考える上で脱力するような事実があったことも、ファイナンスの授業の題材に使える話だ。
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生命保険にニーズはあるか?
現在発売中の週刊ダイヤモンドの私の連載でも述べているが、生命保険の意味をファイナンス的に解釈すると「人的資本(の価値に)対するヘッジ」ということになる(死亡保険の場合)。
たとえば、現在2000万円の金融資産と、1億円の人的資本を持っている35歳のサラリーマンがいるとして、彼の人的資本の価値は、収入の変動などによっても変化するが、死亡した場合はゼロになるので、広義の資産運用の意思決定としては、この人的資本をなにがしかのコストを掛けてでもヘッジしたい、というニーズはありうる。
ここで、人的資本とは、一人の人間の価値を株価のように考えた概念で、たとえば、将来の予想収入を、金利よりもかなり高いそれなりの割引率(人的資本は流動性が乏しく換金できないし、また死亡や病気等のリスク、職業が不調に陥るリスクも当然ある)で現在価値に割り引いて合計したものだ。上記の35歳のサラリーマンは、今後の人生で2億円くらいの収入を稼ぐかも知れないが、「人的資本」として評価すると、1億円くらいのものではないだろうか。「証券アナリストジャーナル」の8月号に翻訳が載った、Peng Cheng, Roger G. Ibbotsonらの論文では、このように定義されている。
もっとも、人的資本をこのように定義するのがいいかどうか、については、議論があり得るだろう。稼ぐためには、当然、食費その他の生活費のコストが掛かるから、「利益の割引現在価値」として人的資本を評価するなら、稼ぎに必要な最低限の生活費(どうやって計測するか別の問題が持ち上がるが)を差し引いた稼ぎの割引現在価値の合計を考える必要がありそうだ。
先の論文では、資産配分の期間を一年として、生きている状態の資産と遺産に対する評価の差を表す変数、一年以内に自分が死ぬことの主観的確率、をそれぞれ考慮して、生きている状態の効用関数(金融資産の期待額と人的資本の期待値の合計に対して定義される)と、遺産に対する効用関数(金融資産額と死亡保険金)の値を、加重合計するような形で、金融資産と人的資本と生命保険(生命保険をふやすと保険金は増えるが、保険料が掛かるので金融資産の額が減る)総合的な効用関数を定義して、この最大化の問題として、資産配分の問題を解くフレームワークを提示しており、年齢と生命保険のニーズ、資産配分におけるリスク資産の比率、といった具合に、幾つかの変数間の関係を分析している。
このように問題を定式化したのだから当然ともいえるが、「生命保険に関する意思決定と、資産配分(アセット・アロケーション)に関する意思決定は、人的資本を考慮して、同時に行われなければならない」というのが、この論文の結論で、これは説得的だ。(保険屋のおねえさんと相談しただけで、生命保険について決断してはいけないのだ!)また、こうした考え方は、今後のFPに期待される役割の大枠を示していると思う。
さて、このように考えると、生命保険(死亡保険)にニーズがあることは納得できる。たとえば、私の場合も、小さな子供が居ることでもあり、安価に掛けられる生命保険があれば、加入してもいい、という気持ちはある。
ただ、たとえば私が死んだ場合、公的年金の遺族年金が多少はあるし、しばらく生活を立て直すだけの貯蓄があれば、妻も働くだろうし、子供達の生活は、何とかなるだろう、という大まかな計算は立つ。また、保険の貯蓄機能については、保険会社には申し訳ないが、自分で同じ額を運用する方が、おおかたの人にとって遙かに効率がいいだろう。
また、生命保険のような複雑且つ高額の対象で、もともと相互扶助が目的の公的な性格を帯びた金融商品が、手数料に相当するもの(「付加保険料」。生命保険会社の経費などになって、保障にも貯蓄にも回らない保険料)が公開されていないことが大きな問題だと思うが、死亡保障の定期保険の場合、保険料に占める付加保険料率が、三割、四割になる、ということを考えると、馬鹿馬鹿しくて、保険に入る気にならない。
医療保険ならどうか、ということを考えると、これも何らかの意味で、人的資本の価値に対するヘッジだが、健康保険の高額医療費制度を考えると、健康保険の範囲内の治療を受ける限り四ヶ月目からは月額八万円強の負担でいいし(最初の三ヶ月は十数万円かかる。所得などによって負担の金額は変わる)、これも、数百万円レベルの貯金を持っていれば、全く必要ないといっていい。(詳しくは、内藤眞弓「医療保険は入ってはいけない!」ダイヤモンド社をご参照下さい。これは実にいい本だと思います。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4478600511/sr=11-1/qid=1162547844/ref=sr_11_1/249-0728934-9902711)
では、年金保険ならどうか。公的年金は、2004年の年金改正で決まったマクロスライド方式で、今後、負担は重くなる(厚生年金で年収の18.35%まで)一方で、給付の実質価値がじわじわ値切られていくので、おおかたの人は「老後は、年金だけでは、不十分だ」ということに気付いているだろうし、私自身も、例外ではない。もちろん、なるべく嫌でない仕事をして、とは思っているが、今後、長きにわたって働いて行くつもりだが、それと平行して、「自分自身の年金をつくる」ということに対する必要性を痛感する。
ただ、これに対しても、市販の生命保険は適さない。「個人年金」といった耳障りの良い名前の商品が多数あるが、要は、変額保険であり、運用商品としての実質は「投信よりも、手数料の高い投信」にとどまる。投信と較べると、費用は高く且つ分かりにくいし、解約が不自由だ。ここでも、自分で運用する方がいい。
結局、市販の、民間の生命保険会社の生命保険には、私が欲しいものがないのは勿論、「どういう人なら、どの商品を買うのがいい」とイメージできるものが、見つからない。一方、確か、日経に載っていたのだと思うが、世界の2%しか人口のない日本人が、世界の生命保険料の25%を払っている、といった、保険の過剰とも思える普及率を考えると、日本の生命保険市場は、かなり成熟していて、成長余地が乏しいようにも思える。また、生命保険・個人年金保険の年間払込保険料は、男性の40代で34.5万円、50代では37.4万円にもなり(近代セールス社「FPデータハンドブック」による。生保文化研究センター調べ。20年間の単純合計で719万円にもなる!)、これ以上の保険料を払わせるのは、大変ではないか、とも思う。
ただ、もちろん、それ自体が効率の良い投資になっていたり、不利の(主として、付加保険料の)小さいリスク回避手段になっていれば、もっと払ってもいい、ということは、勿論あり得る。
こうした状況を生命保険会社の側から見るとどうなのだろうか。もちろん、顧客の不安を喚起する共に、自社の保険商品の良いイメージを刷り込む、といった、マーケティング上の工夫には、今後も一層注力するのだろうが、大規模なセールス部隊を抱えて、高コストな営業を行い、効率のマージンの商品を売る、というビジネスモデルはもう限界だろう。
たとえば、単純な保険を、保険料の計算根拠も開示した上でネットで販売し、顧客は、FPなどのアドバイスを聞きながら、必要十分な保険を購入する、というようなことができればいいな、と思うのだが、どうだろうか。
たとえば、現在2000万円の金融資産と、1億円の人的資本を持っている35歳のサラリーマンがいるとして、彼の人的資本の価値は、収入の変動などによっても変化するが、死亡した場合はゼロになるので、広義の資産運用の意思決定としては、この人的資本をなにがしかのコストを掛けてでもヘッジしたい、というニーズはありうる。
ここで、人的資本とは、一人の人間の価値を株価のように考えた概念で、たとえば、将来の予想収入を、金利よりもかなり高いそれなりの割引率(人的資本は流動性が乏しく換金できないし、また死亡や病気等のリスク、職業が不調に陥るリスクも当然ある)で現在価値に割り引いて合計したものだ。上記の35歳のサラリーマンは、今後の人生で2億円くらいの収入を稼ぐかも知れないが、「人的資本」として評価すると、1億円くらいのものではないだろうか。「証券アナリストジャーナル」の8月号に翻訳が載った、Peng Cheng, Roger G. Ibbotsonらの論文では、このように定義されている。
もっとも、人的資本をこのように定義するのがいいかどうか、については、議論があり得るだろう。稼ぐためには、当然、食費その他の生活費のコストが掛かるから、「利益の割引現在価値」として人的資本を評価するなら、稼ぎに必要な最低限の生活費(どうやって計測するか別の問題が持ち上がるが)を差し引いた稼ぎの割引現在価値の合計を考える必要がありそうだ。
先の論文では、資産配分の期間を一年として、生きている状態の資産と遺産に対する評価の差を表す変数、一年以内に自分が死ぬことの主観的確率、をそれぞれ考慮して、生きている状態の効用関数(金融資産の期待額と人的資本の期待値の合計に対して定義される)と、遺産に対する効用関数(金融資産額と死亡保険金)の値を、加重合計するような形で、金融資産と人的資本と生命保険(生命保険をふやすと保険金は増えるが、保険料が掛かるので金融資産の額が減る)総合的な効用関数を定義して、この最大化の問題として、資産配分の問題を解くフレームワークを提示しており、年齢と生命保険のニーズ、資産配分におけるリスク資産の比率、といった具合に、幾つかの変数間の関係を分析している。
このように問題を定式化したのだから当然ともいえるが、「生命保険に関する意思決定と、資産配分(アセット・アロケーション)に関する意思決定は、人的資本を考慮して、同時に行われなければならない」というのが、この論文の結論で、これは説得的だ。(保険屋のおねえさんと相談しただけで、生命保険について決断してはいけないのだ!)また、こうした考え方は、今後のFPに期待される役割の大枠を示していると思う。
さて、このように考えると、生命保険(死亡保険)にニーズがあることは納得できる。たとえば、私の場合も、小さな子供が居ることでもあり、安価に掛けられる生命保険があれば、加入してもいい、という気持ちはある。
ただ、たとえば私が死んだ場合、公的年金の遺族年金が多少はあるし、しばらく生活を立て直すだけの貯蓄があれば、妻も働くだろうし、子供達の生活は、何とかなるだろう、という大まかな計算は立つ。また、保険の貯蓄機能については、保険会社には申し訳ないが、自分で同じ額を運用する方が、おおかたの人にとって遙かに効率がいいだろう。
また、生命保険のような複雑且つ高額の対象で、もともと相互扶助が目的の公的な性格を帯びた金融商品が、手数料に相当するもの(「付加保険料」。生命保険会社の経費などになって、保障にも貯蓄にも回らない保険料)が公開されていないことが大きな問題だと思うが、死亡保障の定期保険の場合、保険料に占める付加保険料率が、三割、四割になる、ということを考えると、馬鹿馬鹿しくて、保険に入る気にならない。
医療保険ならどうか、ということを考えると、これも何らかの意味で、人的資本の価値に対するヘッジだが、健康保険の高額医療費制度を考えると、健康保険の範囲内の治療を受ける限り四ヶ月目からは月額八万円強の負担でいいし(最初の三ヶ月は十数万円かかる。所得などによって負担の金額は変わる)、これも、数百万円レベルの貯金を持っていれば、全く必要ないといっていい。(詳しくは、内藤眞弓「医療保険は入ってはいけない!」ダイヤモンド社をご参照下さい。これは実にいい本だと思います。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4478600511/sr=11-1/qid=1162547844/ref=sr_11_1/249-0728934-9902711)
では、年金保険ならどうか。公的年金は、2004年の年金改正で決まったマクロスライド方式で、今後、負担は重くなる(厚生年金で年収の18.35%まで)一方で、給付の実質価値がじわじわ値切られていくので、おおかたの人は「老後は、年金だけでは、不十分だ」ということに気付いているだろうし、私自身も、例外ではない。もちろん、なるべく嫌でない仕事をして、とは思っているが、今後、長きにわたって働いて行くつもりだが、それと平行して、「自分自身の年金をつくる」ということに対する必要性を痛感する。
ただ、これに対しても、市販の生命保険は適さない。「個人年金」といった耳障りの良い名前の商品が多数あるが、要は、変額保険であり、運用商品としての実質は「投信よりも、手数料の高い投信」にとどまる。投信と較べると、費用は高く且つ分かりにくいし、解約が不自由だ。ここでも、自分で運用する方がいい。
結局、市販の、民間の生命保険会社の生命保険には、私が欲しいものがないのは勿論、「どういう人なら、どの商品を買うのがいい」とイメージできるものが、見つからない。一方、確か、日経に載っていたのだと思うが、世界の2%しか人口のない日本人が、世界の生命保険料の25%を払っている、といった、保険の過剰とも思える普及率を考えると、日本の生命保険市場は、かなり成熟していて、成長余地が乏しいようにも思える。また、生命保険・個人年金保険の年間払込保険料は、男性の40代で34.5万円、50代では37.4万円にもなり(近代セールス社「FPデータハンドブック」による。生保文化研究センター調べ。20年間の単純合計で719万円にもなる!)、これ以上の保険料を払わせるのは、大変ではないか、とも思う。
ただ、もちろん、それ自体が効率の良い投資になっていたり、不利の(主として、付加保険料の)小さいリスク回避手段になっていれば、もっと払ってもいい、ということは、勿論あり得る。
こうした状況を生命保険会社の側から見るとどうなのだろうか。もちろん、顧客の不安を喚起する共に、自社の保険商品の良いイメージを刷り込む、といった、マーケティング上の工夫には、今後も一層注力するのだろうが、大規模なセールス部隊を抱えて、高コストな営業を行い、効率のマージンの商品を売る、というビジネスモデルはもう限界だろう。
たとえば、単純な保険を、保険料の計算根拠も開示した上でネットで販売し、顧客は、FPなどのアドバイスを聞きながら、必要十分な保険を購入する、というようなことができればいいな、と思うのだが、どうだろうか。
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王子製紙の敗因と、今後の敵対的TOB
王子製紙の篠原社長が、9月4日のTOB期限を前に、敗北宣言の記者会見を行った。大変率直な印象を受ける社長さんで(その分、サラリーマン社長的で迫力を感じないが)、事実上の「敗北宣言」であることを率直に認め、TOBの条件変更は、王子製紙の企業価値の向上につながらないので、やらない、と語った。
彼が語る「敗因」の中にあった、「ある程度、日本的にやったこと」と「三菱商事への増資に対する対応の甘さがあったかもしれないこと」は、実務担当者としては悔いの残る所かも知れない。前者は、北越製紙に対して提携交渉をする間に、北越側に、三菱商事への駆け込みなどの時間的余裕を与えてしまったことを指すのだろうし、後者に関しては、三菱商事とは話を付けられると思っていたのだろう。三菱商事と自社とのビジネス関係を過大評価したのか、あるいは、三菱商事が会社として「純経済合理的」に動くと誤って読んだのか、何れかなのだろう。
あの価格条件が一杯であるとすれば、もっと早期にTOBに打って出るべきだったのだろうし、三菱商事については「彼らの体面」をもっと現実的に分析すべきだった。607円で増資しておいて、直ぐに860円で売れれば大儲けだが、さすがに、三菱の紳士達はそのようなことをしない(しても、経営者としては、個人的に得をしない)。せめて、増資差し止め請求をするべきだったのだだろう。後から話が付くと読んだとすれば、王子もアドバイザーの野村も大いに甘かった。
また、860円、或いは増資後の800円という株価は、株式投資をする価格としては決して安くはないが(その証拠に、TOB不成立の報道後、北越の株価は大幅下落している)、「手を出せないぐらい高い」という株価ではない。現実に、本州製紙は、横やりを入れることができた。日本に限らないと思うが、敵対的なTOBを成功させるには、相当に高い株価で買収をかける必要があるのだ。だからこそ(いわゆる「勝者の呪い」的状況だ)、投資採算が悪化して、「敵対的TOBは上手く行かないことが多い」と言われるのだと推測される。
それでは、日本では敵対的なTOBは不可能なのかと言えば、そんなことは無いと思う。上記のような意味で十分に高い株価を提示できる企業が、実際にはあるはずだ。それは、自分自身の株価の方が更に超割高な企業だ。そうした企業で、経営者が、自社の株価が超割高であることに自覚的であれば、彼は、自分の企業の実体がバレないうちに、自社の資産を「割高ではあっても、割高具合がましな事業」に入れ替えたいというインセンティブを持つからだ。株式交換によって、買収が決済できるようになると、そのインセンティブはますます強められるだろう。
王子製紙の株価は、少なくとも、上記のようなレベルで割高ではなかった。ある意味では、これが王子製紙の真の敗因である。しかし、勝っても損をしては元も子もないわけで、自社による設備強化が正しい道ではなかろうか(独禁法の精神からも)。
ただし、そういうことなら、このTOBを仕掛けたことは失敗だったし、その進め方も下手だったとすると、アドバイザーの野村證券は一体何をしていたのか(北越製紙の主幹事だったのに、北越側の動きが見えていないなんて!)、ということになるのではなかろうか。
今後ということに関していえば、(1)実体に対して超割高な株価の企業はあるし、(2)こうした企業は資産を割安なものに入れ替えたいし、(3)同じくM&Aで成長を「演出」したいし、(4)そもそも業界再編をしたい業界・企業はたくさんあるので(薬品とか消費者金融・ノンバンクなどはどうか)、やはり、企業買収は活発に行われるだろうし、中には敵対的なものもあるだろう。
それにしても、TOB不成立で株価がこれだけ下がって(8月30日終値で709円)、北越製紙の経営者は一般株主にどう申し開きするつもりなのか。また、何とも奇妙な行動を取った本州製紙の経営者にも、あの行動にどのような合理性があったのか、どう説明するのか、聞いてみたい。
彼が語る「敗因」の中にあった、「ある程度、日本的にやったこと」と「三菱商事への増資に対する対応の甘さがあったかもしれないこと」は、実務担当者としては悔いの残る所かも知れない。前者は、北越製紙に対して提携交渉をする間に、北越側に、三菱商事への駆け込みなどの時間的余裕を与えてしまったことを指すのだろうし、後者に関しては、三菱商事とは話を付けられると思っていたのだろう。三菱商事と自社とのビジネス関係を過大評価したのか、あるいは、三菱商事が会社として「純経済合理的」に動くと誤って読んだのか、何れかなのだろう。
あの価格条件が一杯であるとすれば、もっと早期にTOBに打って出るべきだったのだろうし、三菱商事については「彼らの体面」をもっと現実的に分析すべきだった。607円で増資しておいて、直ぐに860円で売れれば大儲けだが、さすがに、三菱の紳士達はそのようなことをしない(しても、経営者としては、個人的に得をしない)。せめて、増資差し止め請求をするべきだったのだだろう。後から話が付くと読んだとすれば、王子もアドバイザーの野村も大いに甘かった。
また、860円、或いは増資後の800円という株価は、株式投資をする価格としては決して安くはないが(その証拠に、TOB不成立の報道後、北越の株価は大幅下落している)、「手を出せないぐらい高い」という株価ではない。現実に、本州製紙は、横やりを入れることができた。日本に限らないと思うが、敵対的なTOBを成功させるには、相当に高い株価で買収をかける必要があるのだ。だからこそ(いわゆる「勝者の呪い」的状況だ)、投資採算が悪化して、「敵対的TOBは上手く行かないことが多い」と言われるのだと推測される。
それでは、日本では敵対的なTOBは不可能なのかと言えば、そんなことは無いと思う。上記のような意味で十分に高い株価を提示できる企業が、実際にはあるはずだ。それは、自分自身の株価の方が更に超割高な企業だ。そうした企業で、経営者が、自社の株価が超割高であることに自覚的であれば、彼は、自分の企業の実体がバレないうちに、自社の資産を「割高ではあっても、割高具合がましな事業」に入れ替えたいというインセンティブを持つからだ。株式交換によって、買収が決済できるようになると、そのインセンティブはますます強められるだろう。
王子製紙の株価は、少なくとも、上記のようなレベルで割高ではなかった。ある意味では、これが王子製紙の真の敗因である。しかし、勝っても損をしては元も子もないわけで、自社による設備強化が正しい道ではなかろうか(独禁法の精神からも)。
ただし、そういうことなら、このTOBを仕掛けたことは失敗だったし、その進め方も下手だったとすると、アドバイザーの野村證券は一体何をしていたのか(北越製紙の主幹事だったのに、北越側の動きが見えていないなんて!)、ということになるのではなかろうか。
今後ということに関していえば、(1)実体に対して超割高な株価の企業はあるし、(2)こうした企業は資産を割安なものに入れ替えたいし、(3)同じくM&Aで成長を「演出」したいし、(4)そもそも業界再編をしたい業界・企業はたくさんあるので(薬品とか消費者金融・ノンバンクなどはどうか)、やはり、企業買収は活発に行われるだろうし、中には敵対的なものもあるだろう。
それにしても、TOB不成立で株価がこれだけ下がって(8月30日終値で709円)、北越製紙の経営者は一般株主にどう申し開きするつもりなのか。また、何とも奇妙な行動を取った本州製紙の経営者にも、あの行動にどのような合理性があったのか、どう説明するのか、聞いてみたい。
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一口馬主の投資戦略
Blessingsさまからご質問があったので、一口馬主のシステムについて、私の知っていることを簡単に説明します。
一口馬主サークルは数多くありますが(週刊「競馬ブック」でもご覧下さい)、一頭の馬の代金を20人(社台レースホース)から500人くらいで分割する場合と一口5万円というように値段が決まっていて高額馬は口数が増える場合とがあります。何れも、月に40万円~50万円の馬の維持費が掛かるので、ご注意下さい。
良血馬が安いのは、やはりいい肌馬・種馬を自分で持っていて生産もしている社台のようですが、社台は一口のサイズが大きいのでややお金持ち向けです。これまでに大活躍馬が多く出ているのは、社台を別格とすると、「マイネル○○○」の馬名で有名なラフィアンでしょうか。これまでのところ、安い馬でもいい馬を選ぶ選択眼があるようです。
競馬の賞金は、馬主80%、調教師10%、騎手・厩務員にそれぞれ5%と配分されますが、この80%から5%部分を手数料として取って、75%を口数で割って会員に分配するクラブが多いようです。
投資採算の大まかな目安をいえば、順調にレースを使って(年間8~10戦くらい)、年間2勝できるような馬なら黒字でしょう。「無事な1千万下(クラス)」のイメージです。
私が最初に買ったのは、当時シンボリホースメイトのシンボリフォルテという馬で、シンボリルドルフが父、母がシビルフォルティー(米国産、父ビーマイゲスト)の初子でした。440~450kgくらいのやや小型の馬で、ジリ足でしたが、準オープンくらいまで出世して(テレビでいうと日曜日なら3時前後に出走の準メインのレース、土曜なら時々メインレースに出走)よく入着してくれたので、投資額の倍くらい儲かりました。
5着まで賞金が出ますし、8着まで出走手当が出るので、1~3着で馬券に絡まなくても楽しめるのが一口馬主のいいところです。また、生産者への奨励の意味でしょうが「父内国産」馬が入着すると追加の手当が出当たり、2000mを超えるレースで(正確に何mからか忘れましたが)、「長距離出走手当」が出たりします。無事にレースを使って、半分くらい掲示板に載っていれば、馬主としては、まあまあ満足だということが分かります。いわゆる「無事是名馬」の感覚です。
一口馬主としては、何と言ってもレースに出て貰えないと、維持費だけがかかって、気分的にも辛い状態になります。また、仕上がらなくて、出走できなければ代替馬を選べる一口馬主サークルが多いようですが、あまり見込みが無くても、一、二度出走させて、これを不可能にされてしまうこともあります。
最近は、ペーパーオーナーゲームが盛んですし、TVゲームで競走馬を生産するゲームもあるようなので、馬の選び方に詳しい方が案外多かろうと思います。一口馬主の場合、敢えて一言付け加えるべき戦略を言えば、あまり大型馬でない方がいいとは言えそうです。パンフレットに「スケールの大きな雄大な馬格」と書かれているような馬は、牛のように仕上がりにくかったり、仕上がっても足元が故障しやすかったりするので、450kgから470kgを目処にするといいのではないでしょうか。かつてならトウカイテイオー、最近ならディープインパクトのような馬格の繋ぎ(足の末端の関節)の柔らかそうな馬で、利口そうな顔をしたのが、私は好みです。
短距離系の血統の馬の方が、仕上がりやすく勝ち上がりやすいイメージですし、対象レースも多いように思いますが、長距離血統で何とか軌道に乗ると、先のように長距離の出走手当が出たり、或いは、そもそも長距離のレースは出走頭数が少ないことが多く、賞金や出走手当にありつきやすいので、どちらがいいかは、良く分かりません。
実際になってみなければ分からないというのは、些か想像力の欠如でしょうが、走らせる側に立って考えることが出来ますし、順調に出走できれば、2-3年かなり楽しい、ほのぼのとした応援が出来るので、一口馬主は悪くない趣味だと思います。馬券にハマって苦しい思いをされている方が、一息入れるのにもいいのではないでしょうか。
但し、口数の多い買いやすいサークルの馬は、馬の代金に相当のプレミアムが乗っている感じなので、なかなか儲かりませんし、足元などが「無事でない」ことも多いので、基本的には、儲からないものだと思ってやった方が良いと思います。
一口馬主サークルは数多くありますが(週刊「競馬ブック」でもご覧下さい)、一頭の馬の代金を20人(社台レースホース)から500人くらいで分割する場合と一口5万円というように値段が決まっていて高額馬は口数が増える場合とがあります。何れも、月に40万円~50万円の馬の維持費が掛かるので、ご注意下さい。
良血馬が安いのは、やはりいい肌馬・種馬を自分で持っていて生産もしている社台のようですが、社台は一口のサイズが大きいのでややお金持ち向けです。これまでに大活躍馬が多く出ているのは、社台を別格とすると、「マイネル○○○」の馬名で有名なラフィアンでしょうか。これまでのところ、安い馬でもいい馬を選ぶ選択眼があるようです。
競馬の賞金は、馬主80%、調教師10%、騎手・厩務員にそれぞれ5%と配分されますが、この80%から5%部分を手数料として取って、75%を口数で割って会員に分配するクラブが多いようです。
投資採算の大まかな目安をいえば、順調にレースを使って(年間8~10戦くらい)、年間2勝できるような馬なら黒字でしょう。「無事な1千万下(クラス)」のイメージです。
私が最初に買ったのは、当時シンボリホースメイトのシンボリフォルテという馬で、シンボリルドルフが父、母がシビルフォルティー(米国産、父ビーマイゲスト)の初子でした。440~450kgくらいのやや小型の馬で、ジリ足でしたが、準オープンくらいまで出世して(テレビでいうと日曜日なら3時前後に出走の準メインのレース、土曜なら時々メインレースに出走)よく入着してくれたので、投資額の倍くらい儲かりました。
5着まで賞金が出ますし、8着まで出走手当が出るので、1~3着で馬券に絡まなくても楽しめるのが一口馬主のいいところです。また、生産者への奨励の意味でしょうが「父内国産」馬が入着すると追加の手当が出当たり、2000mを超えるレースで(正確に何mからか忘れましたが)、「長距離出走手当」が出たりします。無事にレースを使って、半分くらい掲示板に載っていれば、馬主としては、まあまあ満足だということが分かります。いわゆる「無事是名馬」の感覚です。
一口馬主としては、何と言ってもレースに出て貰えないと、維持費だけがかかって、気分的にも辛い状態になります。また、仕上がらなくて、出走できなければ代替馬を選べる一口馬主サークルが多いようですが、あまり見込みが無くても、一、二度出走させて、これを不可能にされてしまうこともあります。
最近は、ペーパーオーナーゲームが盛んですし、TVゲームで競走馬を生産するゲームもあるようなので、馬の選び方に詳しい方が案外多かろうと思います。一口馬主の場合、敢えて一言付け加えるべき戦略を言えば、あまり大型馬でない方がいいとは言えそうです。パンフレットに「スケールの大きな雄大な馬格」と書かれているような馬は、牛のように仕上がりにくかったり、仕上がっても足元が故障しやすかったりするので、450kgから470kgを目処にするといいのではないでしょうか。かつてならトウカイテイオー、最近ならディープインパクトのような馬格の繋ぎ(足の末端の関節)の柔らかそうな馬で、利口そうな顔をしたのが、私は好みです。
短距離系の血統の馬の方が、仕上がりやすく勝ち上がりやすいイメージですし、対象レースも多いように思いますが、長距離血統で何とか軌道に乗ると、先のように長距離の出走手当が出たり、或いは、そもそも長距離のレースは出走頭数が少ないことが多く、賞金や出走手当にありつきやすいので、どちらがいいかは、良く分かりません。
実際になってみなければ分からないというのは、些か想像力の欠如でしょうが、走らせる側に立って考えることが出来ますし、順調に出走できれば、2-3年かなり楽しい、ほのぼのとした応援が出来るので、一口馬主は悪くない趣味だと思います。馬券にハマって苦しい思いをされている方が、一息入れるのにもいいのではないでしょうか。
但し、口数の多い買いやすいサークルの馬は、馬の代金に相当のプレミアムが乗っている感じなので、なかなか儲かりませんし、足元などが「無事でない」ことも多いので、基本的には、儲からないものだと思ってやった方が良いと思います。
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投資番組として「スーパー競馬」を見る
フジテレビ日曜午後3時からの「スーパー競馬」は、ほぼ毎週見る番組だ。私は、週のテレビの視聴時間がトータルでだいたい5-6時間なのだが、その中の1時間弱を占める。私が、最初に見たダービーはシンボリルドルフのダービーだったから、もう20年くらい見ていることになる。
競馬も株式投資も、お金を使い、あわよくば儲けようと考える人が興味を持つ点がよく似ている。ところで、この毎週見ている「スーパー競馬」を株式投資番組の視点で見ると、なかなか「大変な」番組であることが分かった。
番組に登場する専門家は、株式投資に世界でいうと、アナリストか投資評論家のような立場だが、彼らは、堂々と「個別銘柄」(=具体的な馬)の名前を挙げて、良し悪しを言う。しかも、「ディープインパクトから馬単二着流しで○▲・・・」とか「3,5,8,9番の馬連ボックス」といった調子で、「投資配分」まで言うではないか。また、専門家ばかりでなく、女性司会者も予想を述べ、買い目を提示する(それにしても、馬の名前や数字はもう少しきちんと読んで欲しいなあ・・)。
個別銘柄の判断をテレビ番組で伝えるには、十分な根拠(証券会社のアナリストの分析など)がないと、視聴者のクレームに耐えられないし、そもそも、個別の売り買い判断を伝える事に対して、テレビ局は消極的だ。しかも、投資の配分まで言うのだから、株式投資であれば、投資顧問業法の問題があるかも知れない。
加えて、こうした「情報」が流されているのは、馬券が買える時間であり、株式市場で言えば、出来高の多い、ザラバ中である。最近は、PCや携帯で馬券を買えるIPATなどで自宅に居てテレビを見ながら、馬券を買う競馬ファンが多いだろう(私もそうだ)。現実に、テレビで何と言ったかによって、オッズが動くこともある。投資番組で言えば、番組が、株価に影響を与えているのだ。
しかも、番組を見ていると、出演者達は自分で馬券を買っているようであり、その事を隠さない。隠さないばかりか、それをネタにした話題もある。株式投資番組であれば、インサイダー取引として大問題になるだろう。
しかし、番組全体は明るいし、競馬という題材を楽しませることに成功している。
各種の法律の問題を別とすると、競馬情報番組と、株式情報番組に、本質的に大きな差はない。前者は、オッズが実現するか否かにレースが介在する点が、オッズそのものの変化に賭けるような株式投資と異なるが、たとえば、番組の内容でオッズを意図的に動かすことで、何らかの収益機会が生じることは同じだ。お金の損得に直結している点も同じだ。
競馬評論家の場合「普通は外れるものだ」(吉田さん、井崎さん、ごめんなさい!)という了解があるから、「馬券の購入はご自身の判断で」とテロップを入れなくてもいいのか。だが、考えてみると、アナリストやファンドマネジャーの能力も、投資成績で正しく評価する限り、競馬評論家と変わるものではない。テレビ番組で、個別の株式について話すことに関しても、もっと大らかでいいのかも知れない。
もっとも、「どうせ外れるのだし・・・」という前提条件で、誇り高き金融マンたちがテレビに出て、自分の見解を話してくれるかどうか。また、「それでも話したい」という自称評論家などの専門家の中には、アブナイ(色々な意味で)人も入ってくることだろう。
ただ、どうせ外れるかもしれないという前提の下で、金儲けや情報を大いに楽しむという競馬番組のあり方は、投資番組を考える上で参考になるように思う。「儲けるための」「有益な情報を届けます」とかしこまっている間は、投資番組は面白くない。投資に関わる情報そのもの、あるいは運用そのものを「深く楽しませる」番組が見たい。
競馬も株式投資も、お金を使い、あわよくば儲けようと考える人が興味を持つ点がよく似ている。ところで、この毎週見ている「スーパー競馬」を株式投資番組の視点で見ると、なかなか「大変な」番組であることが分かった。
番組に登場する専門家は、株式投資に世界でいうと、アナリストか投資評論家のような立場だが、彼らは、堂々と「個別銘柄」(=具体的な馬)の名前を挙げて、良し悪しを言う。しかも、「ディープインパクトから馬単二着流しで○▲・・・」とか「3,5,8,9番の馬連ボックス」といった調子で、「投資配分」まで言うではないか。また、専門家ばかりでなく、女性司会者も予想を述べ、買い目を提示する(それにしても、馬の名前や数字はもう少しきちんと読んで欲しいなあ・・)。
個別銘柄の判断をテレビ番組で伝えるには、十分な根拠(証券会社のアナリストの分析など)がないと、視聴者のクレームに耐えられないし、そもそも、個別の売り買い判断を伝える事に対して、テレビ局は消極的だ。しかも、投資の配分まで言うのだから、株式投資であれば、投資顧問業法の問題があるかも知れない。
加えて、こうした「情報」が流されているのは、馬券が買える時間であり、株式市場で言えば、出来高の多い、ザラバ中である。最近は、PCや携帯で馬券を買えるIPATなどで自宅に居てテレビを見ながら、馬券を買う競馬ファンが多いだろう(私もそうだ)。現実に、テレビで何と言ったかによって、オッズが動くこともある。投資番組で言えば、番組が、株価に影響を与えているのだ。
しかも、番組を見ていると、出演者達は自分で馬券を買っているようであり、その事を隠さない。隠さないばかりか、それをネタにした話題もある。株式投資番組であれば、インサイダー取引として大問題になるだろう。
しかし、番組全体は明るいし、競馬という題材を楽しませることに成功している。
各種の法律の問題を別とすると、競馬情報番組と、株式情報番組に、本質的に大きな差はない。前者は、オッズが実現するか否かにレースが介在する点が、オッズそのものの変化に賭けるような株式投資と異なるが、たとえば、番組の内容でオッズを意図的に動かすことで、何らかの収益機会が生じることは同じだ。お金の損得に直結している点も同じだ。
競馬評論家の場合「普通は外れるものだ」(吉田さん、井崎さん、ごめんなさい!)という了解があるから、「馬券の購入はご自身の判断で」とテロップを入れなくてもいいのか。だが、考えてみると、アナリストやファンドマネジャーの能力も、投資成績で正しく評価する限り、競馬評論家と変わるものではない。テレビ番組で、個別の株式について話すことに関しても、もっと大らかでいいのかも知れない。
もっとも、「どうせ外れるのだし・・・」という前提条件で、誇り高き金融マンたちがテレビに出て、自分の見解を話してくれるかどうか。また、「それでも話したい」という自称評論家などの専門家の中には、アブナイ(色々な意味で)人も入ってくることだろう。
ただ、どうせ外れるかもしれないという前提の下で、金儲けや情報を大いに楽しむという競馬番組のあり方は、投資番組を考える上で参考になるように思う。「儲けるための」「有益な情報を届けます」とかしこまっている間は、投資番組は面白くない。投資に関わる情報そのもの、あるいは運用そのものを「深く楽しませる」番組が見たい。
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北越製紙へのTOB問題への感想
王子製紙がTOBに踏み切って、本格的に開戦した、北越製紙争奪戦は、何やら盛り上がっているようないないような、妙な展開になっています。この問題については、各当事者の注目点を、「北越製紙をめぐるゲームの観戦ガイド」と題して、YOMIURIオンラインの連載コラムに書いてみました。ご関心のある方は、ご一読下さい。http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/yamazaki/at_ya_06081101.htm
上記の原稿を書いたのは一週間近く前です。その後、大きな動きはありませんが、言い足りなかったことなどを補足します。
王子製紙のTOB(北越製紙発行株の過半数取得が成立条件)は、成立が難しくなったのではないか、という観測が広まっているようです。この場合、王子が北越製紙を全く諦めると、今度は、別陣営に北越製紙を渡す形になってしまうので、一番ありそうなのは、発行株の三分の一にTOBの成立条件を緩和することでしょうか。ただ、その場合、王子製紙、日本製紙、三菱商事などが、何れもメジャーを取れずに睨み合う形になります。また、発行株の8割以上を少数の株主が持つことになる公算が大きく、北越製紙が上場廃止になる可能性が出てきます。参加者がみな得しない状態で、長期戦のチキン・ゲームになって、誰が北越を買うのか、改めて交渉するということになるのでしょうか。
王子製紙は、TOB価格を引き上げる選択肢もありますが、そもそも、もっと高くても買う用意があったなら、これまで価格を引き上げずに、800円台で日本製紙に北越株を大量取得されたのは、王子のアドバイザーである野村證券の作戦ミスといえるかも知れません。TOB価格以上の出来高の内容を十分把握できていなかったという意味では、証券会社としても、頼りない印象です。本件が、今後、どう転ぶか分かりませんが、北越製紙を別陣営に追いやる結果になったり、王子製紙が北越製紙の株を中途半端に抱えて立ち往生するようなことになったりすると、野村證券の評判はガタ落ちしますが、さて、彼らには、有効な手が用意されているのでしょうか。
一方、北越製紙の経営陣も、かなりアブナイ感じがします。彼らが株主に説明すべき事柄は「三菱商事との提携を伴う経営計画で、株主は王子が提示した株価860円以上の株式価値を確実に手に入れることができる」ということの、具体的内容です。今迄のところ、王子の経営統合案だと、たとえば「従業員のやる気が落ちて32億円損する・・・」といった、王子案の批判に力点があるようです。株主から見ると、王子製紙は株価を具体的に提示しているのであって、買収後に儲かるかどうかは、主として王子製紙の問題です。
また、北越製紙の経営者は、「当社の中長期的企業価値を取り込むことに(王子製紙の)目的があるように思われる」と王子を批判していましたが、中長期的企業価値が十分に取り込まれて実現するなら、何の問題もないので、これは、批判になっていません。
加えて、買収防衛策の発動について、独立していると称する検討委員会に諮問し、この委員会が発動OKの判断を示しましたが(発動を決定するのは取締役会です)、これが発動されると、物事がメチャクチャになるでしょうし(壮大な見物にはなりますが)、一転して、北越製紙側が批判に晒されるでしょう(たぶん裁判は北越側が負けるでしょう)。まさか、買収防衛策は、発動しないと思いますが、王子がTOBの条件を変えてきた場合には、ヤルかも知れない、という可能性というか、スリルがあります。
ニュースによると、北越製紙と日本製紙は、何らかの提携関係の構築を検討するようです。北越製紙は日本製紙が将来株を売ることが不安だし、日本製紙は株式取得にコストをかけた以上、何らかの「実」を取らないと名分が立ちませんから、これは自然な流れではありますが、ある種の癒着の臭いがしますね。
さて、王子製紙として、どんな戦略が正しいのかは、難しいところです。
私は、買い取り株価を上げて北越の株を集めても、当初思い描いたような効果を得ることは難しいでしょうし、一つのターゲットを複数の買い手が買おうとした場合に、勝者がとんでもないプレミアムを払う、「勝者の呪い」と言われる現象にハマらないためにも、さらりと降りるのが利口ではないか、というような気がします。
しかし、そうなると、アドバイザーの野村の面子は丸つぶれだし、王子製紙自身も、少なくとも降りた時には格好が悪い思いをしなければならないでしょう(高い株価で北越製紙株を買ったライバルの日本製紙に損をさせたことで溜飲を下げることになるのでしょうか・・)。しかし、買収にかけるお金があるなら、本業を強化する方が「まっとう」ではないでしょうか。
北越製紙にあっての、王子製紙の嫌われぶりには驚きます。一部の報道によると、今回の件も、もともと北越製紙の設備投資計画に王子が横槍を入れたことから始まった経緯があるようですが、これでは北越も王子を嫌いになるでしょうし、どうも動機の部分に不純なものを感じます(独禁法的な観点でも)。また、そもそも、業界トップの会社が、十分なコスト競争力を持っていないということなのでしょうか。資本の世界では正論に見える今回の王子製紙の行動ですが、製紙会社としての王子製紙は、業界内では威張れた存在でないのかも知れないとの印象を受けます。
上記の原稿を書いたのは一週間近く前です。その後、大きな動きはありませんが、言い足りなかったことなどを補足します。
王子製紙のTOB(北越製紙発行株の過半数取得が成立条件)は、成立が難しくなったのではないか、という観測が広まっているようです。この場合、王子が北越製紙を全く諦めると、今度は、別陣営に北越製紙を渡す形になってしまうので、一番ありそうなのは、発行株の三分の一にTOBの成立条件を緩和することでしょうか。ただ、その場合、王子製紙、日本製紙、三菱商事などが、何れもメジャーを取れずに睨み合う形になります。また、発行株の8割以上を少数の株主が持つことになる公算が大きく、北越製紙が上場廃止になる可能性が出てきます。参加者がみな得しない状態で、長期戦のチキン・ゲームになって、誰が北越を買うのか、改めて交渉するということになるのでしょうか。
王子製紙は、TOB価格を引き上げる選択肢もありますが、そもそも、もっと高くても買う用意があったなら、これまで価格を引き上げずに、800円台で日本製紙に北越株を大量取得されたのは、王子のアドバイザーである野村證券の作戦ミスといえるかも知れません。TOB価格以上の出来高の内容を十分把握できていなかったという意味では、証券会社としても、頼りない印象です。本件が、今後、どう転ぶか分かりませんが、北越製紙を別陣営に追いやる結果になったり、王子製紙が北越製紙の株を中途半端に抱えて立ち往生するようなことになったりすると、野村證券の評判はガタ落ちしますが、さて、彼らには、有効な手が用意されているのでしょうか。
一方、北越製紙の経営陣も、かなりアブナイ感じがします。彼らが株主に説明すべき事柄は「三菱商事との提携を伴う経営計画で、株主は王子が提示した株価860円以上の株式価値を確実に手に入れることができる」ということの、具体的内容です。今迄のところ、王子の経営統合案だと、たとえば「従業員のやる気が落ちて32億円損する・・・」といった、王子案の批判に力点があるようです。株主から見ると、王子製紙は株価を具体的に提示しているのであって、買収後に儲かるかどうかは、主として王子製紙の問題です。
また、北越製紙の経営者は、「当社の中長期的企業価値を取り込むことに(王子製紙の)目的があるように思われる」と王子を批判していましたが、中長期的企業価値が十分に取り込まれて実現するなら、何の問題もないので、これは、批判になっていません。
加えて、買収防衛策の発動について、独立していると称する検討委員会に諮問し、この委員会が発動OKの判断を示しましたが(発動を決定するのは取締役会です)、これが発動されると、物事がメチャクチャになるでしょうし(壮大な見物にはなりますが)、一転して、北越製紙側が批判に晒されるでしょう(たぶん裁判は北越側が負けるでしょう)。まさか、買収防衛策は、発動しないと思いますが、王子がTOBの条件を変えてきた場合には、ヤルかも知れない、という可能性というか、スリルがあります。
ニュースによると、北越製紙と日本製紙は、何らかの提携関係の構築を検討するようです。北越製紙は日本製紙が将来株を売ることが不安だし、日本製紙は株式取得にコストをかけた以上、何らかの「実」を取らないと名分が立ちませんから、これは自然な流れではありますが、ある種の癒着の臭いがしますね。
さて、王子製紙として、どんな戦略が正しいのかは、難しいところです。
私は、買い取り株価を上げて北越の株を集めても、当初思い描いたような効果を得ることは難しいでしょうし、一つのターゲットを複数の買い手が買おうとした場合に、勝者がとんでもないプレミアムを払う、「勝者の呪い」と言われる現象にハマらないためにも、さらりと降りるのが利口ではないか、というような気がします。
しかし、そうなると、アドバイザーの野村の面子は丸つぶれだし、王子製紙自身も、少なくとも降りた時には格好が悪い思いをしなければならないでしょう(高い株価で北越製紙株を買ったライバルの日本製紙に損をさせたことで溜飲を下げることになるのでしょうか・・)。しかし、買収にかけるお金があるなら、本業を強化する方が「まっとう」ではないでしょうか。
北越製紙にあっての、王子製紙の嫌われぶりには驚きます。一部の報道によると、今回の件も、もともと北越製紙の設備投資計画に王子が横槍を入れたことから始まった経緯があるようですが、これでは北越も王子を嫌いになるでしょうし、どうも動機の部分に不純なものを感じます(独禁法的な観点でも)。また、そもそも、業界トップの会社が、十分なコスト競争力を持っていないということなのでしょうか。資本の世界では正論に見える今回の王子製紙の行動ですが、製紙会社としての王子製紙は、業界内では威張れた存在でないのかも知れないとの印象を受けます。
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個人投資家のための、夏休みの推薦図書

こうした、今ひとつパッとしない相場環境の中で、夏休みでもあるし、久しぶりに投資の本でも読もうか、という個人投資家に、良い本を一冊ご推薦します。
二、三週後の「週刊ダイヤモンド」の私の連載コラムにもこの本の事を書いたので、詳しくは、後日そちらをご参照いただきたいと思いますが、実際にヘッジファンドの運用をやっていた著者の書いていることは、初老のロックスターのような風貌にもかかわらず(気付いてみると、多くのロックスターが、初老であり、ロック自体が伝統芸能化していますね)、たいへんマトモであり、内容の98%くらいは賛成できるものでした。
たとえば、この著者は、チャート分析が実際の運用に役立たないことを分かっているし、分散投資の重要性も正しく認識しています。自分がかつてやっていたヘッジファンドについても、顧客がいいファンドを選ぶのは無理だ、ということを正直に書いています。また、運用の方法についても、自分のポートフォリオの銘柄をランク付けするなど、実践的な方法を教えてくれています。
理論的な説明は、ほとんどPERと成長率だけに割り切っている本なので、内容的に難しいということは、どんな読者にとっても無いと思います。
但し、「バイ・アンド・ホールド」ではなく、「バイ・アンド・ホームワーク」が大切だと、著者は言っており、なかなか手間の掛かる運用方法を実践すべきだと言っています。好き嫌いはあるかも知れませんが、著者は、間違いなく「本物」ですし、内容の実用性からすると、正しく読むならば、ウォーレン・バフェットの関連本や、ピーター・リンチの本よりも上を行くと、私は思います。
ところで、たとえば、私が同じような本を書くとすると、運用の方法については、もっと手間の掛からない割り切った方法を書きそうですが、理論的な背景については、行動ファイナンスのあれこれ(批判も含めて)なども交えて、つい、いろいろな話を書いてしまいそうです。
尚、写真に一緒に写っている万年筆と携帯電話も最近買って気に入っているものです。
万年筆はモンブランの定番マイスターシュティック149ですが、神保町の金ペン堂で買いました。ペン先の太さは中字で、個体差的にはやや細めですが、非常にスムーズに書けます。同店は、ペン先を日本字向けに調整して売ってくれる店で、頑固な職人肌のオヤジさんが、大いに威張って定価で販売しますが、十分ここで買う価値があると思います。(たとえば、万年筆を裏返すと、表の半分くらいの太さでスムーズに字が書けます!)
今回買ってきたモンブランは、個体の当たりが良かったようで、気に入っています。同クラスの万年筆としては、ペリカンのM800の方が書き味はいいかも知れませんが(細・太字、各一本ずつ持っています)モンブランは元気な感じ、ペリカンはしっとりした感じと、性格がかなり違います。モンブランの方が軸が丈夫そうだし、ペリカンはキャップの引っかかり部分がペリカンの嘴の形になっていて、間違って引っかけやすいこともあって、今回、モンブランを購入してみました。どれもいい万年筆で、個人的には、自分がもっと字が上手ければなあ、ということが大いに残念です。
携帯は、ソニー・エリクソンのSO902iですが、最近、シャープのSH901iTから乗り換えました。これは非常にコンパクトながら使いやすくて、こちらも気にいっています。
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